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入港
夜が明けようとしていた。その陽を背にして、ゆっくりと俺の乗った艦は静かに航行していた。
陸が近づくにつれ、その緑の色が濃くなっていく。海上では季節感があまりなく、ようやくこうして陸を見ることで、ああもう春なんだなと感じることができる。
だからこそ、すでに当直勤務を終えた俺も駆り出されたのだ。春の、とくに早朝は霧が発生しやすいためだ。
劔崎(つるぎさき)燈台を左手に見て、艦は北へ。中央水道に船影はなかったが、湾内に入ったあたりからやはり霧が出てきて、哨戒の当直士官以外にも非番の士官や若い水兵たちが多く駆りだされ、見張りに立たされていた。
「前方に第二海堡」
「取り舵十五度、中速前進」
「取り舵十五度、中速前進ヨーソロー」
艦橋ではちょっとした緊張が張り詰めていた。この時期、漁船が多く沿岸や湾内に遊弋している。霧で視界が悪くなっているため、それらと衝突の恐れがあるのだ。哨戒の兵はまさに血まなこで海上を見つめている。
「先任、警笛を」
「警笛、五秒間」
大きな警笛がまるで霧を押しのけるように海上に広がっていく。それでも次第に霧は濃くなるいっぽうだった。
「こいつはどうにもなりません。駆逐艦を随伴するんでしたね」
九州付近で二隻の随伴する駆逐艦と別れ、単艦で東京湾に向かったのだ。
「しかたない、微速前進。探照灯点灯。警笛は絶やすな」
艦長の水原大佐は、真っ白な視界しか覗けない双眼鏡から目を離し、傍らの亜月大尉の顔を呆れたように見やった。
初の外洋遠征だった二等巡洋艦『遠野』は、母港呉から出港し、上海やインドをまわり、約半年かけて帰還した。佐世保に入港直前、海軍司令部から突如海軍基地のある横須賀に来いとの命令を受け、日本列島を北上、いま横須賀軍港に入港しようとしていた。
「艦長、横須賀海軍司令部より入電です」
「読んでくれたまえ」
「貴艦入港に際し、一二:○○時、駆逐艦『夕月』と会合せよ、と」
「へえ、こいつはありがたい。貴婦人がエスコートしてくださるそうだ。みな、シワの入ったズボンなんかはいてると袖にされちまうぞ」
艦長がおどけてそう言った。士官下士官ともみな笑った。正午、時間通り駆逐艦と会合した『遠野』は、ゆっくりと鎮台庁舎のある横須賀軍港に向かった。
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