第1話

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第1話

 月明かりだけで照らされた一軒家の、二階の窓が開け放たれていた。  間口いっぱいに渡り、広く造られているその窓には、景色を楽しめるように、外向きに書斎机が据えられていた。  飯田徳明(いいだのりあき)の目の前には、月夜に浮かんだ田舎の風景が広がっていたのだが、彼は腕組みしながら机の上を凝視していた。  すると突然、彼の頭上を方向感覚を失ったカナブンが、弾丸のように通り抜け、天井の照明にバシッと命中、ポトリと落ちた。彼は特段気にすることもなく、机の上をじっと見つめたままだった。 「なんとなく雰囲気を作ってみたけど、やっぱりガラじゃないよなぁ」  徳明はそう言うと、机の上に置いてあった書きかけの文章をクシャクシャッと丸めて、薄汚いゴミ箱にポーンと放り投げた。  それは、ゴミ箱のヘリに当たってポトリと外に落ちた。 「この距離で外すかよッ」  徳明は、すくっと立ち上がり、紙クズを拾い上げると、力任せに圧縮して大きく振りかぶった。  しかしすぐに両肩をダランと弛緩させ、わずか数センチの距離からポイッとゴミ箱に投げ入れた。そしてまたそれは、ヘリに当たって床に落ちた。  徳明は机に座り、頬杖をつきながら窓の外を眺めてみた。机の上には〝遺書〟と書かれた封筒が置いてある。 「おじさんの最後あたりは、こんな田舎で独り……何を考えていたのかねぇ」    ブルブルブルブル。    ポケットの携帯端末が着信を知らせた。徳明は発信元に〝高橋〟と表示してあるのを見つけると、浮かない顔で電話を取った。 「なんだよ。借金とりか? もしくは退職金上乗せしてくれるのかよ」 『なんだとはなんだ。だいぶ擦れているな。まあいい。本当は会って話をしたかったが、どうしてもお前が見つからなくてな。今どこにいるんだ?』  電話の主は、少し怒ったような、それでいて少し寂しげな口調で言った。 「おじさんの――いや、相当な田舎のど真ん中にいる」 『なんだ。東京にはいないのか。どうりで捕まらないと思った』 「わかったなら良いだろ。もう、そっちには帰らないから。用がないなら切るよ。忙しいんだ」 『待ってくれ、そうじゃない、仕事の話だ。高千代(たかちよ)社長と話がついた。破格の条件で再雇用できるんだ』 「なんだよ。また副社長にしてくれるのか」 『い、いや。すまん。そうじゃない』 「なら、やんなーい」 『待てッ、条件は本当にお前にピッタリだと思う。ただ、その……役職は参与職だ』 「はぁ、参与? 部下もなしの名誉職か? どこが破格なんだよ」 『破格の待遇とは言ってないぞ、破格の条件だ。好きな場所で、好きな研究をやれるんだ。そのための予算は十分確保する』 「好きな場所で好きな研究だとぉ」 『そうだ。給与は一般参与と変わらないが、それは成果が上がらなくても支払われる最低保証額だ。研究テーマと研究場所はお前の自由にしていい。加えて研究成果も全てお前のものにしていい。特許も取り放題、費用は会社持ち。弁理士に丸投げでいい。しかも成果については、会社が買い取るか、特許料として支払うか、もっと良い方法があればそれでいい。お前が決めれるんだ。とにかく、内容によってお前の取り分は青天井に設定できるということだ。な? どうだ? 先ずはお前の意見を聞かせてくれ、悪いようにはしないから』 「それは……」  電話の声の主は、ややトーンを落として、諭すように言った。 『確かに高千代と俺とお前、三人で作った会社なのに、理由はどうであれ、お前を追い出すような形になって後ろめたくはある。ただもう済んだことだし、義理や情けでオファーかけているわけではないんだ。お前の能力を買っているんだよ。よく考えてくれ、お前のあの特殊技能、ノウハウは未だ誰も真似できていないんだ。会社はお前が必要なんだよ。とりあえず会って話をしよう』  突然、徳明は茹でダコのように赤くなった。そして携帯端末を壁に投げつけ――ようとして、肩をだらんと弛緩させ、プツンと通話を切った。 「わかっているんだ。もう僕は用済みさ。アイツ等だって、それがわかっているからあんな条件……チッ馬鹿にしやがって」  力なく椅子に座って、またぼーっと外を眺めながら、ポツンといった。 「もう、しがらみはすべてなくなった。最後の身内だった魚沼のおじさんも、もういない。社会との接点は残っていない。ついでに金も運も使い果たした。人生潮時だよな。にしてもどこから狂ったのか?」  