「運命のふたり」なら

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「運命のふたり」なら

ニューヨークで出会った。 宿舎を決めずダンス留学に来た俺。 どこにも安く泊まれる場所はなかった。 古いドミトリーを見つけた。 奇跡的にベッドが一つ空いたところだった。 洗いたてのシーツを手に階段を上がり、三階へ。 迷路のような廊下を歩いて、ようやく目指す部屋番号のドアを見つけた。 二段ベッドが二台、そしてバスルームだけの部屋。 ベッドの上の段にスーツケースを放り上げ、窮屈な姿勢でシーツを広げる。 「さあ、行くぞ!」 鍵のないドアを閉めると、隣の部屋から誰か出てきた。 それが彼女だった。 空港でもドミトリーでも伝わらない英語に早くも凹んでいたところだった。 日本語で話しかけた。 「こんにちは」 彼女は同い年で、渡米の目的も同じだった。 「私もちょうどダンスのレッスンに行くの」 俺の二ヶ月間の滞在はあっという間に過ぎた。 一度だけ、隣の部屋の彼女と会う約束をした。 二人でオフオフブロードウェイの演劇を観たのだ。 ダンスの要素を取り入れた小さな舞台公演。 劇の内容はあまり覚えていない。 それより、劇場の窓口で前売り券を買った時の必死さを覚えている。 つたない英語で二人分のチケットを購入した。 何とかミッションをクリアした。 「サンキュー」 眼鏡のクールな女性スタッフが笑顔でうなずく。 留学中で唯一達成感を感じたシーンだ。 彼女と一緒に過ごしたのはその一晩だけ。 隣同士の部屋だったがずっと別行動だった。 ダンスのレベルが違い過ぎて、俺の通うレッスン場に彼女はいなかったのだ。 俺が帰国する朝、ドミトリーの屋上で二人黙って夜明けの空を見た。 彼女はどんなチャンスでも掴んで、プロとしてこの場所に残りたいと言った。 自由奔放な生き方とハツラツとした笑顔。 すっかり俺は彼女に惹かれていた。 「生きていれば、またどこかで会える」 そう思いながら、ドミトリーの前で彼女に見送られてタクシーに乗り込んだ。 多分、就職する俺は再びニューヨークを訪れる機会はないが……。 東京に戻った半年後、新宿の十三時。 偶然、再会した。 「あ?」 「アッ!」 ただその一瞬、すれ違いの再会だった。 仕事で急いでいなければ、話もできた。 「運命のふたり」なら、もう一度出会えるはず。 俺はそう信じた。 そのまた半年後の日曜日。 再び奇跡は起きた。 『ダンスムービーの決定版!』。 そんなキャッチコピーにそそられて入った吉祥寺の映画館。 映画はサイコーだった。 観終わって外に出ると、次の回ギリギリのタイミングで駆け込む彼女の背中。 引き返し、俺はもう一回同じ映画を観た。 映画が終わり、場内が明るくなる。 周囲をさがす。 泣いている彼女に近づき、くしゃくしゃのポケットティッシュを差し出す俺。 「エッ?」 「覚えてる?」 彼女は覚えていてくれた。 それから月に一度のペースで会った。 「私たち、デートって感じ?」 「付き合ってるみたい? 俺たち」 その先は、なかなか言い出せなかった。 「好きだ」とか、「俺で良かったら付き合って」とか。 ダンスに日々明け暮れた俺には、社会人生活への適応能力がなかった。 恋愛とか、結婚とか、そういう幸せに手が届く人生ではなかったのだ。 「現実は厳しい」 その言葉を思い知らされる失敗続きの毎日で、頭がクラクラしていた。 でも、二人で行く先々ではいつも小さな奇跡が起きた。 たまたま訪れた横浜中華街で獅子舞を見た。 銀座の歩行者天国でいきなり大道芸が始まった。 鎌倉の古書店で彼女がずっと探していた写真集を発見した。 待ち合わせの丸の内でクリスマスツリーの点灯式に出くわした。 不思議と雨に降られる日もなかった。 「また青空だね」と彼女が笑った記憶がある。 そんな小さな奇跡の積み重ねは「運命のふたり」の証拠だという気がした。 それから年が明け、しばらく会う機会がないまま過ごした。 久しぶりにお互いの仕事が落ち着き、会う約束をした。 東京タワーの消灯に出くわして、二人同時に「あッ!」と声を上げた。 いつものように、小さな奇跡は起きた。 そしていつものように、次の約束はしないまま別れた。 「運命のふたり」なら……また会える? 「いつか途絶える」 そんな不安が俺の心に芽生えはじめた。 「会う度に、小さな奇跡なんて起こるはずがない」 二人きりで過ごす特別な時間にキラリと光る偶然の出来事。 そんな小さな奇跡が毎回起こるとは到底思えなかった。 疑い始めた時に、もう幸運は手からこぼれ落ちてしまうものなのだろうか? 最後に会ったのは、春の暖かい日。 珍しく何でもない公園に立ち寄った。 何の目的もなく公園をぶらぶらする。 芝生の上に寝転がって、彼女は少し眠ってしまった。 少し疲れている様子だった。 少ない会話の中に、彼女の迷いが見えた。 ダンスを続けるべきか、やめる潮時なのか? その答えを探しているようだった。 中途半端にダンスをやめた俺なんかにアドバイスできることはないと思った。 風が吹き、彼女が髪をかき上げる。 俺と彼女の間に小さな隙間があることに気づいた。 その時は「少し」感じる程度だったが、すでに心は離れていたのだろう。 その日、奇跡は何一つ起きなかった。 暑い夏が過ぎ、秋になった。 ダンス仲間を通じて、彼女が明日結婚すると知った。 そんな話を前日に耳にするなんて。 「これも奇跡?」 でも、式場に彼女を奪いに行くなんて奇跡は起こせない。 それは奇跡でも何でもない。 思い過ごしが原因のただの大暴走だ。 そんな勇気も、自分への自信も俺は持ち合わせてはいなかった。 結局、俺自身が起こした奇跡なんて何一つなかったことに気づく。 行く先々で起きた小さな奇跡は偶然に過ぎなかった。 偶然が二人の時間に光り輝く瞬間を演出してくれたのだ。 俺と彼女は「運命のふたり」ではなかった。 それが現実。 結局、「運命のふたり」じゃなかった。 それが答え。 その答えはずっと前から決まっていたはず。 今さらだけど、俺はその現実を思い知った。 だけど、答えを受け入れることを先延ばしにしていただけだった。 俺だけが。 彼女はもう「運命」の相手を見つけた。 本当の「運命」の相手を。 おめでとう。 明日は「運命のふたり」を祝福しよう。 一人で静かに。 外は雨だった。 (了)
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