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そうこうするうち、ルウに気づいた人狼たちが喰らう場の準備を始める。
常ならしないことだが、今夜ばかりは私も場を整える手伝いをしつつ、どのように話を広めるか考える。
かの若狼にとって都合よい話が耳に入るようにしたいが、あくまでもさりげなく、話が自然に耳に入らなければ意味がない。あれは愚かだが馬鹿ではない。誰かの作為が見えれば警戒するだろう。自らの考えとして結論を誘導したい。無論うまく行かない可能性のほうが高いが……馬鹿ではないが賢くもないのだ。やり方を間違えなければ、おそらくなんとかなる。
そんな考えはおくびにも見せず老いた雌に言われた通り水を運んでいると、声がかかった。
「シグマじゃん」
「ああ、樵じゃないですか」
私はにっこり笑って応えた。
お誂え向きとはこのこと。
「なにしてんの準備の手伝い? 珍しいー」
「そうですね。なんとなく、しばらく郷を離れていたもんですから」
「ああーそういや暫く見なかったな。どっか行ってたー?」
ニヤニヤと続けるデルタは幼い頃から共に暮らした一匹で、とてもおしゃべりなのだ。
「はい、水の道向こうに」
「そっか~。て、え、おまえ一匹で?」
「カイとルウも一緒でしたよ」
「へえ~、カイはともかくルウも一緒って珍しいなー」
「そうですかね」
「だよー。あーでも三匹ともあんま広場で見かけねえーか。そういやー」
カイは基本、広場で喰らわないのでここには来ない。
ルウは狩りで森に行くので途上で喰らう。広場には番や子狼と一緒に来るくらいだが、獲物を運んだルウが水を飲んだり毛づくろいしているところに子狼を連れた番が来る。だが―――
「私は来てますよ。序列が低いので喰らうのは最後の方ですが」
「あぁあー。俺は番と一緒に喰うからなー」
肉を喰らうのは序列の順。デルタは序列が近いけれど必ず私より早く喰らう。子狼のいる番が優先されるからだ。さらに……
「番の方が序列は上ですもんね」
「そーうなんよーマジうちの番ってば可愛いし仕事できるし最高っしょー」
そこからデルタは惚気に突入する。これが始まるとしばらく続くし、たいして内容も変わらないのでまともに聞く気にはならない。とはいえ遮ると面倒になるので、いつもなら適当に相槌打ちつつ、にっこり笑って聞き流す。
しかし噂を広げてもらいたいのだ。私はあえて口をはさんだ。
「久しぶりに三匹で遠出したので楽しかったです。水の道で魚を捕りましたし狩り食いもしましたし」
「おー、マジだー。行きたかったかもー」
「今度は誘いますね」
「マジだぞー」
「はい」
「つーか水の道向こうーってアレだな、こないだ知らねー獣狩り尽くした」
「さらに向こうに行ったんですよ」
「んー? その向こう……って山? あんなトコ行ったのかよー」
「ええ、その向こうも」
「はあー、マジかー!」
キラキラと目を輝かせたデルタに、ようやく喰いついた、とほくそ笑む。
「聞かせろよー、山ってどんなー? その向こうって」
「そうですね……」
「おま、もったいぶんな……って」
デルタがハッと話を止め、彼方をの方向に鼻先を向けヒクヒクさせている。私には感じられないが、おそらく番が来たのだと察した。
「悪りぃー、行くわ」
案の定、デルタは気もそぞろで、ゆるゆると尾を振っている。今回はここまでと諦めるしかない。
「はい、ではまた」
「じゃーなー!」
全開で尾を振りつつ振り返りもせず駆け出したデルタは、まっすぐ森に駆け入っていく。やはり番だろうが、あんな調子で仕事はちゃんとしているのか、と嘆息する。
樵の仕事は、木を伐り運ぶだけではなく、倒木や伐った木の根を掘り出し、繁茂しすぎた下草を刈りて集め、樹に絡みつく蔓を除く、など多岐にわたる。
刈った草は寝床に使うし、蔓や木はあらゆるものを造る材料になる。郷にとってさまざまな資材を調達するという重要な役目なのだが、あの番べったりが目に余るデルタはまだ下位。付き合いが長いだけに他人事とも思えず心配になる。
幼い頃から体が大きく力も強かったが、気は優しく世話好き。考えなしでいろいろ鈍いが憎めない奴なのだ。
今でも欲しがる人狼がいれば香りの良い草や蔓や木の葉など棲まいまで運んでやるし、老いたものや病んだ者には水や食いものを運んでやっているので、交友が広い。しかも生来のおしゃべりで、あれこれやりながらしゃべり倒し、いろんな話を拾って来ては、それを別の場所で面白おかしく広めている。郷内の話題なら知らないことは無い、などと言っているけれど話の真偽はどうでも良いらしい。面白くてその場が盛り上がれば良いのだろう。
つまり無責任な噂好き。
あやふやな話でも、もっともらしく広めてくれるだろう。
◆ ◇ ◆
アルファとオメガが番って最初に産まれた若狼は、漆黒に近い青みがかった毛で身体が大きく俊敏で、共に過ごした仲間内では常にリーダーとして指示を出している。
もうすぐ成人の儀を迎えるのだが、このところずっと、ひどく気になる子狼のことばかり考えてしまっていた。
