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あの日以来、私は女の子を観察する事を止めた。続けた所で私に出来る事はなかったからだ。私は、私が女の子を救ってあげたい等という傲慢な気持ちは持ち合わせていなかった。私の興味はあくまでも赤いサメの事であるからだ。(その赤いサメを持つ、いや飼っていると言った方が正しいかも知れない、何故なら悪意や殺意によってサメは赤くなっていくからだ)だから私にとって赤いサメの主人である人間は観察対象ではないし、現実問題、夏休みも終わったからその暇がなかった。 私は女の子の中のサメの変化を目にして以来、私の中にもいつか赤いサメが現れるのではないかと少しばかり怖かった。だからたまに思い出したかのように、自分の全身を姿見で眺めたりした。そして意識して、悪意や殺意を持たないよう気をつけた。 嫌な事を言われたり、理不尽な対応などされた時も、その相手に対してこういう人もいるから、とか虫の何所が悪いのね。可哀想な人と思うようにした。この考えは一見何様だよ自分と思うような事だけど、私はただただ自分の中にサメが現れるのが怖かっただけだ。客観的に自分の感情を抑制する事である程度は制御出来ると思ったし、感情を上手くコントロールさえ出来ればサメが現れたとしても赤く染まる事まではいかないと私は考えたのだ。だから普段からそのように意識するようにした。 新学期が始まると4人のクラスメイトの中の1人の水野ヨシヒサ君が学校に来なくなった。 ヨシヒサ君はとても物静かな男の子で、お昼休みなどはいつもみんなの輪の外にいて笑っているような男の子だった。だからといって仲間外れとかにされていたわけではなく、単にヨシヒサ君は極度のシャイな子だった。だから私達の誰かが誘えば嫌がる事もなく、むしろ誘われるのを待ってたかのように顔を赤くしながら輪の中に入って来た。そんなヨシヒサ君が何故、学校に来なくなったのか誰も知らなかった。先生に尋ねてもはぐらかされるだけで、詳しい事は教えてくれなかった。先生は尋ねる私に向け言葉を濁し、まるでヨシヒサ君の事は触れて欲しく無さそうな表情を浮かべた。だから私はそれ以上聞く事はしなかった。 特別学級の生徒は私を含め障害を持っている。私の場合は発達障害となるのだろうか。他の生徒は知的障害とダウン症候群の子達だった。だから会話となると中々、上手にコミュニケーションは取れないし、いきなり怒ったりする子もいた。けれど基本的には仲は良かった。 そう言う生徒の集まりだから、いきなり学校に来れなくなるのもわからないでもなかった。 だからヨシヒサ君の姿が見えなくても、私以外の生徒は気にかける素振りは見せなかった。 日々、そんな同級生と一緒にいるといつしかあのサメの女の子の事も忘れていった。 そんなある土曜日の夜、私の町で火事が起こった。けたたましいサイレンが朝方まで続く、そんな夜中の火事だった。翌日の昼のニュースではこの町の火事の事を取り上げていた。民家三棟とアパートを一棟が全焼する大火事で、死者は民家の老夫婦2人とアパートの大学生1人、合計3人の死者が出るという大惨事が起きた。警察と消防の報告によればこの火事は放火が濃厚という話だった。 その話を聞き、私はすぐさまあの女の子の事を思い出した。黒焦げになったアパートを見ても、女の子の住んでいたアパートかどうか判別出来なかった。だから私は慌てて着替えを済ませ家を出た。勿論、あの女の子が住んでいたアパートを見に行く為だった。 けれど久しぶりに見る女の子のアパートは無事で不謹慎だけど少しばかりホッとした。 せっかくなので私はしばらく、アパートの近くで女の子を見張る事にした。家にいるかどうかはわからなかったけれど、1時間という時間を決めて待つ事にした。けれど女の子も両親も現れる事はなかった。私は諦めて町をふらつく事にした。最近、おざなりになっていた額に現れる数字の観察を久しぶりにやろうと思ったのだ。とりあえず人が沢山集まるデパートへ向かった。数歩歩くだけで汗が滲み出る。日焼け止めを塗って来なかった事を少しだけ後悔した。私は額の上に手を翳し、時折、ハンカチで汗を拭った。もし、デパートにあの女の子がいるとしたらゲームセンターか。