およそ人の世は

1/1
66人が本棚に入れています
本棚に追加
/105ページ

およそ人の世は

「およそ人の世というものは儚いものだ」 そんなことを口癖のように言っていた父が、流行り病であっさりこの世を去ることになってしまったのは、なんという皮肉だろう。 遠く欧羅巴(ヨーロッパ)で繰り広げられた戦争の影響で、日本は世界一等国並みの債権国となっているとか。そんなことは、私にはよくわからないことだけれど。 でも、そのおかげで、我が家の蔵もすこぅし潤っていたらしい。 実家は運送業を営んでおり、陸路水路関係なく、米や塩、海産物を運んでいた。日本全国の業者と関係があったほど、手広く商売をやっていたそうだ。 “ らしい ” “ そうだ ” ばかりだが、仕方ない。 私は当時16歳。 女学校に通っていて、家のことやお金の流れなど、世間のことは何も知らない娘だったのだから。 よく言えば幸せに、悪く言えば「うすらぼんやり」と、私は平々凡々たる日々を過ごしていた。 しかし、『一寸先は闇』とはよく言ったもので。 大流行していたスペイン風邪の暴風(おおあらし)に、我が家もさらされてしまった。 家族全員が罹患したのだが、大黒柱である父だけが亡くなってしまったのだ。 そこからはもう大混乱。 なにしろ、父が実務面から全て、ひとりで差配(さはい)していたのだから。 使用人は大勢いた。当面は、大番頭や小番頭といった生え抜きの雇い人たちが、商売を続けてくれることになった。 父を喪った悲しみの中、母は気丈にも夜寝る暇もなく、おそらく生まれて初めて商売に取り組んだ。 その頃の母のことを思い出すと、涙が出てくる。綺麗に結った艶髪(つやがみ)が、一気に白髪が目立つようになった。それほど苦しい日々だったのだ。なのに私ときたら、毎日父のことを思い出して泣くばかりで、何もお手伝い出来なかった……。 ある朝のこと、母の悲鳴が家中にとどろいた。 金庫にあった債券や現金が全て消えていたのだ。 見つけたのは、祖父の代から働いてくれている大番頭さん。 「ど、泥棒?」 「いや……」 漏れ聞こえる母と大番頭さんの会話に、私と妹の律子は息をこらして聞き入る。 「八助のやつかもしれません」 「え?」 八助とは、小番頭さんだ。 「さっき慌ててあいつを呼びにやらしたんですが、家はもぬけの殻でした」 「うそ!」 その後は、「奥様!」という婆やの切羽詰まった声と、母の泣き声が響くばかり。 この日を境に、我が家の暮らしは一変してしまった。 商売を続けようにも、元手も無く後継者もいない。いずれは長女である私文子(ふみこ)か、律子が嗣ぐ(つぐ)ことになっていた淡路屋海運は、一夜にして瓦解(がかい)してしまったのである。
/105ページ

最初のコメントを投稿しよう!