たまゆらの螢

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*  橋を渡った先には、川に沿うように若草色の田園が広がっている。稲が風にそよぐさまは、さながら打ち寄せる波のようだ。黄金色の稲穂はみな(こうべ)を垂れ、収穫されるのを今か今かと待っている。  僅かばかりの田園のすぐ向こうにはもう山が迫っていて、田園と山に挟まれるかたちで小さな民家が建ち並んでいた。  その民家の一番西の端が「おばちゃんの店」だ。  ちょっとした日用品や調味料、駄菓子など、いろんなものが雑然と置いてある。お客さんがいても奥の茶の間で家族がごはんを食べているような店である。  暑い季節になると、おばちゃんがかき氷を作ってくれる。颯太は小さい頃から、おばちゃんのかき氷が大好きなのだ。 「おーい、おばちゃーん。お店やっちゅう?」  開けっぱなしの、茶色く煤けたようなガラス戸から中を覗き込んだ颯太が、手ぬぐいで首筋の汗を拭きながら元気に声をかける。 「あれぇ、おばちゃん、おらんがか?」  おばちゃんの代わりに、店先に吊るされた風鈴がチリンと涼しげに答えた。  おかしいなあとブツブツ言っている颯太を押しのけて、私は店の片隅にある小さなテーブルについた。 「入り口は開いちゅうがじゃもんな、おばちゃん、どこか出掛けてんのかもしれんけど、ざんじ(すぐに)帰ってくるろうね」  独り言を呟きながら、颯太が私の向かいに座り、颯太のとなりに咲哉が座った。  涼やかな風が、むき出しの腕をそっと撫でる。風鈴の透明な音が長く尾をひき、胸にすぅっと染み込んでくる。  ふと影がさしたように感じて目を上げると、いつの間にか“おばちゃん”が颯太の後ろに立っていた。私たちが子どもだった頃から変わらない、強くて優しい眼差し。 「いちごシロップのかき氷を、三つください」  私がそう注文すると、おばちゃんは暫しなにか考え込むような、少し難しい顔をしてから、小さく笑って頷いた。
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