この冬十五歳になる子狼。冬三つ年下の、白っぽい茶の毛と深い緑の目、匂いも毛触りも何もかもが愛しく思える『雄』。ひと冬早く生まれていれば、自分の仲間に加えることができたのに、と思うと歯がゆくてたまらない。
前の冬、電撃が走るように気づいて、それから共に在りたいという衝動が消えないのだ。ついついかまいに行ってしまっているけれど、構いに行くと慕ってくれて、ひどく可愛い。
こうまで気になるのは、あの子狼こそが我が番であるからに違いない。
とはいえ子狼相手では無体もできない。向こうはまだ気づいていないようでもある。
ゆえに若狼は、成獣となったなら番と定めて手元に置き、思う存分慈しむと決めていた。
本当に番うのは子狼が成獣になるのを待たねばならないが、そもそも雄同士で番となるのはアルファとオメガのみだ。
語り聞かせの時シグマが『アルファは精霊が決める』と言っていたし、番を定めるのも精霊であると聞いた。つまり、愛しいと思うものが雄であると言うことは、オメガと番いアルファとなるよう精霊が決めたということなのだ、と若狼は理解した。
しかし若狼がアルファになれば現アルファが必要なくなるということである。そこらへんは精霊がきちんとやるんだろうとは思うが、少し不安があった。
もし精霊がグズグズして、すぐにアルファの代替わりが行われなければ、番を手元に置くのが遅れてしまう。成人の儀を越えたらすぐにでも番と共に在りたい。その衝動を抑えるのはもう限界だった。
それにアルファが変わればオメガが悲しむのでは、というのも気がかりだった。オメガは若狼を産んだ雄でとても優しい。若狼はオメガが大好きなのだ。
でもまあ、オメガは若狼をとても慈しんでくれるのだから、精霊に言祝がれたなら喜ぶだろう。そう考えれば、すべて精霊に任せればよいのだと納得できた。
このところ、しばしば耳に入る噂がある。
「こないだの狩り。あっちから我が森に逃げて来たやつららしいぞ」
「獣が逃げ出すほど山の向こうは荒れてるんか」
「ガンマの森が流されたって」
「ええ? もう郷とは言えないんじゃない?」
「大風で木が倒れて、大水で水の道が暴れたって」
「おお怖い。山向こうのガンマは無能なんだな」
「うちのガンマは大丈夫で良かったよ」
内容はまちまちで、話は切れ切れの与太話じみているが、若狼はそれらの話を繋ぎ合わせてみた。そうすれば何が起こったか見えて来る。
つまり山向こうに在る人狼の郷が精霊の言祝ぎを失ったのだ。
「なんだってそんなとこの話を知ってるんだ?」
「知らねえよ。誰かが言ってたんだ」
「きっとアルファが手を伸ばされたんだ」
アルファが動いているということは、我が郷の精霊がそちらの森も言祝ぐということか。
「なるほど」
若狼は青みがかった漆黒の毛をそよがせ、濃茶の瞳を光らせる。
「さすがアルファはわが親、優秀じゃないか」
若狼はアルファになる。しかしこの郷のアルファは揺るがない。なぜなら山向こうの郷こそ、若狼がアルファとして治める森だから。我が親たるアルファは、そのように動いているのだ。
「まあ表向きには言えないのだな。だからこのように噂を流しているのか」
漆黒の若狼は、遠回しなことをするものだと苦笑を漏らす。
「ならこちらから進言する形を取ろう。その方が早く進むというもの」
そう呟いた若狼は、自らが率いる群れを見回した。
「おまえたち、新たな森を共に治めないか。共に行きたいやつがいるなら、声をかけておけ」
成人の儀を待つまでもない。
かの森のアルファとなることが決まっているのだから、少しでも早く、愛しい子狼を手元に置くのだ。
「成人の儀を越えたなら動くぞ。連れて行くのはに十匹ほど。早い者勝ちだ」
◆ ◇ ◆
「……とかって誘われたんだけどー。あれバカなんじゃねー?」
干し果実と木の実を持って棲まいに行き、土産を子狼たちや雌に振る舞う私に、デルタが呆れたような声を出している。
「まさか本気にしたんですか?」
「っなわけねーだろ」
「ですよね」
「精霊の言祝ぎとか階位ってもんが分かってねーんだよ」
「若狼のたわごとでしょうが……あなただって神話をきちんと覚えてないじゃないですか」
「俺は! いーんだよっ! おまえが全部考えるんだから!」
漆黒の若狼はバカではない。愚かではあるけれど。
「けれど、そんなことを触れ回っているなら、アルファはどうするんでしょうね?」
「いやー、あれは無理っしょー」
「優秀な若狼と聞いていたんですが」
「いやいや、ないわー」
もしかしたら、漆黒の若狼には群れを纏める器量があったのかもしれない。
もし現アルファがガンマの言葉を受け入れ、真剣に次代を選んだなら、あの若狼は本当にアルファに選ばれたかもしれない。
「愚かであることは、悲しいことですね」
「だなー、バカってマジ困るよなー」
デルタはぎゃははと笑いながら、持参した木の実をバリバリと咀嚼した。
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