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「……やっぱり演技だったか」
呆れたように言ったその人の顔は、信じられないぐらい美しい。
キリリとした眉の下、彫りの深いくっきり二重の目があり、黒く長い睫毛に囲まれた中に神秘的な紫暗の目がある。
濡れ羽色の髪は艶やかで、肌は陶器のように滑らかで美しい。
耳は魔王というだけあり、ピンと尖っていた。
鼻梁はスッと高く、少し長めの前髪が目元に影を落としている。
勝手に「怪物に違いない」と思っていた魔王は、一度もお目に掛かった事のない超絶美形だった。
私は言葉を失ったまま、美しい魔王を見て固まっていた。
「アメリアだな?」
低く艶のある声で名前を呼ばれると、フワフワとした気持ちになる。
恐ろしい魔王のはずなのに、この人に名前を呼ばれるだけで、自分が特別な存在に思えるので不思議だ。
そう。今私は、怖いというより、魔王の美しさに驚きすぎて胸を高鳴らせていた。
「返事をしないか、アメリア」
「はイッ」
もう一度言われ、私はハッとして大きな声で返事をする。
慌てて返事をしたからか、声はひっくり返ってしまい、恥ずかしくて赤面した。
(待って……。嘘でしょ……。魔王がこんなに美形なんて聞いてない!)
自分の想像力がいかに乏しかったかを思い知った私は、首を左右に振ってから両手で顔を覆って溜息をつく。
それから、ゆっくりと起き上がった。
魔王は私の前に膝をついたまま、呆れて溜め息をつく。
「倒れる演技をするほど、俺が嫌なのは分かった。悲鳴を漏らすほど恐ろしいと思った事もな。……それはさておき、喉は渇いていないか?」
「え?」
(状況に頭がおいつかない……)
私は呆然として声を漏らす。
生贄に選ばれて魔王に捧げられたと思ったら、魔王は信じられないほどの美形で、喉が渇いていないか気を遣ってくれる?
混乱していると、魔王はさらに不可解な事を言った。
「お前がくると思って、いい茶葉を用意しておいた。好みは分からないから、茶菓子もありとあらゆる物を用意した。疲れているなら、ベッドも風呂も用意してある。どうする?」
……ええと……。
「……あの、少し話を整理させてください」
頭は混乱したままだけど、人はあまりにも理解できない状況になると、冷静になって整理したくなるようだった。
「あなたは魔王陛下ですよね?」
「そうだ。望むなら角や羽を出すが」
「怖いので遠慮致します。それはそうと、陛下は私を生贄に選ばれたのですよね?」
「その通りだ」
よし、ここまでは合っている。
「生贄は生きた動物や人間を供物として神や悪魔に捧げる……、と認識しています。そして供えられたからには、生贄は食べられるのでは……?」
「ふむ」
私の言葉を聞いて魔王は一つ頷き、黒い革手袋を外して素手を差しだした。
「まずは立て」
「あ……、ありがとうございます」
立つために手を貸してくれたのか。……優しいな。
というか、爪が黒い。
それに大きな手。村の男の人も手が大きいけど、指がスラッと長くて格好いい手だ。
彼の手に掴まって立った時、やはりイグニスさんと同じように、人間と遜色ない手の感触がした。
二人とも立ったところで、私は改めて魔王の服装を目にし、彼が黒い軍服を着ているのに気づいた。
「軍服なんですね。……漆黒のマントとか呪いの鎧を着ているんだと思いました」
「……お前はそういう物を身につけたいか?」
「……いいえ」
「だろう? おまけにダサい」
魔王が「ダサい」と言うと思わず、私は思わず笑いかけて「んぷっ」と口を噤んで横を向いた。
「人間が魔王にどういうイメージを抱いているかは分からないが、まだ古典的なんだな」
「魔王の流行なんて知りませんから」
そんなもの、本当に知らない。
大きな町でファッションカタログを立ち読みする事はあるけれど、魔王の流行なんて……。いや、魔王ってそもそも複数いるの? っていうか、『今年の秋の旬は、ギンギツネの毛皮でできた魔王マント!』……なんて。
「ふ……っ、ん、ふふ……っ」
私は横を向いて笑いを堪える。
「こっちへ来い。まずは座って話そう」
そう言って彼は先に歩き始めた。
向かっているのは、玉座がある場所の横手にあるドアで、私はチラッと後方を見る。
離れた所にイグニスさんが立っていて、私が入ってきた大きなドアは閉じていた。
(……もう逃げようと思わないほうがいいんだろうな。とりあえずすぐ襲われる事はないみたいだから、村に戻してもらえないか相談しよう)
広間から出ると、先ほど歩いた廊下と似た廊下に出て、彼はすぐ隣にあるドアを開いた。
そこは優美な内装の応接室で、天井からはシャンデリアが下がり、猫足の上品なソファセットや、奥のほうにはピアノもある。
壁際には風景画や、チェストの上に精緻な模様が描かれた壷があり、装飾の美しい鎧もあった。
「好きな席に座ってくれ」
魔王が示したのは、白いテーブルクロスが掛かったダイニングテーブルだ。
卓上にはバラやカーネーションを中心にした花が飾られ、蝋燭立てにはカービング処理の施された、模様入りの美しい蝋燭が立てられていた。
チラチラと火が揺らめき、磨き抜かれたグラスや陶器を輝かせる。
天井から下がったシャンデリアにも火が灯っているけれど、恐らく魔法の火なのか、天井はまったくすすけていなかった。
私は口を半開きにして室内を見回しながら、テーブルセットがされてある席に座った。
「……失礼します……」
ボーッとしていた私がハッと前を向くと、テーブルの上には絵付けのされた美しいお皿の上に、芸術品のように綺麗なケーキや、宝石のようなチョコレート、美しくロールされたサンドイッチ、その他沢山の食べ物があった。
貴族はお茶会でこのような物を食べると、本で読んだ事がある。
その時は描かれていた絵を見て「素敵だな」と思っていたけれど、まさか自分が食べられる日がくるなんて……。
いつのまにかイグニスさんも室内にいて、彼は空中から銀色のレードルを取りだすと、片手に持ったスープ皿にポタージュを注いだ。
ホカホカと湯気を立てたポタージュは、薄黄色をしていてとても美味しそうだ。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
思わずお礼を言うものの、「これ、食べていいの?」と首を傾げた。
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