1 プロローグ 始まりの時

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1 プロローグ 始まりの時

 北海道根室市納沙布岬の駐車場 早朝 「もうすぐ6時か……そろそろ行く?」  RVの運転席に座っている20歳くらいの男性は、エンジンを切ると、助手席に座っている恋人の女性に訊いた。 「日の出って、6時過ぎだっけ?  外、なんか寒そう。」  その女性は小さなあくびをしながら返答した。 「うん。11月だから。  それにしても、根室は風が強いな。寒すぎだよ。  日の出を拝んだら、とっとと帰ろう。」  男性は車の外の景色を眺めながら言った。  2人は、ダウンジャケットを羽織って粉雪が舞い飛ぶ車外に出ると、身体を震わせながら、四島のかけはしというモニュメントの方に歩いて行った。  2人の吐く息は白く、北の空もまた白み始めて、帯状の雲が流れていた。 「近くで見ると、思っていた以上に大きいね、この建物。」  女性がアーチ状の赤銅色をした四島のかけはしを見上げながら言った。 「うん、本当だ。予想以上。」  男性も女性と並んで、同じように見上げた。 「向こうにある島、北方領土かな?」  女性が海の向こうの小さな島影を指さして、隣にいた男性に訊いた。 「多分……歯舞島?群島?……かな?」  男性がググりながら答えた。 「もうすぐ日が昇りそう……風、冷たっ!」  女性が小刻みに身体を上下させながら言った。 「うん。マジで寒い。  ちょっと、そこの自販機でホットコーヒーを買ってくるよ。」  男性は小走りに自販機へ向かった。 「ありがと。」  男性を見送った女性は、モニュメントを回って海の近くに行こうとして歩き出した。  海風が強くて、小柄な女性はふらつきながら歩いていた。 「……きゃっ!」  モニュメントに沿って歩いていた時、何かにつまずいて転びそうになった。 「ん?大丈夫?」  男性が缶コーヒーを熱そうに持ちながら、女性に駆け寄ってきた。 「どうしたの?」  女性はすぐに返事をせずに自分の足元を見つめていた。  そして、口元を震わせながら、ようやく口を開いた。 「……ち、ちょっと、な、何、これ?」  女性が指さしたところに目をやった男性が驚きの声を上げた。 「うわっ!!何だよ、それ……」 「も、もしかして……これって人の脚?」  女性は恐怖で顔が引きつっていた。 「ほ、本物かな?」 「分かんないわよっ!!どうするのっ?!」  女性は動揺してその場に立ちすくんでいた。 「よく分からないけど、本物っぽいな……  と、とにかく、警察に通報しよう。」  男性は、震える手でポケットからスマホを取り出すと、警察に通報した。 「あっ、警察ですか?……なんか、人の脚みたいなものが落ちています。」  水平線の遥か彼方に晩秋の朝日がようやく顔を出し始めた。  その弱々しい陽光は、女性がつまずいた人の脚部を照らし出していた。  ◇  1時間後  納沙布岬のモニュメントの周りには根室警察署の規制線が張られていた。  くたびれたスーツを着た中年の男性は、ゆっくりと屈みこむと、目前でうずくまるようにして作業している同世代の男性に声を掛けた。 「安村さん、どうすか?」 「うん?戻ってよく調べんと、何とも言えんよ。」  安村と呼ばれたその男は、鑑識班と背中にロゴが入ったジャケットを着ていた。 「今ここで言えることは、成人男性の右脚ということだけだ。」  医療用の手袋をはめた安村は通報のあった右脚を慎重に調べていた。 「どのくらい前に切断されたのか分かりますか?大体でいいんですけど。」 「そうだな……5日以内ってとこかな。」 「そうですか。その脚の持ち主、もう生きていませんかね?」 「どうだろうな……大腿部の切り口からすると、肉切り包丁のようなもので力任せに切断したようだ。医学的知識がない者が……可哀そうに……」 「可哀そうにって……まさか、生きたまま?えぇっ?」 「傷口に生体反応があるようだ……帰って調べてみないと詳しくは分からんが。  松延、忙しくなりそうだな。」 「こんなに平和な町なのに……殺人だなんて、まっぴらご免ですよ。」  ベテラン刑事の松延はため息をついた。 