放課後猫又相談倶楽部

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 放課後。カナコは真っ暗になった廊下を進む。その先にある理科実験室から漏れる蛍光灯の光がとても眩しい。カナコはそれを頼りにして歩いていく。自分にとっての希望の光かもしれないから。  誰もいない三階の廊下はとても静かで、いつもと違う場所に来てしまったみたいとカナコは思う。背筋がぶるりと震えるのは、寒さのせいだけじゃない。恐怖と緊張が身を包み、大きな金属を埋め込まれたみたいに体が重たくなっていっている気がする。ただでさえ太っているのに。彼女は窓の向こうに広がる真っ暗な夜空を見た。視線の先に月はなく、二月末のまだ冬の気配が残る空には小さな星だけが瞬いている。  カナコが通う原っぱ中学校にまことしやかに流れている、たとえどれだけ難しい悩み事だって解決してくれる【放課後猫又相談倶楽部】の噂話。カナコが耳にしてきたのは、そこには喋る猫がいるとか、相談の代償として魂を奪われてしまうとか、そんな突拍子もないものばかり。けれどその噂話の中で唯一共通しているのが、そこは新月の放課後にしか開かないというもの。カナコは本当に行こうか真っ暗になるまでうじうじ迷って、理科実験室の前に辿り着いてもまだ引き返そうか悩んでいる。こんなことを続けていたら、自分自身が変わることのできるチャンスは二度とないかもしれない。そう思って意を決し、遂に戸をノックする。すぐに「どうぞ」という声が中から聞こえてきた。もう引き返すことはできない、カナコはゆっくりと引き戸を開けた。  でも視線の先には誰もいない。この耳は誰かの声を聞いたのに。カナコはキョロキョロと、開けたばかりの戸を閉じながら理科実験室を見渡す。 「こっちだよ。下、下」  カナコの足元で何かが揺れる。言われるがまま下を向くと、そこには体は白と黒のぶち模様、顔と耳は真っ白な猫がいた。猫? カナコはもう一度見渡す。この部屋には今、カナコとこの猫しかいない。ならば、今聞こえた声は……? 「だから、こっちだって言っているだろう?」 「ひっ!」  カナコは息を吸い込むような小さな悲鳴をあげる。猫が喋ってる! そう叫びたいのに、喉のあたりが強張ってうまく声が出てこない。目の前にいる猫はカナコが驚く様子を見て、嬉しそうに尻尾をピンと伸ばした。その尻尾を見てさらに仰天したカナコは、ドスンッと尻餅をついていた。「尻尾、尻尾が」話す声も、目の前にいる猫のお尻のあたりを指さす手も震えていた。仕方がない、だって【尻尾が二本もあって、しかも喋る猫】を見たらみんなこうなるに決まっている。猫のお尻からは、白と黒の尻尾。いたずらが成功して喜んでいるみたいにピョンッと天井に向かって突き立てている。 「いやいや、驚かせて申し訳ない。私は妖怪・猫又。名前はたくさんある、ニャンニャン、ニャンタロー、ネコチャン、ニャンキチ……好きに呼んでくれ」  この猫又は、自分の姿を見て驚く子どもの様子を見るのが好きみたいだ。少しずつ後退ろうとするカナコを見て、目を細めてにんまりと笑っている。もしかしたら、あの恐ろしい噂は本当だったのかもしれない。相談したら魂が奪われるとか、何とか。猫又が一歩踏み出すと、その分カナコは引き戸に近づく。カナコは早くここから逃げなきゃということばかり考えていた。目の前の猫又を刺激しないように、ゆっくりとーー。出口に少し近づいたとき、閉めたはずのドアが急に開いた。今まで感じたことのないぞっとした恐怖がカナコを覆いつくす。 「ひぃ!」 「ごめん、遅くなった……あれ? 相談者来てたの?」 「おぉ、ミナト、やっと来たか」  妖怪の仲間だ! とカナコが振り返る。そこにいたのは人間の男の子のように見えた。彼は原っぱ中の制服を着ていて、三年生が身に着ける深い緑色のネクタイをしている。でも、人間であるとは限らない。彼は、カナコが怯えていることに気づいていないのか、微笑みながらカナコに手を差し伸べる。 「ようこそ、放課後猫又相談倶楽部へ。部長のミナトです」  彼の手は白くて、指はとても細長い。繊細ですぐに折れてしまいそうなくらい。それとは打って変わって自分の手は丸っこくて指も太くて、恥ずかしくなってしまう。カナコは彼にはそれが見えないように手をぎゅっと握って、自分の力で立ち上がった。恥ずかしさもあるけれど、彼は妖怪なのか人間なのか、果たして信頼していいのかまだわからないまま。俯きながらスカートについた細かい埃を払っていると、猫又と男子生徒が、カナコを挟んで軽く言い合っている声が聞こえてくる。 「また相談に来た人を驚かせて遊んでいたのか、ネコは」 「違う。あっちが勝手にびっくりしているだけだ」 「嘘だ。尻尾が立ってた、ネコは嬉しいことがあるとすぐに尻尾を立てるんだから」  カナコはチラリと背後のドアを見る。この場から逃げ出すには、その前に立つミナトが邪魔。カナコは頭の中でミナトを突き飛ばす想像をする、両手で強く押したらそのまま飛んで行ってしまいそうなくらい彼は細い。怪我をさせてしまうかもしれない。そんなひどいことをできる図太さなんてないし、第一、ここから逃げ出す度胸もなかった。どうしてこんな所にきちゃったんだろう、後悔をしながらカナコは力なく、言い争っている彼らに声をかけた。 「……ここに来たら、どんな悩みだって解決してくれるって聞いたんですけど」  その言葉に、ミナトと猫又は胸を張った。 「もちろん。私たちは、そのために存在している」 「まずは座ってゆっくり話でもしようか」  まだ震えているカナコの手のあたりを見て、ミナトが座るように促す。カナコが一番近い椅子に座ると、ミナトはその正面に座った。猫又は机の上に姿勢よく、威圧しないように尻尾を二本ともだらりと下げて座る。落ち着かなくキョロキョロと黒目を動かすカナコを、ミナトはじっと見つめる。立ち上がった時の身長は、男子の中じゃ少し小柄なミナトよりも高かった。肩のあたりはがっしりしているというか……体は全体的に丸み帯びている。目元はとても重たそうで、うっすら青い隈がある。そして何よりも、まだ怯えている。それはきっとネコが脅かしたせいじゃない。自分たちに対する不信感によるものだ。 「改めて、僕は部長のミナト。三年生。こっちは猫又の――僕はネコって呼んでいる、この猫又相談倶楽部の特別顧問」  それを払拭できるかわからないけれど、ミナトはできるだけやわらかく話すよう心掛ける。 「人間、ですか?」
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