しばらく考えて、徳明は思い出したように言った。 「ああ、半年前。会社を追い出されるタイミングでの初めての喪主。友引だったからなぁ。あれからバタバタ大事な人がいなくなった。最後はここに住んでいたおじさんだ」  徳明は空のグラスに焼酎を注いだ。そして、氷も入れずそのままグイッと飲み干した。 「でも仕方ないだろう。友引が安いとか知らなかったんだ。金が心許なかったしなぁ。しかし今思えば、あの時はまだ金持ちだった。今はもう何もない。家族も友達も金も……ちっ金さえあれば命も買える時代なのに。糞ッ」  株式会社ALADIN。  高千代、高橋、それと徳明の三人で作った会社だ。たった三人ではじめた会社だったが、それぞれの持ち味を活かせる最高の三人だった。  高千代は、商売に対し天性の才能があった。会社立ち上げ時の不安定な時期に、潰れそうで潰れなかったのは間違いなく高千代のお陰だった。困った時にどこからともなく仕事を持ってくる、頼りになるやつだ。それにどんなにどん底でも夢を語れる熱血漢でもあった。ある意味社長になって当然の人物だろう。  高橋は、コミュニケーションの達人だった。どんな揉め事も、彼にかかればいつの間にか円満解決してしまう。それは会社が中小企業になってから頭角をあらわした。社内が一丸となって目標に向けて躍進できたのは、実は彼のお陰だと徳明は考えていた。高千代は時にビジョンを大きくし過ぎて暴走するときがあった。それを角が立たないようにこっそり誘導していた事を、徳明だけは気づいていた。  しかし、ALADINが、電化製品から医療機器まで作れる世界有数の総合メーカーに急成長できたのは、実は徳明のお陰だった。  彼は、リバースエンジニアリングの天才だった。  つまり、既存製品のコピー。コピーと言っても見えるメカ機構だけではない。電化製品に搭載されたプログラムを抽出し、再構成して誰でも利用可能な状態にまで整備する、ハッキング技術に精通していた。  それはコンピュータ制御、果てはAI制御まで、通常だったら分析不可能な製品までも複製可能なくらい、人間離れしているものだった。  もっとも、それを可能にするのは彼自身が設計した、いわゆる〝テンペスト攻撃〟を応用した特殊装置によるものが大きい。  徳明は自ら作ったその特殊装置群の事を、ZTPと呼んでいた。ZTPは一つの装置ではなく、複数の装置と複数の手法を合わせた物で、徳明以外には扱えなかった。  ただ、他人には扱えない面倒な代物でも一旦製品コピーしてしまえば関係ない。  そして、この技術が、後発メーカーだったALADINが瞬く間に、業界の上位に駆け昇る原動力となったのだ。  しかし、それは過去の事だ。  一旦上に行ってしまうと、つまり会社が業界トップの地位まで昇り詰めると、それは最先端技術の戦いとなる。  トップメーカーには猿真似は通用しないのだ。  それにリバースエンジニアリングは、はっきり言って違法である。バレなきゃわからないという類の代物だ。会社がデカくなれば致命傷になりかねない。  そういった理由で、徳明の立場は皮肉な事に会社が発展すればするほど、必要とされなくなっていったのだ。 「高橋のヤツ、僕が新しい技術を生み出せないのを見透かしてあんな条件つけてきたんだ。いやまてよ。高千代の入れ知恵か? 糞ッ」  ブルブルブルブル。  また着信があった。徳明は、発信元を見てまたため息をつく。 「もしもし」 『飯田さんですか?』  電話の主は若い女性だった。 「ええ。あの件ですよね。すいません今はちょっと払えません」 『そうですか……でも』 「わかっていますよ。えーっと後一ヶ月でしたね」 『はい。今から丁度一ヶ月です。BPCS手術は、適用できる期間が法律で決まっているんです。とっても新しい治療法ですから。もし適用期間を超えますと――』 「ええ、従来型の延命治療に移行するんですよね? ネットで調べていますよ。僕の場合どのくらい延命できますか?」 『ああ、そうなんですね。半年から一年だとは思いますが、なんとも言えません。あのさしでがましいようですが、その……』 「ほんと(まき)さんには、感謝しています。医療アドバイザーとしての契約はとっくに切れているのに、こんなに良くしてもらって。でもこれ以上甘えるのも何ですから。この件は、こちらからご連絡させていただきますので」 「あ――」    通話を切ったあと、徳明は、プッと力なく笑った。 「正に万策尽きた……か。せめて一年早く見つかっていたら、金なんてどうとでもなったのに」  椅子の背にもたれかかって、バンザイの体勢で伸びをしてみた。 