(一・一)十二月二十四日

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(一・一)十二月二十四日

 その時、わたしは震えていたのかどうかもう思い出せない。『その時』自体が一秒いや一瞬の後にはもう既に過去となり、過去となった以上はもうすべて取り返しのつかないことなのだから。今更震えていようがいまいが、どうでも良いことなのだが。少なくともわたしがまともな人間であるならば、必ずや震えていたであろう。そうであってほしい、そうであってほしかったと望む。そんな些細なことを望んだ所で、これまた最早どうでも良い自己満足の気休めに過ぎないのだが。  兎に角『その時』を境にして、わたしの人生やら運命、いや人格すらも大きく変わってしまった。だからわたしはその時、ただひとりぼっちで立ち尽くすしかなかった。自分で犯しておきながら、その結果として今自分の目の前に横たわる現実を、受け止められずに。あゝ何てことをしてしまったのだろう、などと後悔の念を抱く余裕すらもなかった。  本当ならば泣きたかった、泣けるものならば。泣いて涙を流せば、少しは冷静になれたかも知れないし、楽になれたかも知れない。いや、泣くとか、涙とか、冷静とか、楽になれる、とかすべて気休めにさえならなかった。それ程その時のわたしの精神状態は尋常ではなかった。尋常ではない程に、追い詰められていた。  だから呆然と立ち尽くしたわたしが咄嗟に思い付くことの出来た唯一の行動は、死のう、だった。つまり自殺。母の後を追って、自分も死ぬのだ、それしかない。わたしは直ぐに、それを行動に移した。  自分の両手で自分の首を絞めた。柔らかい皮膚、筋肉、硬い骨、喉仏……。がしかし絞め切れなかった。どうしても最後の力を、満身のパワーを指に込めることが出来なかった。ゴホン、ゴホンと咳き込みながらも諦めず、次にわたしは台所に行き、包丁を手にした。包丁の柄を両方の手で握り締め、ぶるぶると震わせながら刃先を、左胸へと持っていった。心臓へ。今も鳴り響く自らの鼓動を止めんがために。  しかしこれも出来なかった。やっぱり恐かった。勇気というかどうしても最後の一線を越えることが出来なかった。小心者、臆病者というやつだ。わたしは死ぬことを諦めるしかなかった。死ねないとしたら、一体他に何が出来るというのだろう。再びわたしは呆然とした。呆然としただ流れゆく目の前の時、時間に、じっと身を任せるしかなかった。  本日十二月二十四日、土曜日の午後。横浜市金沢区にあるわたしの自宅、古ぼけた一戸建て平屋の借家。その中の一室にわたしはいた。その部屋は唯一の同居人である八十代の母親の部屋で、その母は今布団の中に横たわっていた。  いや正確には、息絶えていた。死んで、いた。その姿を前に、わたしは呆然と立ち尽くしていたのである。
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