ACt.1 霧深い森にて

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ACt.1 霧深い森にて

 鬱蒼とした、晴れることのない霧のむせぶ森の奥、古びた屋敷。  その屋敷へ続く粗野な道を、どこか怯えたような足取りで向かう一人の人影があった。  その人影は髪が長く、質素なドレスを纏っており、女性のようだ。  彼女は息を切らせながら屋敷の戸の前に立つと、小さく脆い生き物に触れるかのようにおずおずと手を伸ばし、ドアノッカーを掴む。  そして立派な木の扉を、ゴツゴツと鳴らした。  どうやら内側に小さな鐘が繋がっているらしく、叩く音と共にリンゴンと快活な音色が扉越しに耳に入って来る。  外観からも広く、立派な屋敷の為、扉が開くまではまだ些か時間がかかりそうであった。  が、予想よりも遥かに早く、扉がギィ…と音を立て開かれる。  そこには、向かって左側を漆黒の髪で隠して、眼鏡をかけた凛々しい目つきの黒服の青年が立っていた。 「お待たせいたしました。何か御用で?」  その青年の口から低く落ち着いた声音で問われた彼女は、 「あ、あの、悪魔祓(あくまばら)いの"ファーベリオン"のお宅は、こちらで間違いない、でしょうか……」 と訊ねた。  すると黒髪の青年は ふ、と微笑み、扉を大きく引き開けると、招き入れるように屋敷内を腕で示す。 「悪魔狩りのご依頼でしたか。中へどうぞ。お茶をお出ししましょう。」  こちらへ、と案内されるがまま、恐る恐る、といった様子で青年の背中を追って行く客人。  屋敷は、外観と同じく内装も立派で広いが、やけに人の気配がしない。  人の寄り付かない(いわ)く付きの森の奥で、人が居るのに人の気配のしない屋敷に通されている。  自ら踏み入ったとはいえ、その状況に怖気づいたのか、客人は落ち着かない様子であちらこちらに視線を泳がせていた。 「……申し訳ありません。この屋敷には僕を含め3人しか住んでいないもので。イヤに静かでしょう。」  静けさを不気味に思っているのを察知したかのように、青年は不意に口を開くと、そこから数歩進んだ所でピタリと立ち止まった。 「気味の悪いこととは思いますが、ご勘弁を。さあ、こちらへ。」  立ち止まった傍らに佇んでいた扉を押し開けると、青年は客人を部屋へと通す。  中では、向かい合うソファの間に設置してあるローテーブルを、また別の人物が拭いていた。  前下がりに切り揃えた灰色の髪に、目元を前髪で隠した人物。 「シェーリ、お客様です。お茶を。僕は兄さんを起こしてきます。」  シェーリと呼ばれたその人物は、客人の方へ顔を向けると、ゆるいバネで飛び上がるかのように立ち上がり、見えている口元に弧を描いた。 「ハァ〜イ。お茶取ってくるね。お客さんは座って待ってて〜。」  スカートを(ひるがえ)しながらソファの前から身を退け、どうぞ、とシェーリがソファへ促す。 「は、はい、失礼します……」  客人は未だ怯えたような様子でソファへそろりと歩み寄り、ゆっくりと腰を下ろした。 「ヴァルにぃ、おにい起こすのよろしくね、お客さん来たのに寝てちゃ──」  ゴトン  シェーリが黒髪の青年、ヴァルに話し掛けている最中、突如として部屋の上から何かが落ちたような音が鳴り響いた。  その場にいた全員が思わず天井へ視線を送る。  (しばら)(いぶか)しげに天井を眺めていたが、何かを勘付いたかのように、ヴァルは片手を頭に添え眉をしかめ、首を振っては「はぁ」とため息を()く。 「連れてきます。早急に。……全く、寝相の悪いお人だ。」  そうボヤくと、足早に部屋から去っていった。  部屋の戸口へ残されたシェーリは、苦笑を浮かべ、客人へ向き直ると、 「僕はお茶取ってくるから、待っててね。」 と部屋を後にし、一人残された客人の女性は、不安を抱いた様子でソファーに腰を沈めるのだった。 ────  ヴァルが客間へ戻ると、シェーリが客人の隣へ座り、声を掛けていた。  客人の緊張を解そうと努めてくれていたようで、隣で談笑する彼女の顔は来訪すぐの頃よりは柔らかいものになっているように思う。  ふと、ヴァルに気づいたシェーリがその姿に向かって頬をぷっくりさせ、腕をぶんぶん。 「おーそーい!」  部屋の時計を確認すると、起こしに行って10分は裕に経過していたようだ。 「お待たせしてしまってすみません。本当に起きなくて……。間もなく、来ると思いますので。」  そう言ってヴァルが向かいのソファへ歩み寄り、腰を下ろす。  すると、数分と待たず再び戸が開き、白い衣服を着こなした、スラリと背の高い容姿端麗な男が怪しげな笑みをたたえながら入ってきた。 「やあ、お待たせしてしまってすまないね。私はウィト。この屋敷の長でありそこの二人の……兄だ。悪魔狩りの依頼だそうだね。どうぞ、詳細を。」  男はソファに歩み寄りながら自らの名をウィトと述べ、流れる様に腰掛けると、話を促す。  そして客人は、ここ数週間で何者かに付きまとわれている気配を感じること、大怪我をしかねないような事象が偶然とは思えぬ状況で起こることなどを震える唇で語った。 「とても怖くて……このままでは、私――」 「殺されはしないさ。」  客人が先の言葉を紡ぐのを制するようにウィトが口を挟む。  下手をすれば死んでいたかもしれないのにそんな筈はない、と言いたげに開いた客人の唇を、ウィトは人差し指を押し当て塞いだ。 「悪魔は人間の負の感情がエネルギー化したもの…瘴気(しょうき)が主たる活力源だ。その瘴気にも質があり、感情の強さによって左右される。故に、良質な感情を抱く人間を、悪魔たちはそう易易(やすやす)と殺しはしない。」  唇を押さえていた指をパッと退け、ソファにかけ直したウィトを客人は呆気にとられた様子で見つめ、困ったように視線を下に泳がせては口をパクパクさせる。 「見たところ、君は臆病で、怖がりだろう?その性質が悪魔を引き寄せているのさ。」  淡々と指摘された事実に、客人は何も言い返せない様子で口を噤んでしまった。 「それはともかく、だ。君には悪魔が付いていて、瘴気を搾取する為に日々を脅かされている。それは間違いないだろう。」  その言葉を聞くと、客人はハッとした様子で前を向き、 「そっ、それじゃあ、いただけるんですね…!」 と、やっと恐ろしい日々から解放されるのだという期待と安堵の表情で声を張り上げた。が、またもウィトは「一ついいかな、」と腰を浮かせた彼女を静止する。 「すまないね、何度も。ただ勘違いしないでほしいんだ、我々は悪魔を"祓う"訳ではない。」  客人は先程までの期待を裏切られたような、悲しそうな顔を浮かべ、視線を俯かせながら身を引いてゆく。 「我々は、"祓う"のでは無く、"狩る"のです。悪魔を。」  ヴァルが徐に口を開き、ウィトの言葉の先を繋げていった。 「悪魔祓い、とは付きまとっていた悪魔は健在のまま、対象者からだけのものです。祓魔師に言われた約束事を守っている限り、その悪魔は近寄れません。しかし、その約束事を1度でも怠れば、すぐにでも戻ってくるでしょう。しかし、僕らのやり方は違う。狩る。つまりは、""のです。」  元来"払う"のみが限度の悪魔を"殺す"と聞いた客人は目を丸くし、そんな事が簡単にできるのかと問いたげに顔を歪める。  その顔にクス、と笑いを零し、ウィトは言う。 「我々はらしくてね。殺せてしまうのだよ。それに、払うのと違って、約束事なんてものも無い。ついている悪魔を狩ればもう、その悪魔から付きまとわれることはないんだよ。」  そんなところだろうか、とウィトがヴァルとシェーリへ視線を送ると、二人は静かに首を縦に振る。  視線を客人へと戻し、ウィトは「さて」と口を開く。 「では早速だが、悪魔狩りを始めようか。」
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