「BPCS手術か……PPCS、プラスチックの細胞を生体細胞に置き換える手術を応用した生体細胞置換手術……。異常細胞の上から生体3Dプリンタで正常細胞を上書きプリント。とんでもない技術だよなぁ。ただし欠点はカネがかかる。貧困層と富裕層が二極化した現代では、悪魔の技術なのかもしれない。僕がコピーできなかった数少ない医療機械だ」  徳明は、ほとんどの商品をリバースエンジニアリングできたが、生体細胞を自動置換するPPCSやBPCS装置に関してはそれができなかった。  BPCS装置は、細胞スキャン装置で読み取った細胞情報を元に、バイオ3Dプリンタで正常細胞を上書きするというものだった。  スキャン装置もプリンタも徳明の技術を持ってすればなんの問題もなくコピーできた。  しかしプリント制御システムのコピーは不可能だったのだ。  理由は簡単だ。製品を解析、コピーするにはコピー元、現物が必要で、制御プログラムも現物の製品内にある。  しかしBPCSの細胞書き換えには、莫大な計算が必要で、製品内部では処理できない。それはできるのは当時の開発元、能古見(のこみ)病院に設置してある世界最大級の量子コンピュータだけだった。  つまり現物は法人所有のプライベートな大型コンピュータで秘匿されている。コピーしようがなかったのだ。 「せめて特許が取られていればなんとかなったかもだけど、肝心なところは完全なブラックボックスだったからな。残された手は、能古見病院をハッキングするしかなかったのだけど」  徳明は、ハッキング技術にも長けていた。実際、ZTP技術の中には設計図を会社から盗むハッキング技術も含まれている。そう考えた時、徳明はハタと気がついた。 「よくよく考えると不思議なんだよな。量子コンピュータが設置してあるのは、たかが私立病院でしょ? ペンタゴンにも潜入できる僕が、ハッキングできなかったって。おかしいといえばおかしいよなぁ。まあーあの時は、盗んだところで、あのクラスの量子コンピュータを用意できなかったから無駄だと分かっていたし、それ以前に同様の製品を出したらばれる可能性が高い、危険を犯す必要はないので無理はしなかったけど」  その時、また徳明の頭をピョンと虫が飛び越えた。今度は照明に当たらず、すぐ後ろに着地したらしい。 「また虫か……網戸閉めるか」  徳明が、虫が着地した方向を見ると、それは手のひらサイズ、十センチ近くあるかなり大きめのバッタだった。 「え? この時期にバッタ?」  不思議に思って、バッタを見た徳明は、言いようのない違和感を感じた。 「これって……」  バッタをそっと掴んでみる、逃げるかと思ったが、難なく捕まった。と、同時に目を溺れんばかりに見開いて驚いた。 「まじかよ! こいつ、玩具(おもちゃ)のバッタだ。なんて精巧な」  手触りでわかった。金属ではなかったが、バッタを触ったときの感触が全く違う。明らかに生体ではない。何かの機械だと分かった。 「最近の玩具は、こんなに進んでいるのか?」  徳明は、玩具のバッタを掴んだまま、急いで家の地下室に走り降りた。 「ここだと逃げられないだろう」  地下室の中には、沢山の測定器や加工機がおいてあって、さながら何か工場か研究所といったところだ。  機械の手入れは行き届いてないらしく、薄っすらホコリが積もっていたが、真ん中のワークテーブルだけは綺麗に拭き上げられている。  実は徳明が掃除をしようとやり始めてみたものの、あまりの量の多さに早々に断念したのだった。それぐらいの広い部屋で、様々な装置が置かれていた。  そのワークテーブルの中央にバッタを置いてみた。  バッタは、手をすり合わせたり、触覚を触ったりしている。その動きはまるで生きているバッタそのものだった。とても作り物には見えない。  徳明は、興奮を隠せなかった。一通り見渡して品番らしきものがない事を確認すると、写真にとり直ぐにネットで検索してみる。 「おっかしいな。該当機種なし。本物としか判定されないな」  検索AIには〝新種のバッタの可能性があります、報告しますか?〟 と表示されている。  その時、徳明の脳裏にある考えが浮かんだ。 「もしや、これは魚沼の〝おっちゃん〟が創った一点ものじゃないか?」  この家は、先日事故で突然なくなった魚沼のおじさんの持ち家で、身寄りのなかったおじさんの家を、そのまま相続した訳だった。その魚沼のおじさんの実父にあたるのが、彼が〝おっちゃん〟と呼ぶ人物だ。  