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独白1
私が今日ここにきたのは、どうしてもお話ししておきたいことがあったからなんです。
できれば私が話し終えるまで、口を挟まないでいてほしいのです。
順番がわからなくなりそうなので。
ありがとうございます。
一番最初にお話ししたいことは、私にはもう年老いた母が1人残っているだけだと言うことです。
ご心配は入りません。母は手厚い施設に入所しております。
では、順にお話ししますね。
私は35歳。名前は丸山わかなです。
最初の出来事は私が小学4年生の時のことです。
その頃家には父と母、夫の祖父と祖母、それに父の妹とその小学2年生の息子が離婚して実家に戻っていました。
私を含めて7人。結構大家族ですよね。
祖父や祖母は勿論、父も、娘である私より私の従兄弟に当たる小学2年生の男の子を溺愛していました。
昔から男尊女卑の強い家でしたし、自分達の娘の子供ですから、外から来た嫁が産んだ女の子の私より可愛かったのでしょう。
母はまるで召使いのように7人分の家事を全部押しつけられくるくるとコマネズミのように働いていました。
出戻りの叔母は仕事をしていたわけでもないのに、何かと外出が多く家のことは勿論、従兄弟の面倒までみていたのです。
私は生来大人しいと周囲の大人達は思っていたようですが、実は自分の思い通りにならないことは、どうにも我慢ができなくて、何とか自分の思い通りになるようにしていました。
つまり、生まれての方ずっと自分推しなんです。
そして自分は大人からそう思われているように、おとなしい子供に見えるようにしていたのです。
ほら。アイドルが自分をすべて出さないように私だって、自分をしっかりと推してあげたいから。それくらいの工夫はします。
さて、小学4年生まで、たとえ女の子でも唯一の孫であった私に祖父も祖母も、勿論父母も結構甘やかして育ててくれました。
特に祖父母は、母に隠れて自分達の部屋に私を呼び、私の喜びそうなお菓子を用意して食べさせてくれたり、母が高いからダメ。と言っていた玩具をこっそりと買ってくれたりと、私にとってはとても良い人達でした。
それが2つ年下の従兄弟が家にやってきてからは、従兄弟の欲しいものや食べたい物ばかり買って、それも私を自分たちの部屋には今までのように呼んでくれなくなったのです。
私は黙っていましたが腹を立てていました。この従兄弟を何とかしなければ。そう思いました。
毎日一緒に通学していたのでチャンスはすぐにやってきました。
大雨が降った翌日。通学路の途中には柵がなく土手になっている下に普段は水の少ない川がありました。田圃に水を流す用水路です。
ちょうどお田植えの時期だったので普段より水量が多くなっていた川は、前日の大雨で結構な激流になっていました。
私は車が来ると危ないので自分が車道側、従兄弟を土手側にして手をつないで登校していました。
周囲を見渡して誰もいないのを確認しながら、私は従兄弟を土手側にグイッと押しました。濡れた草に足を滑らせて従兄弟は増水した用水路に足から落ちていきました。手をつないでいた私は、自分も土手側に転び
「助けて、助けて!」
と、声を出しましたが、自分が落ちないギリギリで従兄弟の手を、絡む指を引き離すことに成功しました。
従兄弟は増水した川で溺れ、大人が駆けつけ、病院に搬送されましたが死亡が確認されました。
祖父母も父も悲しみ、私も
「私の手が離れてしまったから。ごめんなさい。」
と涙を流しました。その時は本当に悲しかったのですよ?
大人達は私に
「助けを呼んでいた必死の声が聞こえていたんだ。お前は悪くない。」
そう言ってくれました。
そして祖父母と父の愛情は私に戻りました。いえ、以前よりもっと甘く。
息子を亡くした父の妹である叔母は、好き勝手をしていたのだから自分だけなら生活もできるだろうと、従兄弟が亡くなると祖父母により、実家を追い出されました。
家族は元通りの5人家族になり、私の精神にも安寧が訪れました。
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