エピローグ

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エピローグ

 あの人も今、目を覚ましている頃だろうか?  ベッドサイドのカーテンの隙間から僅かに覗く、薄ら白い空を見上げていた。  5年経った今でも、夏のひざしが降りそそぐ静かな朝に包まれるたび、彼の面影を探してしまう。  背中を包むやわらかな体温。  肌を這う熱い手の平。  耳元をかすめるアルコールの混じった気怠い息。  自分が誰なのかすら忘れるくらい、あの人は確かに私の中にいた。  渓を受け入れたあとに迎える朝は、きまって私の心と体に刻印された、あの人の感覚が蘇ってくる。  「起きているのか?」  背中で渓の掠れた声がした。  太い腕が私の冷えた背中を包み込むと、細い脇をすり抜けた手が無作為に柔らかい2つの膨らみを掴む。  「う、ん‥‥今起きたとこ」  微かに声が揺らいだのは別の理由。  渓がそれに気付いていないことを願った。  指先で心の奥を探られる前に、なるべくやさしくその手を解くと、濃厚な夢の続きから這い出るように彼の腕の中へ戻る。  もう何年にも渡って滲み付いた安定した匂い。  「おはよう。朝ごはん、甘いスクランブルエッグでいい?」  「あぁ、頼む」  渓は眠気眼の乾いた唇で、私の額に音を立てて口付けた。  灰色の凪いだシーツの海から腕を伸ばし、広げ落ちた服を拾い上げると、大きな腕の中から出て行く。  「未希‥‥」  どこか寂しげな声が背中に触れる。  振り向くと、彼は私の体の古傷を見つめている。さりげなくその場所を服で隠した。  「ん?」  「あ、いや‥‥そうだな、いつもより甘めにしてくれ。コーヒーは先にほしい」  「わかった。準備するね」  何か物言いたげに渓が私を見ていた。  彼はユナちゃんを認知したあと、西野さんとはビジネスパートナーの関係を解消した。  私は気付かないフリをして、いつもよりやさしい声で返すと、ベッドに彼を残して部屋を出る。    ロングTシャツを被り、ストンと体に落とす。    キッチンカウンターのカフェマシンに水を注ぎ、カプセルと渓のマグカップをセットする。  ガラスボウルに多めのブラウンシュガーと卵を割り入れ、いつもの日常に戻った自分ごと一緒にかき混ぜる。  いつもの日常に戻っても、私はもう孤独感に苛まれることはなくなった。  銀色のカクテルシェイカーを振る靭やかな指先と、伏せられた睫毛の奥の冴えた瞳。  ほんの少しだけ。  何十年という人生の長さに比べれば、ほんの一瞬に過ぎない時間。  彼に愛されたあの数日間を今も忘れない。  横長リビングの窓越しの向こう、ハンギングバスケットのミントの葉が、風に青々と揺れている。  甘いスクランブルエッグとコーヒーで渓を送り出したあと、白く煌く海を見つめながらメレンダに届いた私宛の手紙に、ペーパーナイフを入れる。  メルボルンから届いたエアーメール。  差出人は谷原響。  おわり
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