この人物、実はとある筋では有名な技術者だったらしい。子供の頃、近くに住んでいた徳明は、この家に入り浸って、〝おっちゃん〟から色々と技術を学んでいたのだ。徳明の技術のルーツは間違いなく、この〝おっちゃん〟にあった。  おっちゃんは、元々、自分の家の地下室に当時勤めていた会社の設備を持ち込んで、リモートワークしながら開発に励んでいたのだった。  この家の地下が研究室になっているのはそのせいだ。おっちゃんは、ある時、ここの設備を丸ごと会社から買い取って、自分の会社を立ち上げたと聞く。 「たしか(・・・)、おっちゃんは、会社をやめてすぐ、亡くなったんだよな。まあ生きていりゃ、僕らが会社作ったときも少し楽になったかもだけど。あれから三十年か……こいつはおっちゃんの仕事じゃないな」  徳明は、すぐにこの玩具がおっちゃんが作った可能性が低いということに気づいた。  たしかにあの〝おっちゃん〟なら、こんな精工な玩具を作れるかもしれない。  しかし、この類の玩具が、三十年の耐久性能を持っていることは少ない。  メカとは複雑になればなるほど耐久性能が落ちるものだ。とどのつまり、大きくて単純な機械は長持ちする。小さくて精巧な機械は、時計など一部の例外を除き、耐用年数は低いものだ。 「こんな精巧に作られたメカが、庭で雨風にうたれて三十年も持つはずがないからな。しかもその前にバッテリーの充電が切れる」   もしかしたら、〝おっちゃん〟の息子である魚沼のおじさんなら、この玩具を、最近まで充電できていた、かもしれない。だが、その考えを徳明は自身で否定した。 「魚沼のおじさんは、おっちゃんと違ってメカ音痴だから、充電して遊ぶとか酔狂な真似は絶対しない」  しかしその自分の考えに疑いを持った。 「いや待てよ? 魚沼のおじさん、一人の寂しさに堪りかねてバッタと戯れていた? のかも? いや、そんなバカな。ああそうだ。太陽電池や、温度差発電みたいな線も、ないとは言い切れないか……なにせ、おっちゃんマニアックな人だったからな」  そう思いながら、バッタの動きや造りを観察していた。 「どう見てもバッタそのものだ。それに充電ポートも見当たらない……。あ……ロボット掃除機みたいに、自分で勝手に充電ポートに移動して、充電。端子はなくても電磁誘導充電って線もあるな。しかしこの大きさで電磁誘導アンテナつけれるのか? あーつけれないこともないな」  徳明の技術者魂に火がついた。三十年も前の、おっちゃんの姿が目に浮かび、 「どうだ? 凄いだろ?」  と、挑戦されている気がしてきた。 「一丁調べてみますか? 先ずは性能評価、どんな機能があるかだね。玉乗りとか、できたら面白いけど。ありそうなのはジャンプとかかな。さてトリガーは何かな? ベタで行くと音声認識」  徳明は、〝ジャーンプ〟と音声コマンドを言おうとして、 「え?」  と、目を丸くした。  玩具のバッタは、その場でピョーンと上に大ジャンプしたのだ。  その跳躍が凄まじい。丁度天井辺りまでの綺麗なジャンプだった。  徳明は腕組みして顎に手を当てた。彼が本気で考え込むときのお決まりのポーズだ。 「まさか……いやまさかよね」  徳明は恐る恐る、〝小ジャンプ、小ジャンプ〟と思って(・・・)みた。  バッタはその場で、ピョンピョンとジャンプした。その後も同じようにやってみたが、思うだけで、バッタは律儀にジャンプした。それもイメージ通りの高さのジャンプを。  徳明はあたりを見渡して、ガラス製の瓶を取ってくると、テーブルに乗せて思ってみた。〝バッタちゃん、ちょーっとバランス取って乗ってくれないかな?〟  そして、その通りになった。  バッタは、身の丈より若干小さい円筒形の瓶の上を少し窮屈そうに、しかし絶妙なバランスを取りながら、瓶を前、後と前後に揺らすように乗りこなした。  もはや疑いようがない。 「まじかよ。脳波コントロール? 絶対、あの、〝おっちゃん〟の仕事だ。こんなとんでもない物を作れるのは〝おっちゃん〟しかありえない」  今の技術では、脳波入力装置は、そう難しい技術ではなかった。ただ、ヘルメット型が多い。理由は、ある程度脳に近くないと読み取れないからだった。 「こんなに離れていてそれが可能なのか? いや、それ以前に、この大きさでそれがやれるのか?」  同時に抑えきれない衝動が湧き上がった。 「分解してぇ。原理をコピーして、複製を造りたい」  
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