津軽林檎

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津軽林檎

生まれ故郷ではあとほんのちょっとしたら七つの雪が降る頃というのに東京というところはどうしたものかまだ薄着で事足りる。故郷の両親や兄は晩生の林檎の収穫に追われていることだろう。俯きそんな事に思い巡らしていたそのときだ。 「何をしている駐在所に来てもらおう」 顔をあげれば巡査がいた。故郷に思いを馳せていたせいで巡査の気配に気づくのが遅れたのだ。私はとっさに逃げ去ろうとしたのだが13センチもある踵のハイヒールでは身動きが緩慢にならざるを得ずすぐにもうひとりの巡査に腕を捕まれ結局は両脇を巡査どもにかかえられ駐在所まで連れて行かれた。辺りを見回せばそこいらにいた売女の連中はどこかに逃げ隠れしたのだろうその姿はひつもなかった。きっと誰かが「ポリだ」と仲間に知らせたに違いないが考え事をしていた私の耳にはそれは届かなかった。両脇をかかえられ駐在所までの道程で私は思った。運転免許もない健康保険証もない帰る部屋すらない。毎晩違う男のベッドが私の住処。本音はもうこんな暮らしに疲れ果てていた。夢にまでみた花の東京の馬鹿野郎。ひとすじ涙が伝うのを覚えた。温かな家族も故郷(くに)も全て棄てて出てきたというのに。こんなことをするために東京へ出たわけじゃない。夢など林檎を握り潰すよりずっと容易く砕け散った。 もう弘前へ帰ろう 生まれ故郷津軽へ
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