サーシャは僕を愛してる

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 僕は佐藤夕輝(さとう ゆき)。どこにでもいる、友達のいない中学生だ。別に酷いイジメを受けているわけじゃない。だけど誰も僕を見ない。最初から僕なんていなかったのように、僕の周りには人がいない。いつしか僕も、気配を消して過ごすようになった。  先生が僕を指名しない限り、誰も僕を気にしない。僕も誰にも話しかけない。人と離さない日々は、期待も絶望もされないし、気も使わなくていい。それは慣れれば快適だった。そうして息を潜める学校生活を送るようになってから2年以上が経った。  高校受験を控えた中学最後の夏が始まった頃。ある日の英語の授業中。課題用に開いたChromebookの画面上に、初めて見るポップアップが表示された。それはチャットのようだった。  『Hi. Do u speak English?(やあ。君は英語を話すかい?)』  ウイルスかも。突然表示された英語のチャットにそう考えたけれど、僕は好奇心に負けて、先生の目を盗んで返信してみた。もしかしたら英語の勉強にもなるかも知れないしね。  『Hi. Um...a little bit. What's your name?(こんにちは。えっと……少しだけ。君の名前は?)』  『OK. I'm Aleksandr. Call me Saša, and u?(少しだけね、わかった。私はアレクサンドル。サーシャって呼んでよ。君は?)』  『I'm Yuki. Nice to meet you, Sasa.(僕は夕輝。よろしく、サーシャ)』  僕は謎の記号のついたsをどうやって出すのかがわからず、単にSasaと返してしまったが、彼は気にしていないようだった。先生が見回ってくる。チャットの出し方はわからなかったけれど、先生にバレるのはまずい。僕は慌ててチャット画面の右上の☓をクリックした。  何事もなかったように課題に取り組む。先生が僕の画面を覗き込んで、僕は課題について少し先生と話した。サーシャからチャットが来てバレたらどうしよう。先生と話したたった数十秒の間、僕は人生で1番ドキドキしていた。それは人前で話さなきゃいけない時のとてつもなく苦しい緊張とは違う、僅かにワクワクの混ざったドキドキだった。  僕には何か大きなをするような気概はない。けれど、授業中に何者かもわからない相手とチャットするという、このは、僕にとって冒険のような心地を与えてくれた。  『Nice to meet you too, Yuki.(こちらこそよろしく、夕輝)』  先生が黒板の前に戻ったのを見計らったかのようにサーシャからの返信が表示された。僕はさり気なくクラス全体を見渡した。もしかしてクラスの誰かなんじゃないかと思ったのだ。だって先生の動きが見えているみたいだったから。それに、そうだったら少し嬉しいかも知れないと思った。もしクラスに僕に興味を持ってくれている人がいるのなら、友達になれるかもと期待した。  クラスの皆は誰も僕を見ない。いつも通り、僕はここに居ない。サーシャはクラスの誰かではないみたいだった。それか凄く隠すのが上手いかだ。それは少し残念な気もしたけれど、透明人間のような僕の現状を知らない相手と友達になるのも魅力的だ。だってつまりそれは、僕がつまらない奴だってことも知らないということだ。  『I thought...you were one of my classmate.(君は僕のクラスメイトの誰かかと思った)』  『Oh, why?(おっと、なんでそう思ったの?)』  『Cause, it was like you see what my teacher was doing.(だって、君はまるで先生が何をしてるか見えてるみたいだったから)』  『Haha, it's very lucky right?(はは、とてもラッキーだったね)』  『Yeah.(だね)』  僕は英語がペラペラじゃないから、たまにグーグル翻訳も使っていた。その上、僕は課題もやりながら話していた。そのせいで僕たちの会話はテンポが悪かったけれど、サーシャは気にしないでいてくれた。  サーシャは僕が何を気にして、何に怒って、何に喜ぶのか、全部わかっているかのようだった。こんなに気の合う友達は初めてだ。僕はサーシャが生涯の友ってやつになると思った。サーシャは日本に住んでないらしいから、きっといつか僕の方から会いに行こう。  「はい、じゃあ課題を提出してください」  先生の声が初めての友達に浮かれていた僕を現実に引き戻す。何とか終わらせた課題を提出する。全員の提出を確認すると、先生が時計を見ながら号令係に声をかけ、号令係が口を開く。チャイムが鳴る。  「起立。気をつけ。Good bye Ms.Mori」  「Good bye Ms.Mori」  「Good bye everyone. See you next time」  ガヤガヤと皆が思い思いに話し始める。いつもなら僕は早々に机に突っ伏して寝た振りをするけれど、今日はサーシャがいる。僕はChromebookを仕舞わずにサーシャに話しかけた。  『The class is over.