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遅れた自己紹介
十年前、まだ私が中学生だった頃、父が家出した。家出の理由は薄々気付いている。なにせ父は家を出る前日に「ごめんな、父さんもう疲れちゃったんだ…」と、何もかも諦めた表情で私に告げたから。
父にすれば家はやすらげる場所ではなかったと思う。
仕事から帰れば毎日母からの詰問責め。
やれ、メールがない。
やれ、帰宅が前日より遅い。
浮気だ。
相手は誰だ。
些細なことで父を疑い異常な執着を見せていた。
違うと言っても信じない。
不貞などないと言っても責め立てられる。
嫉妬深い母が会社に押しかけ騒ぎを起こすこともあり、父が転職を余儀なくされたのは片手以上だった。
こんな生活じゃ逃げたくもなる。
理解はするけれど、情緒不安定な母の元に残された私達の事はどう思っていたのだろう。
父が家出した五年後、抜け殻のように家に引きこもっていた母がある日突然、行方をくらました。
心配したが頼る身内もない私は大学を中退して弟を守ることに精一杯。
余裕がなかったかもしれない。
目先の生活に追われていたら、守るはずだった弟は気付いたら悪い仲間とツルみ帰って来なくなっていた。
父が去り母が去り弟が去った家。
亡き祖父母の持ち家は、たった一人残された私に質素ながらも生き抜く土台を与えてくれたと思う。
それが一変したのは昨夜のこと。
五年間、音信不通だった弟が帰って来たのだ。
『ねーちゃんねーちゃんお久〜。元気だった? ちょっと困った事になってさ〜、助けて欲しいんだよね〜』
軽い調子に面食らっている間に、はいこれ宜しく、と荷物と一緒に推定一歳ほどの赤子を渡される。
『は?』
『手短かに説明するよ。その赤ん坊は俺の子で間違いないから安心してね。ここからが重要なんだけどさ、ちょっとヤバい筋からお金借りちゃって〜、今追われてんだよね』
『は?』
『借りたのは30万なのにあっという間に何百万にもなっててさ〜、返せるわけないじゃん?赤ん坊連れて逃げれないからねーちゃんに任せたいんだ。ほとぼりが覚めたら戻るよ。ああ、あと借金取りが来たら何とかしてね。頼れるのねーちゃんだけなんだ。ホント急でごめんね。捕まったらマグロ漁船かカニ漁か下手したら臓器売られちゃうの。ねーちゃんも可愛い弟がそんな目に合って欲しくないでしょう?』
怒涛の情報にかける言葉が出て来ない。
そうこしていたら、私の腕の中ですやすや眠る赤ん坊にキスをすると、弟は颯爽と闇夜に紛れて行ったのだ。
「……ということです」
ほぼ生きて来た中身、要らなかった前振りまで全部話したのは、簡易ベビーベッドの布団で機嫌良くしている赤ん坊を凝視して凝り固まっている、通称黒髪に少しでも憐れんで貰う為である。
いや、それもあるけれど。
ただ単に言いたかっただけかもしれない。
初対面だし扉ぶっ壊すヤバい奴だけど、長年に渡り蓄積した鬱憤をぶつけれる対象として、チャンスとばかりに口が止まらなかったのだ。
「ですから、貴方の妹さんの事は知りません」
「妹は……理沙はまだ16歳なんだぞ……」
「私の弟は今年で17歳です」
黒髪さんよ。
貴方も現実に驚愕してるかもしれないが、私だって昨夜から驚きの連続なのだ。
責めるのはよしてくれないかな。
いくら耐性があるとはいえ、これ以上どえらい情報は要らない。
「ちなみに貴方は何歳で誰ですか」
「木戸 颯太、27歳。お前は?」
「一ノ瀬 麻衣、24歳です。もしかして妹さんも行方知れずなんですか?」
「ああ……一年ほど前に出てったきりだ。やっと手掛りを見つけたと思ったのにひと足遅かったようだ」
あの剣幕じゃ鉢合わせなくて良かっただろう。
ボコられたスキンヘッドと弟が重なった。
私も未成年を孕ました事実を昨夜知っていれば、きっとどつき回していたに違いない。
「こっちの家庭環境も複雑でな。理沙は義父の連れ子で血は繋がってない。と言っても再婚同士の両親はすぐ破綻したから実質俺が理沙を育てたようなものだ」
「ご苦労されたんですね」
「お前ほどじゃない」
いやいや、どっちが上かなんてないだろう。
言い方に語弊はあるけど互いに家族の面倒事に巻き込まれている。絶賛エンドレスで。
「扉を壊して悪かった。赤ん坊がいると分かってたらちゃんとした」
「居なくてもちゃんとするのが常識です」
「修理代は出そう。大丈夫だと思うが例のチンピラの件もある。お前と赤ん坊はひとまず俺の家に来い」
私だけなら辞退しただろう。
しかし赤ちゃんに何かあっては大変なので選択肢は一つだ。
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