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 秋も深まり始め、中間テストを終えた生徒たちは、一ヶ月後に迫った文化祭の準備を楽しそうに始めていた。  その様子を眺めていた衿子(えりこ)は、小さなため息をつく。元々人見知りでクラスメイトたちとも関わりが少なかった衿子は、文化祭も間接的に関わるくらいだった。  ただ成績が優秀だったことが幸いし、休み時間に机に向かって勉強していても何も言われない。それが佐倉(さくら)衿子のイメージであって、それ以上誰も何も気に留めなかったし、彼女自身もその空気のような存在感を気に入っていた。  深入りしたって悩み事が増えるだけだもの。それならこのままでいだ方が楽だわ。イメージは自分自身を守るための鎧だと思っていた。  生徒がまばらになった放課後。帰ろうとして靴箱を開けた瞬間、衿子の鼻先に芳醇な香りが広がり、思わずため息が溢れる。  この香りーーもしかしてバラ?  いつもなら土とゴムの、お世辞にもいい香りとは言えない靴箱から、こんなに心をときめかせる香りがするなんて。  衿子の靴の手前には、ピンク色のバラが一輪置かれていた。一瞬ドキッとしたものの、すぐに現実に引き戻される。  何故私の靴箱にバラが入っているの? まさかわたしに? でも手紙とかはないし、今の時代にそんな古風なことをする人がいるとは思えない。私は妖精さんが入れたなんて考えるような乙女じゃないし。きっと誰かが間違えて入れたのね。  衿子は周りをキョロキョロ見回し、誰もいないことを確認してからバラを手に取ると、そっと鼻を近づける。なんで優しく甘い香りかしら……。例え間違いであってもここは私の靴箱だし、捨ててしまうのは可哀想。私がもらったっていいわよね。  ポケットからハンカチを取り出すと、そっと包んでカバンに入れる。思わず口元が緩み、不思議と気分が高揚するのを感じた。  このバラ、なんていう名前なのかしらーー気になり始めると居ても立っても居られなくなり、(きびす)を返すと図書館に向かって歩き出す。  昇降口を出てから百歩ほど歩いた所にある図書館は馴染みの場所ではあったが、いつもとは違い、階段を昇る足取りが軽かった。
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