第25章 民俗学者は安楽椅子に座ってられない

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第25章 民俗学者は安楽椅子に座ってられない

その翌朝、夜明け前にホテルを出て村まで赴いたグループがどんな風にタスクを達成したのか。実際に現地に居合わせなかったわたしがそのときの様子を知ったのは、もっとずっと後になってからのことだ。 もっとも、前夜についお酒も入って話し込んでしまい、そろそろ寝るか。あまり遅くなると朝起きられないし、と言い合って各自宿泊部屋へと分かれて戻ろうとしてたところに、不意に沖さんを訪ねて扉を叩いた蒲生先生の用件を知った瞬間から。彼らの脳内はそれまでまるで予想もしてなかった思わぬ展開に、そのままお祭り状態に突入してしまったという。 「いや、思わず俺らがはしゃいで盛り上がってたらさ。がも先のやつ、照れ隠しなのかむすっとした顔で他人のことはどうでもいいから。明日に備えてもうお前らは早く寝ろって叱られちゃったんだけど、これが祝わずにいられるかってのよ。先生が部屋に戻っていくのをじっと待って、こそこそ深夜に自販機まで行ってビール買い足してさ。結局かなりの時間まで飲み倒しちゃったよ。おかげで署名がへろへろになっちゃって、ごめんな。俺もうちょい字ぃまともなんだよ?普段は」 「いや、大丈夫です。どうせ役所に提出しちゃうものだし。もう手許に残ってないから…」 そう言いつつ、記念にコピーしておけばよかったかな。とかちょっと考えたりして。いや普通はそんなことしないのか。どっちにしろ、あのときは他に考えることいっぱいいっぱいで。沖さんの筆跡が上手いか下手かなんて、気にする余裕もなかったなぁ…。 何はともあれ、決行当日の朝。わたしはすっかり懇々と眠ってしまってて、まるで知る由もなかったが。かなり寝不足なへろへろ状態であることを何とか押し隠して署名を済ませた婚姻届を蒲生先生に手渡すと、湖探索組は一足早く村へ向けてホテルを出立した。 「いやぁすごいなぁ、一晩で思いきりよく結婚決めちゃうなんてさ。やっぱり、我慢できなかったのかな?まあ、追浜ちゃん確かに可愛いもんね。俺の好みってわけじゃないけど…」 あとで山川さんが村に向かう車の中の様子を教えてくれたとき、何の気なしに曽根さんがどんなにうるさかったか。ってことを伝える中でうっかりそんな台詞をそのまま引用してしまって思わず口を押さえてた。 わたしはそんなの全然気にならない。曽根さんからも誰からも、自分が好きでもない相手からタイプじゃないと言われて気にかけるほど博愛主義者じゃないので。それにあの人の場合、ただ単に考えなしなだけで完全に悪意ゼロ、ってのはわかってるから。手を振って大丈夫、と伝えてから先を促した。 「思わず勢いでやっちゃって、我に返って責任取ったってことなのかね?まあ、大学だし直の教え子じゃないとはいえ。一応指導者と学生だもんなぁ。考えてみたら、俺も責任感じといた方がいいのか。もともとあの二人を引き合わせたのは自分なんだし…」 ぺらぺらと悪気なく車内で喋り続ける曽根さんを、沖さんがうんざりした気持ちを隠しもしない口調で運転席から咎めてくれたとのこと。 「あの二人は、別に昨日今日お互い憎からず思うようになったわけじゃなくて。出会ってすぐの結構前から、傍から見ても焦ったいくらいずっとあんな感じだから。もうずいぶん前から俺も追浜に発破かけてたんだ、がも先からは立場上いけないからお前が仕掛けるしかないんだよって。だから、今頃になってようやくかよ。としか思ってないよ、周りは」 米田さんが隣の座席でしたり顔でうんうん、と深く頷いてるのを見て山川さんは気づいてなかったのは俺だけかよ。とショックを受けたという。ごめんね、そこまで気が回ってなくて。と手を合わせて謝られてしまった。いえいえ。 「むしろ、米田さんにも気づかれてたのかぁ。って方がショックかも、こっちは。沖さんから発破かけられたときもそんなの伝わっちゃうんだ!ってびっくりしたから。…そうかぁ、自分たちが思ってるよりだだ漏れだったんですね。なんか、間抜けな話だなぁ」 ため息をつくと、そんなことないよ。と山川さんに逆に慰められた。 「現に、ここに全く蚊帳の外だった人間がいるから。大学に戻ってから追浜と先生が入籍したこと知って、研究室のほとんどの人間はめちゃくちゃ驚いてたし。何となくわかってたのはあとは由田先輩くらいじゃない?でも、彼女だってさすがにびっくりしてたよ。電光石火だねぇってしみじみ呆れてたし」 まあ、そうだよね。普通。 沖さんに諌められた曽根さんは全く凹む様子もなく、けろっとして 「そっかぁ、じゃあもうだいぶ前からあの二人はお互いその気で時間の問題だったってわけ?どのみち俺の手柄ってことじゃん。いやぁ、だったら日本民俗学の単位落としかけて結果よかったんだな。金一封もらいたいくらいかも、御礼に」 と調子よく喜んで、沖さんにすげなく突っ込まれていたらしい。 「何言ってんだ、単位は普通に自力で取らなきゃ。そもそも特例なんか使うんじゃないよ。それと、金一封はこっちが包むんだよこの場合。お祝いなんだから。もらってちゃ駄目だろ、お前の方が」
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