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一 迎え人
采鈴は読みかけの書物を閉じた。誰かが自分のことを呼んでいるような気がしたのだ。采鈴は生まれてこの方、一度もこの小さな部屋から出たことがない。来客などあるわけもなく、一日のうちに何度か下働きの女が部屋にやってくるが、みな積極的に采鈴と話そうとはしない。事務的な会話のみで、親しげに采鈴の名前を呼んでくれる者は一人もいなかった。
自分のことを呼ぶ者がいるとすれば、思い当たる人物は一人いる。珠という名前の老巫女だ。珠は采鈴にとって親のような存在だった。
だが、采鈴はこの珠のことが苦手だった。珠は采鈴がきちんと巫女としての務めを行っているか確認しにくるのだが、何の前触れもなくやってくるため、采鈴は常に気を張っていなければならなかった。きちんと務めを果たしていたとしても、凍えるような冷たい目でしか采鈴のことを見てくれない。采鈴は珠の顔色を窺うだけで精一杯だった。
采鈴は恐る恐る襖に近づき耳をあてる。だが、襖を挟んだ先に人の気配はない。采鈴はほっと一息をつき、単なる気のせいだったと再び書物に手を伸ばそうとした。
「緋色の姫君」
采鈴はとっさに後ろを振り向く。さっきの霞むような声ではなく、耳元で囁かれたようなはっきりとした声に采鈴は動揺した。けれどもやはり、部屋にいるのは采鈴だけである。
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