(授業終わった)』  『Great. What's the next class? Can u talk with me?(いいね。次の授業は何?私と話せるかい?)』  『It's math. Actually it's difficult probably.(数学。実は難しいかも知れないんだ)』  『OK. When you free, let's talk.(わかった。君が暇な時に話そう)』  授業中は課題もあったし、僕が気にしないように僕に合わせてくれていたのだろう。休み時間になったらサーシャの返信はとても速かった。休み時間のうちにたくさん話したいけれど、僕の実力不足でこっちはあまり速くできない。それをわかっていてサーシャは必要以上に速く返信してくれているように見えた。  それから、来る日も来る日も僕は隙を見てサーシャと話していた。  『Sasa, can we be best friends?(サーシャ、僕たちは親友になれるかな?)』  『Yeah, probably.(うん、きっとね)』  嬉しかった。僕は初めての友達と話すことに夢中になっていた。時には勉強そっちのけで話してしまって、当のサーシャに心配されたこともある。成績が落ちたらサーシャのことがバレてChromebookごと取り上げられるのではないかと思って、僕は勉強も今まで以上に取り組んだ。  ある日のこと。ニュース番組で「世界中で未成年が行方不明になっている」と報道されていた。不可解なのは姿を消した彼らがiPadやChromebookを持って行ったこと、それなのに位置情報を探っても居場所がわからないこと。そして、彼らが自室に書き残した言葉。  『I'll meet Saša.(サーシャに会いに行く)』  それを見た瞬間、血の気が引いた。背中を冷や汗が伝い落ちる。いや、きっと違う。サーシャなんて愛称の人、世の中にはいっぱいいる。僕の友達のサーシャじゃない。頭を勢いよく振って嫌な想像を消し飛ばす。サーシャは世界中から未成年を拐ってくるようなことはしない。  そうだよ、するはずがない。する時間もないはずだ。サーシャは毎日僕と話しているのだから、世界中を飛び回って未成年を誘拐する暇なんてあるわけがない。そうだ、そうだよ。そのサーシャは僕の友達じゃない。  けれど、僕はそれをサーシャに確かめることはできなかった。友達を信じられないなんて、と思う自分。そもそもの出会いからしてサーシャは怪しい、と疑う自分。何日も何日も、そのふたつがせめぎ合っていた。  『I hope it's a misunderstanding, but maybe you're not feeling well lately?(勘違いだったらいいんだけど、もしかして最近元気ない?)』  そんなある日、サーシャが僕に尋ねた。前まではサーシャの察しの良さを尊敬していたし、タイミングの良さに感動していた。でも今はなんだか怖くて、監視でもされているんじゃないかと自室を見渡した。  『It's OK.(大丈夫)』  簡潔にそれだけ返してChromebookを閉じた。いつもは閉じる前にその旨を伝えるんだけど、それもせずに布団を被って寝る。見られているような気がして、次に拐われるのは自分なんじゃないかと思って、とにかく怖かった。  だけれども、僕はサーシャと話すのを辞められなかった。だって僕にはサーシャ以外に友達はいないし、サーシャ以外に僕の話を聞いてくれる人がいない。  それにサーシャも時々、僕の返事が遅い時に様子をうかがうようなチャットを送ってきたこともあった。なんだ、本当にただタイミングが合っていただけか。そんな安心感も得たことで、僕はいつの間にかニュースでやっていたのことなんて忘れ去っていた。  サーシャのお陰で英語の成績が上がった。模試の結果がよくなった。サーシャのことがバレないようにするために勉強していたからか、英語以外の教科も成績が上がっていた。受験に少し余裕が出てきて、そうなると時々受験の後のことを考えるようになる。  受験が終わったらどこか遊びに行こうかな。そんなこと、今までは考えたこともなかったけど。サーシャと遊ぶのはさすがに難しいかな、海外だし。でも会いたいな。  けれどもGoogleで「日本からエストニア」と検索すると数十万円の飛行機代が出てきて、僕はそっとタブを閉じた。片道でも十万円以上するなんて。海外をナメてた。  『I thought of going to see you after the exam, but I can't.I have a big problem. …It's price.(受験が終わったら君に会いに行こうと思ったけど無理だ。大きな問題がある。……料金だ)』  『Haha.Don't overdo.I don't want my best friend to go bankrupt.(はは。無理しないで。親友には破産してほしくないよ)』  『I'll go see you when I grow up.(大人になったら会いに行くよ)』  『I wait for that time.(その時を待ってるよ)』  
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