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「この娘を生贄に差し出そう」
ほとんど言葉はわからなくても、そう言っているのがわかった。期待、哀れみ、畏れ、さまざまな視線に晒されて唾を飲み込むこともできない。
彼らの中ではもう、私は人間ではなかった。
この世界で言う“生贄”という単語は、私を拾ってくれた女性から聞いた。
私の記憶は駅のホームから転落したところで途切れているが、彼女が言うには私は村の外れに突然現れたらしい。意識を失っていた不審者を、彼女は介抱してくれた。
目が覚めた時、はじめは江戸時代にでもタイムスリップしたのだと思った。この世界は学校で習った昔の日本によく似ている。のどかな農村に木造の家、人々は着物のような衣服を纏っている。懐かしささえも覚えた。
けれど、そのすべてが似て非なるものだった。藍色の髪と理解できない言語が私の前に立ちはだかる。テストの解答欄がひとつずつズレた世界。合っているようで何一つ合っていない。どう考えてもここは私が知る世界ではなかった。
怪我と困惑から熱を出した私に、女性はやさしく寄り添ってくれた。
「大丈夫。心配いらない」
穏やかな表情がそう告げてくれていた。
彼女は私と年が近いようで、二十歳くらいに見えた。農作業をするためか飾り気はなく、無造作に長い髪を束ねている。彼女は非常に感情表現が豊かで愛らしい人だった。考えていることが容易にわかる。そのため、一緒にいるととても安心できた。
けれど、彼女が話す言葉は日本語よりも更に角ばっていて、どうにも耳になじまない。何度聞き返しても判別できない音があった。
そして、私の話す言語もまた、彼女にとって難しいものだった。村人は誰一人、私の名前を呼ぶことができなかった。
私の名前は「オリ」になり、私は彼女を「キオ」と呼んだ。
キオの両親は早くに亡くなっていて、彼女は一人暮らしだった。
「オリと一緒に暮らせてうれしい」と両手を握ってきたキオに
「私もキオが好き。キオは命の恩人だよ」と返した。
全部伝わらないとわかっているからこそ、恥ずかしがらずにまっすぐ目を見て言えた。私はキオが大好きになっていた。
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