「俺たちは事件を選べんだろう……」 「そうですけど……」 「これが俺たちの仕事だ。」 「はぁ……  それで、切断現場はここじゃないですよね?」 「……そうだな。血痕の状況からしても、運んできてここに置いたんだろう。  ここ数日降っていた雪が証拠保全を邪魔しているけどな。」 「こんな目立つところに……それが目的かな?」 「それを調べるのが仕事だろ?」 「そうですけど、所轄の刑事は所詮所轄なんで……どうせ一課が仕切りますから。」 「所轄の意地を見せてやれよ、松延。」 「そうですね。一課に一泡吹かせますか。」 「根室人の心意気、見せてやれ。」 「見せますか……」  ◇  6時間後  某国営放送 ニュース番組 「ここで、ニュースの時間です。  北海道警察本部の発表によりますと、根室市の納沙布岬で、人の右脚部、股関節から切断された、大腿部からつま先までの脚部が発見されたということです。  発見者は納沙布岬に日の出を見に来ていた観光客で、脚部は四島のかけはしというモニュメントの付近にあったということです。  脚部の持ち主の特定や生死は、現状のところ一切不明であり、恐らく成人男性の脚部らしいとのことですが、詳しい調査はこれからだということです。  北海道警としては、事故と事件の両面から捜査をする方針とのことです。  ……では、次のニュースです。」  ◇    納沙布岬で右脚が発見される1週間前  午後11時  都内の大久保駅から15分程歩いた北新宿の路地裏  北新宿といっても、15分も歩けば、うら寂しい通りがある。  人通りが無くなった、街灯がまばらな薄暗い路地裏で、長身の若い男性がスマホの画面に目を落としていた。  服装は、グレーのスウェットの上下に赤ラメのスカジャン、黒のクロックスを履いていて、街中ですれ違う時、道行く人が大きく避けて通るような雰囲気だった。    そのスカジャンの男は、時折、人を探すように路地裏をキョロキョロと見渡していた。  足元にはタバコの吸い殻が4、5本落ちている。  その後、5分くらい経った時に1人の男が辺りを気にしながらスカジャンの男に近づいてきた。  その男は、黒っぽいパーカーを着て、くたびれたジーンズをはいていた。 「君、メールの人?」  小柄なパーカーの男が、警戒しながら長身のスカジャンの男にカタコトの小声で訊いてきた。 「……ああ、多分な。」  スカジャンの男がうなずいた。 「多分?見せて、スマホ。」 「スマホ?」 「そう。送ったメール、見せて。」 「ああ、そういうことか……ほらっ!」  スカジャンの男は受信したメールを開いて見せた。  パーカーの男が、スカジャンの男の手元に頭を近づけるようにして、スマホを覗き込んだ。 「うん。OKね。キャッシュは?」 「ここにある。」  スカジャンの男はスウェットのポケットの中から無造作に数枚の紙幣を取り出した。 「それで、商品を持っているのか?」 「あるよ。」  パーカーの男は茶色い包み紙を差し出した。 「これがそうだ。」 「本物だろうな?」 「自分で確かめたら、分かるでしょ?」  スカジャンの男は包みを広げて中を確認した。 「いいだろう。じゃ、取引成立だ。」 「サンキュ。うちのは、いいよ。効きまくる。」  パーカーの男は、紙幣を奪うように受け取ると、右手の親指を立ててニヤッと笑った。  そして、人目を気にしながら、足早にその場を去って行った。  残ったスカジャンの男は、暫くその場にたたずんでパーカーの男が立ち去ったことを確かめると、小走りに歩き出して、裏に留めてあった黒のセダンの運転席に乗り込んだ。 「ふーっ。」  ドアを閉めて大きく息を吐くと、エンジンをかけた。  そして、目を閉じると、瞑想でもしているように、暫くじっとしていた。  その後、おもむろに目を開くと、スマホで電話をかけた。 「……はい。ブツは手に入れました。  チャンスが無くて、印は確認できませんでしたが、間違いないと思います。  はい、……そうですね。  では、これから戻ります。」  スカジャンの男は車のライトを点けるとゆっくりと出発した。
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