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酒造りツアー
フィアンセの俊之に、新潟の蔵元で、酒造りの体験ができるので行こうと言われたのは付き合い始めてから三ヶ月が経過した頃だった。
医療系大学の細菌学教室に勤める田所俊之とは、合コンや友人からの紹介と言ったものではなく、城東大学細菌学教授、立花からの断っての希望という流れで知り合った。
「早希ちゃん、うちの教室にいる田所っていう男と、会ってもらえないかな?
性格は申し分ないし、ギャンブルとかにはまっている様子もない。
実家は地方の名家でね。
派手さが無い分、一緒にいて物足りなく感じるかも知れないが、理系大学卒業生同士、話も合うのではないかと思ったんだ」
そう言われ、大学近くの喫茶店で立花を交えて会ったのが始まりだった。
立花からは何も言われなかったが、おそらく母が後ろで糸を引いていたのだろう。
亡くなった父の学生時代の親友である立花に、ホテルで撮影した見合い写真を託し、もって生まれた話術を駆使して頼み込んだに違いないと、当時は思った。
友人の何人かは、結婚して家庭を築いていたし、薬剤師としての仕事にもこれといった思い入れはなかった。
この辺りで結婚生活に入れれば、母親への最高の孝行にもなると考えたのだ。
実際、田所俊之は無粋を絵に描いたような男ではあったが、その反面、レディーファーストが徹底しており、何でも先を譲ってくれた。
肉体関係を結んだのも、十回目のデートの時で、その時にも
「いや、駄目だ。婚約するまではこんな事しちゃいけない…」
と言い、男性にしては綺麗に整頓された部屋で、急に身体を離された。
私は、こちらに背を向けて、何かと戦っているような彼の背中を抱きかかえ
「どうして?私は、全然構わないのに」
と言い、そのまま抱かれた。
その後、二人にとって初めての旅行となる新潟、酒造り体験ツアーに誘われ、迷うことなく行くと告げた。
平成生まれの二人はバブル景気を知らず、ある意味、贅沢とは無縁に育ってきた世代と言える。
尚且つ、体験ツアーは二泊で7万円という破格の料金で、正直痛い出費だなと思っていた。
GW前半の出発の日、新幹線で、新潟に入る。
最寄り駅には、宿泊先の蔵元が出迎えに来ており、所有の車で、現地へと向かう。
「えぇっと、東京からお越しの田所様と国分様ですね。
この度は、当館へお出で頂き有難うございます。
お客様のご到着される少し前に、二組のお客様がお着きになっています。
お部屋は、オール電化仕様ではございますが、庄屋を全面的に改築して和室の良さをふんだんに残してありますので、くつろいで頂けるかと思います」
その言葉に反応したかのように、俊之の手が早希の方へ伸びてきて指先にそっと触れる。
車は30分ほどで、蔵元、宿、醸造所を有する敷地内に着き、二人は係の男に誘導され中に入る。
宿の正面玄関には、女将と法被を着た若い男がおり、恭しく出迎えてくれた。
「荷物をお運びいたします」
「ありがとう」
「お部屋はこちらでございます。
電話でゼロ番へかけて頂ければフロントにつながりますので、何かありましたらご連絡ください。
それでは、ごゆっくり」
どこか中性的な魅力がある30がらみの男は、目を伏せてそう言った後、退出した。
茶を淹れ、二人でゆっくりしているとフロントから連絡があり、夕食をとる為、所定の場所へと向かう。
見事な日本庭園を窓越しに眺められるダイニングルームには長いテーブルが置かれ、すでに二組の宿泊客が席についていた。
「皆様、今日は当蔵元へお越し下さり、誠に有難うございます。
僭越ではございますが、私の方より皆さま方のご紹介をさせて頂きたいと思いますが宜しいでしょうか?
