31人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
目の前で結婚誓約書に名前を記入してゆく誰もが、皆一様に溢れるほどの幸せを顔に湛えていた──たった一人、主役であろう新婦だけを除いて。
ベールが無くなってありありと晒されたお前の顔は、元々の整った顔立ちを控えめに飾り立てるハイセンスな化粧を纏いながらも、何処か苦しそうに見える。
──不甲斐なくてごめん……僕に少しの勇気があって、もう少し向こう見ずな性格なら、お前の手を引いて二人で此処から逃げ出せたかもしれないのに。
積もる後悔と罪悪感が涙となって僕の頬を伝うと、お前はいつも僕を宥める時の下手くそな優しい笑顔で首を横に振った。
牧師が閉式の辞を口にすると、フラワーシャワー用の造花がゲスト全員に手渡され、僕とは違う道を歩む夫婦がバージンロードを歩き出す。
一握りの花弁を掴んだ僕はチャペルの入り口へと攫われるお前の人生に、大いなる幸と安寧を願って高く高くその花弁を舞い散らせる。
それはお前の為──そして、甲斐性のない僕と決別する為でもあった。
盛大な結婚式は無事終わりを迎え、ホテル内に作られた中庭にゲストが集まると、お前がずっと抱えていたブーケを狙う女性の束が群れを成して息巻いている様子は少し滑稽に見える。
友人に囲まれて嬉しそうに笑うお前は静かに純白の手袋を外すと、徐に胸元から何かを取り出した。
それは紛れもなく片方しか無いあのイヤリングで、お前はそれを愛おしそうに見つめてからそっと右耳に添える。
驚いて目を見開いた僕が大切に握り締めていた片割れを取り出すと、僕と同じく置いていかれた色石は呼応するように手の内で静かに瞬く。
含んだ言葉が『思慕』から『横恋慕』に鞍替えしないようにと願いつつ生唾を飲んだ僕と悲しく視線が重なった花嫁は、痛々しく目を細めて雫を溢す。
──本当は嫌いな訳じゃない……いや、嫌いにすらなる事なんて、僕には最初からできやしないんだよ。
ただ強がって、ハッタリを並べては自分が傷付かないように嘘で塗り固めただけの言葉は、お前の表情ひとつでいとも容易く剥がれ落ちる。
その瞬間、ブーケは空に舞い上がった。
まるで餞別のように捧げられたその花束は、清々しいまでに日光を受けて輝くと、僕はその光に彼女とお揃いのラブラドライトを翳してその皮肉なまでの運命を嗤う。
煌びやかな鳳蝶も、片翼では空なんか飛べやしないのに。
─fin─
最初のコメントを投稿しよう!