プロローグ

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プロローグ

 こんな片田舎の教会に何故、と司祭は思った。  告解室、格子が付いた小窓越し、外套のフードを深く被った男を見つめ司祭は唾を呑む。  たった今男が打ち明けた話は、真に受けるにはあまりに奇異荒唐すぎる。けれど、そのようなことをこんな片田舎の教会で告白し果たして何になるか。  男は村人ではなく、余所者である。  辺境の村をまわる妖しい伝道師か? だが、それならば何故、父なる神にわざわざそれを打ち明ける?  閉鎖的な村で今日まで生きてきた司祭にとって、男は酷く奇怪に映る。暫し二人の間にぴんと張り詰めた沈黙が漂っていたが、司祭がようやく重たげな唇を持ち上げた。告解の定型とは違う言葉を、男へ投げかける。 「あなたが心から悔い改めるというなら、私は父と子と聖霊の御名によって、あなたの罪を赦しましょう。しかし、あなたはあろうことか……その道を往く赦しを乞おうとは。神に背く者に罪の赦しがあろうか」  そうですか、と男の返事は至極単調だった。司祭はじんわりと額に汗を滲ませ、身じろぎ一つせず小窓越しに男を見つめている。  司祭は男をこのまま告解室から……否、世に放つべきではない、という胸騒ぎに苛まれていた。今の話を信じるなら、教会から見て男は危険思想の持ち主であり、異端者だ。放置すると、根深い争いを長年続ける原因となっている新教徒に次ぐ新たな火種となるかもしれない。いや、既にもう事は始まっている可能性があるが……。  司祭がここまで話を鵜呑みにするのは、男の異様さが原因だった。  顔は見えないが、声音からしてまだ若い青年かと思われる。年配者の司祭からみて、言葉を選ばずに言えばただの若造だ。けれど目の前の男を改めさせることも、かと言ってここで罰を与えることも出来ない。司祭は男と話し始め早々にそう思った。曲がりなりにも長らく聖職を務めた身、感じ取るものがあったのだ。  男は何か、目に見えぬに、取り憑かれているのでは──と。  突然乾いた笑いを溢した男に、司祭はびくりと肩をそびやかす。興味があったのです、と溢す男の唇は、皮肉げに弧を描いている。 「こうして打ち明けたら、神は寛大な御心でお赦し下さるかどうか」  俯きがちだった男の頭が少しだけ持ち上がる。フード下から覗く、鮮烈で、煌々とした青の瞳が、司祭を射る。  司祭は身震いして、僅かに残った砂礫ほどの矜持を振り絞り、こう告げた。 「分かっているだろう。罪からくる報酬は、死であると」    祭壇へ飾るための花を手に、シトリーは教会へ向かっていた。そよ風にのって白薔薇の馥郁が鼻腔をくすぐり、頬を緩ませる。白百合が望ましかったが、残念ながら今日は花屋に卸されていなかった。  クレプスキュル村の教会は、村から少し離れた場所に建つ。一面に緑を敷き詰めた小高い丘の上にあり、村からでも天蓋上の十字が見える。そこまで大きくはないが決して小さくもない、都から離れた村にあるにしては立派なものである。空へとけていきそうな水色の屋根に、屋根の天蓋下にある小ぶりな鐘、正面の扉の上にある薔薇窓。素朴な美しさがあるこの教会は、物心ついたときからシトリーの帰る場所だった。  道すがらふと正面を向くと、ちょうど教会の扉から一人の男が顔を出したところであった。シトリーが司祭館を出る際「告解を」と声をかけられ司祭へ取り継いだ男だ。ちょうど発つところなのだろう。巡礼者なのだろうか、何にせよ熱心な信徒である。  教会からの道は一本。自分のほうへ向かってくる男に、シトリーは持っていた白薔薇をおもむろに一本差し出した。 「今日が良い一日となりますように」  男が足を止める。フードの下から覗く口元は少し驚いているようだった。  二人の間を縫って、風が薫る。  微笑むシトリーの手の内で、白薔薇が揺れる。  男はそっと手を伸ばし白薔薇を受け取ると、片手でフードを僅かに持ち上げ、その端正な顔立ちを柔らかく緩め微笑み返した。 「ありがとう、美しいお嬢さん」  丘をおりていく男の背を見送り、シトリーは踵を返す。先ほど男へ唱えた言葉通り、今日も良い一日となるようにと、祈りながら。
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