−有難うございます。では、時計回りで
男性のご友人同士でお見えになりました、高木様と宇野様」
女将の紹介に、二人のうちの一人が立ち上がり会釈すると、遅れて、もう一人も同様に頭を下げた。
「ご夫婦でおいで下さいました嶋村剛様、めぐみ様」
「嶋村です。宜しく」
「ご結婚間近のカップル、田所様、国分様。
これから夕食を召し上がって頂きますがメニューはテーブル上にございますので、ご覧になってみて下さい。
お酒は予め伺った物を、今、用意致します。
デザートは、三品、用意しておりますが、三品全てチョイスして頂く事も可能ですので、お申し付け願います」
嶋村めぐみが、夫を見て「やった!」という表情をする。
「この人、いくつなんだろう?30の手前位かな、ぱっと見、若く見えるけど」
女が女である限り、年齢に対する飽くなき追求は続く。
女将が引き揚げた直後、それぞれの酒が用意され、内輪のみでの乾杯となる。
前菜三品が一つの皿に盛られ、サービスされると何人かは早速カメラに収め、その後、ようやく口を付ける。
次に、かんぱち、鯛、サーモンのお造りが出て、方々から
「おいしい」
「新鮮そのものね」
「都会じゃ、味わえないよな」
とした感想がこぼれる。
肉料理は子羊のローストで、赤ワインをベースに作られたソース同様、皆一様にその味の深さに酔いしれているようだった。
肉料理の皿が下げられると、女将が現れ、デザートのオーダーをとる。
「はい、それでは、皆様お飲み物はコーヒーで宜しいですね。
ただいま、デザートをお持ちしますので、少々お待ちください」
やがて運ばれてきたデザート皿は大皿と、小皿があり、早希は、男性二人のカップルがそれぞれ小皿に一品だけ載せているのに気づく。
「あの人達、甘い物、苦手なんだ」
隣の俊之は、誰の目から見ても明らかなように、目を細め、大皿の上に載ったフランボワーズのタルト、クリームブリュレ、ムースショコラを愛でるかのように見つめていた。
「おいしそう。食べましょう」
とした早希の言葉に促されるようにして、俊之は徐に、タルトにフォークを入れる。
味はどう?と言う表情で俊之を見ると、至福そのものといったように、何度もうなずいて見せ、早希も早速ムースショコラを口に運ぶ。
濃厚なチョコレートの味が口の粘膜全体を次々に浸食していくかのような感覚にとらわれると同時に、最上の幸福感で心が満たされる。
早希は、あえて、嶋村達の方を見なかった。
きっと、二人も自分達の様にデレッとした締まりのない顔を見せているに違いないと思ったからだ。
コーヒー、デザートを堪能した後はライブラリーに移動し、蔵元の職人からプロンジェクタによるスライドを通して、大まかな酒造りの説明が為される。
それらが終わると、熱い日本茶と和菓子が振る舞われ、明日のスケジュールが印刷されたプリントが配布された。
女将が再び登場し
「皆さま、お疲れ様でございます。
こちらのライブラリーには、書籍、雑誌、新聞等ありますので、どうぞお部屋の方にお持ち込み頂いてお読み下さい。
さらに、先代の女将が趣味で集めました人形を展示した部屋が奥にありますので見たい方はご自由にご覧になって下さい。
それでは、明日、宜しくお願い致します」
と述べ、静々と引き揚げて行った。
嶋村剛が俊之の方を見て
「僕達、部屋に帰ってゆっくりします。明日、早いみたいなんで」
と言う。
「そうですね。一旦、何か仕込み作業をしてから朝食になるって言ってましたよね。僕達はどうする?」
不意に聞かれ、答えを用意していなかった早希ではあったが
「せっかくだから、お人形見て行かない?」
と答える。男性の二人連れは「じゃお先に」と言い残し、いの一番に退出していった。
それに続けとばかりに、嶋村が
「じゃぁ、明日、頑張りましょう」
と言い、めぐみと二人、部屋を後にした。
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