私はデパートの入り口を抜ける。冷房の冷んやりとした空気が全身を癒やしてくれる。熱っぽい身体が少しずつ冷めていく感覚が気持ちよかった。私はその足でゲームセンターに向かった。 一周して見て回ったけれど女の子の姿はなかった。となれば屋上だろうか。そう思いエスカレーターに乗る。2階に向かう途中で、降りのエスカレーターに乗っている女の子を見つけた。思わず身を乗り出す。女の子は笑いが堪えられないのかニヤけ顔だった。私はその笑みに背筋がゾッとした。何故なら既に女の子の中のサメは真っ赤に染まっていたからだ。私は女の子から目が離せなかった。視線に気づいたのか笑いながら女の子がこちらを見上げた。わたしは目を逸らそうとしたが出来なかった。女の子は笑みをたたえたまま私を見返していた。すれ違いざまに左手を上げ手の平を広げて見せた。 そこには百円ライターが乗っていた。私はゾッとした。と同時に今、この瞬間、女の子がデパート内の何処かに火をつけたのではないかと思った。私はエスカレーターの立ち位置を横へずれて駆け上がった。屋上は4フロア先だ。私は人にぶつかりながら屋上へ急いだ。私の考えが杞憂に終わって欲しいと願った。屋上につくと私は真っ先にトイレに向かった。何故ならそこなら誰にも見られず火をつけられるからだ。 と思った矢先、女子トイレの入り口からモクモクと煙が出ていた。 「消化器!」子供連れの男性が大声を上げた。だがその男性は子供を抱き抱え、出口へと向かっていった。火災報知器が鳴り響く。遊具で遊んでいた家族連れが何事かと騒めいた。 「火事だ!」誰かの叫び声で一気に屋上はパニックに陥った。私は四方に視線を走らせた。非常階段付近に消化器があった。そちらへ走った。我を忘れたかのように消化器を掴むと女子トイレに向かい入り口に立ち消化器を噴霧した。どこが火の元がわからないから中に入りながら無我夢中で噴射しまくった。2つのうちの一つの扉を蹴り噴霧する。違っていた。もう一つの扉を蹴飛ばした。内開きの扉が便器に当たる。と同時に炎が立ち込めた。私は怯ながらも、炎に向かって消化器を噴射し続けた。 完全に炎を消し去ってもまだ、私は空になった消化器を持ちトイレ内に向かってホースを振り回していた。焦げた臭いと消化器の粉で咽び咳き込みながら、私はなおもその場に立ち続けていた。そんな私を駆けつけたデパートの警備員2人が抱え上げトイレの中から運び出した。私はそのまま屋上の入り口付近まで運ばれ、そこで待つよう指示された。2人のうちの1人が私に声をかけ怪我はないか?と尋ねた。私が頷くとその警備員はもう1人の警備員にトイレへ行き消化の確認をしろと指示を出した。 「はい!」という返事に私はこの2人は上司と部下なんだと思った。 部下の警備員はトイレ内の炎が完全に消化されてるのを確認すると、 「大丈夫です!」と声を張り上げた。 後になって聞いた話によると、どうやら炎はボヤ程度で、便器と扉が少し焦げた程度らしかった。私が冷静さを失い過剰に反応し過ぎたのかも知れない。でも火事だ!という声と火災報知器が鳴れば、一般市民の私がまともな神経でいられるわけがない。過剰に反応しない筈がない。私は警備員の声を聞いて飛び出しそうな程、激しく動悸を打つ胸を押さえながら心底、良かったと思った。その後、消防隊と警察が来るまで、私は警備室で待つように言われた。 消防隊の隊長と警察官から事情を聞かれ、 「とても勇気のある行動ですよ。中々出来る事じゃありません。もし貴女が消化活動をしなければ、火の手は広がり我々到着する頃にはもっと酷い火災になっていたかも知れません」 消防隊の隊長は私にそう言い敬礼をした。 私は背中がむず痒いような恥ずかしさを覚えながらも、頭を下げた。 けれど私はあのライターを見せつけて来た女の子の話は一切口にしなかった。私の中ではあの女の子が放火したのは間違いないと思っていた。けれど、女の子が放火したという確固たる証拠はどこにもないのだ。だから言うわけにはいかず、その事が心苦しかった。何故なら必ず次もあると、私は確信していたからだった。
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