筋肉と聖女

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筋肉と聖女

「お嬢 あれほど他人を信用しすぎない方が良いと言ったじゃないですか」 「あら? でも貴方は来てくれたじゃない 信じてたわよ」    鬱蒼と生い茂る森の中、転倒した馬車と気絶させられた10を超える野盗達。  その全てが恐怖を顔に貼り付けて意識を失っている。    その中心で朗らかに笑う少女と冷や汗を流して窘める青年。    アルティシア領を貴族の令嬢の『ミリアリア・アルティシア』は先程までの命の危機を鼻で笑い青年の背中で小さく笑っている。  それをため息を吐きながら諦めたように苦笑いを浮かべる屈強な青年は『グレイ』ミリアリアの専属の執事兼護衛だ。   「それにしても驚いたわ まさか新人の方が他国の間者だったなんて 私なんか拐ってどうするつもりだったのかしら」    ミリアリアはまだ自覚しては居ないが彼女の持つ『聖女』という称号は他国からすれば喉から手が出る程に欲しいものだろう。  他の治癒魔法の使い手では比較出来ないほどの治癒を他者に施せる。  傷だろうが毒だろうがその全てを瞬く間に治し尽くすと言われている。    それに本人は無頓着だがミリアリアは美少女だ。それも頭に絶世と付くほどの。  それこそ奴隷として売れば幾ら値がつくか想像も出来ないほどに。   「悪党どもの考えることはサッパリ分からんです さぁこんな所から早く帰りましょう 後始末はメイド達がしてくれますからね」    だがグレイはそれをはぐらかす。彼女に人の醜さは見せたくは無かったからだ。   「はーい......そうだ! どうせならいつもので帰りましょう!どーん! て!」 「はいはい 舌を噛まないようにしっかりと掴まってて下さいねお嬢」   グレイが少し屈み足に力を込めるとその場から姿を消した。    地面が抉れ、爆発音を響かせグレイ達の姿は天高く舞い上がる。    夜空が近い、手を伸ばせば届きそうなほどに近く瞬く星々。  遠くに見える人工の光はアルティシア領の光だ。   「やっぱり凄いわよ! 魔力を使えないのにこんな事できるんだから!」 「お嬢も能力強化の授業を受ければ出来ますよ」  「そうなったら私がグレイを背負って運んであげるわ!」 「絵面的にどうかと思いますが まぁ楽しみにしてますよ」    背中で騒ぐミリアリアを抱え直しながらグレイは木々の先端を蹴り一度も地面に落ちる事なく森を抜けるのだった。    その後は父であるジリウス辺境伯に叱られたのは言うまでもないだろう。    //////////    今でも思い出してしまう。    最初に覚えているのは父親であろう男の怒号だった。  酒を浴びるように飲み赤ら顔で酒瓶で俺を殴った。    次に覚えているのは母親だった女の叫びだった。  お前がいなければ、お前のせいだと殴られた。    最後は知らない男達の笑い声だった。  悲鳴を上げる男と泣き叫ぶ女、きっと男達にとっては特に意味のない遊びのようなモノだったのだろう。  悍ましさ感じる笑い声と悲鳴、俺は見捨ててしまった。  あまりの醜さに泣きながら逃げてしまったのだ。  仮にも両親を捨てて。    けれど初めて出た外の世界は想像を遥かに超えていた。    日がささない不潔な空気 そこらじゅうから聞こえる男達の怒号に女達の嬌声。  着る服さえままならない大人達が道端で何かの粉を吸っている。    どうすれば良いのだろうか。    周りの全てが壁に包まれたかのような錯覚に陥る。  生暖かい空気が背筋を撫でた、だだそれだけで自分が立っているのか座っているのかも分からなくなった。  幼い自分に出来たことは、ただ泣き叫びながら走るしかなかった。    ただここの居たくなかった。この気味の悪い場所に。     それからの事は覚えていない。    死にかけていたところをミリアリア様に救われたらしいが本人は何も話してくれないし、当時の俺は衰弱死一歩手前で記憶障害を起こしたようで断片的な事しか思い出せない。    けれどコレだけは分かる。    今のこの命は彼女達に救われたのだと。    ////////// 「だから俺は体を鍛えた! どんな魔法にも武器にも負けない体を手に入れるために!」 「また先輩の筋肉語りが始まったすよ 酔っ払うとすぐコレだから......」  「コレが無ければ最高の先輩なんですが」    何を言っているんだ!後輩メイド達よ!。  筋肉は裏切らない!いつだって裏切るのは己自身なんだ!。    だから鍛えろ!。   「鍛えろじゃないんですよ まったく......ほら先輩そろそろ切り上げないとお嬢様が来ますよ」    見ろ!この切れ味鋭い筋肉を!。  見ろ!この肩に実ったメロウの実を!。   「はいはい 眼福ですが服脱がないでくださーい」 「服はこちらで畳んでおくので先輩にスリープかけておいて下さい そろそろ酔いが回って効くはずです」 「はーい じゃあ先輩! おやすみっす!」  筋肉は寝ない。寝るのは意識だけだ。   あぁ意識が沈んでいく。    ............   「ようやく寝たっすね 最近少しずつ効きにくくなってる事に恐怖すら感じるっすよ」    グレイの後輩であるファルシアは能力強化の魔法を使い常人では考えられないほどの重量を持つグレイを持ち上げようとすると扉が開いた。    すぐにファルシアはグレイから離れ頭を下げる。共にいたアリシアも同様だった。   「ご苦労様 グレイの事は私が面倒を見ます あとは休んで構いませんよ」    漆黒だ。    そこには全ての光を飲み込んだ漆黒の瞳があった。    聖女と呼ばれる少女はそこには居らず、能面のような表情に嫉妬の炎を燻らせた修羅が居た。    ファルシアとアリシアがその場から去ると妖艶に笑みを浮かべてグレイの体を抱き寄せた。   「もう後輩達に迷惑かけちゃダメじゃない」    ミリアリアは気付いていない。今の己の表情も感情も、己の目の奥に宿した漆黒も。    魔力を用いて体を強化し、グレイを抱えながら運ぶ。    使えないはずの能力強化の魔法を使いながら。   「ふふふふ なんて可愛らしい寝顔なんでしょう」    グレイも世界もミリアリアの希少性を完全には把握していない。    彼女にとって聖女とは現れた一側面にすぎない。    魔法を使えば賢者を超え。  剣を使えば勇者を超え。  知恵を統治を発明を、彼女にとってできない事は存在しない。    万能の天禍、それが彼女の本質だ。    それが人の生み出した物ならば容易く己のモノにし実行してしまう。  なければ生み出してしまう。    そこに善悪はなく己の行くままに才能を使う。   「ナイスバルクゥ」    しかし、彼女にとってはやりたくない事の方が多すぎるのだ。    能力強化が使えるとなれば先程のように背負われる事が無くなり、自領を豊かにし過ぎれば中央からの干渉が強くなってグレイと引き離されるかもしれない。    そうなれば最後。    ミリアリアは王室を潰して自身が国を管理するだろう、グレイを隣に置くために。   「肩に城壁のせてんのかい」 「ふふふ 変な寝言ですね」    兎に角、ミリアリアの横にグレイを置いておけば解決する問題という事だ。    頑張れ筋肉、この世界の平和は色んな意味でキミにかかっているぞ!。    本当にお願いね!本当にキミが居ないと世界が破滅するから!。   「なんだか五月蝿いですね 静かにして下さい彼が起きたらどうするんですか」    ひぇ。    もうやだ寝る。おやすみなさい。   「あぁ早く明日が来ないかしら きっと明日も楽しくなるはずよねグレイ」 「ヘケッ......むにゃむにゃ」    そして日は沈み新たに日が上る。  次はどんな日になるのだろうか。天禍は笑い世界を覗き見る。    全ての世界の自分を嗤いながら。
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