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白馬に乗って攫うでもしてやれば良かったか。
なあ由貴。
お前の運命の人は、外国にしかいないのか? どんなに頻繁に行けたとしても数か月に一度しか会えない男なんて、彦星みたいなもんじゃないか。お前は一体そいつらと、どう関係を築いていこうと思ってるんだ。
俺のベッドに潜り込み、健やかな寝息を立てている同期・密島 由貴のあどけない寝顔を眺めながら、こいつは俺が今『そういう意図』を持って抱き寄せたら、どんな反応をするんだろうと想像した。
初めて彼に会った新入社員研修から、既に四年半の時が過ぎている。初対面だった彼を印象づけたのは、時折その目に閃く強い光だ。痩せた体にスーツが全く板に付いていないのは他の新入社員と同様だが、艶々の黒いストレートヘアと滑らかな肌は、むしろ他の奴らよりも少年ぽさを色濃く残していたほどだった。
これから数十年の付き合いになるかもしれない集団の中で、自分のポジショニングを少しでも有利に運ぼうと他の奴らが笑顔ではしゃぎながらも牽制し合っている中で、由貴の態度は異質だった。いわゆる「一匹狼」というか。学生時代もクラスで自分からは他の奴に絡まず、かと言って「ぼっち」だと弄られたり苛められたりすることもない。泰然として孤高を保つ奴がいた。由貴は、まさにそれだった。感情は殆ど現さないし、誰かから話しかけられない限り、自分からは喋らない。だが、グループワークを始めると、要所要所での彼の発言がチームを方向付ける場面に何度も出くわした。かと言って、チームを仕切りたがるわけでもない。出しゃばって手柄を横取りしようとする奴がいても、肩を竦め黙って名誉を譲る。
見た目は、華奢で小柄で童顔。
頭は切れるが、ひけらかすことはない。権力欲があるわけでもない。
(クラスの中での「博士君」みたいな、賢い子ポジション狙ってるのかな……?)
彼の真の実力を思い知らされたのは、配属先がアナウンスされた時だ。
新入社員の彼が、いきなり本社経営企画部というエリートコース、しかも、専門性を要するグローバルM&A室に配置されたというニュースは、俺たち新人にとってはもちろん、むしろ先輩たちを浮足立たせた。
そこで初めて分かったことだが、彼は大学時代、企業のグローバル経営を研究している著名な教授のゼミに参加しており、しかも教授のアシスタントとして世界中を飛び回り、各社のエグゼクティブに英語でインタビューしていたというのだ。その教授が俺たちの会社の経営企画部長と懇意にしており、「いい人材がいる」と推薦したらしい。
「まるっきりコネ入社じゃねえか。経営企画部長とゼミの教授が友達とか、ずるくね? だからあいつ、導入研修の時も余裕かましてたんだな」
事あるごとに出世欲をチラつかせる男は、由貴がファストトラックのようにスルッとエリートコースに乗ったのが余程面白くなかったのか、しばらく文句を言っていた。他の同期も引いていた。由貴に対する同期のラベリングは、「社交的じゃないけど頭はけっこう良い奴」から、「本社本丸のエリート部隊から一本釣りされるレベルの切れ者だが、何を考えているのかよく分からない奴」へと変わった。
だが俺は、心の底から「スゲエな」と感心していた。こんなことを言うと、令和の世に今どきと呆れられるかもしれないが、俺は学生時代体育会だった。ラグビー部で鍛えた身体と体力、チームプレイに徹する協調性、素直さといったところが評価されて入社できたのだと、自分が一番よく理解していたからだ。
俺が敬服していたことは、由貴本人も気づいていたと思う。
他の同期が素っ気なく冷たい態度で接しても、決して焦ったり動揺することのないポーカーフェイスの由貴だったが、俺には時折、素直に笑顔を見せたり拗ねたりしていたからだ。
「おう、由貴。どうよ最近。相変わらず海外行ってんの?」
社食で定食の列に並んだ細い背中に向かって俺が明るく話しかけると、彼は口を尖らせて小声で不満を言いだした。
「ああ。俺の課長、人遣いが荒いからさあ。北米に飛ばした後、南半球とか。無茶な出張入れてくるんだよ。時差ボケきつい北米の直後に暑い国って、鬼じゃねえ?」
「すげーな! お前のチーム、何人もいるんだろうに、お前だけそんなハードなの? だったら、やっぱ『この仕事は密島でないと』って思われてるんじゃないの?」
「……稔だけだよ。俺のこと、そういう風に言ってくれるの」
瞼を僅かに赤く染め、目が少し潤んでいる。
(こいつ、好きで激務淡々とこなしてて、周りからどう思われようと『我関せず』ってわけじゃないんだ。やっぱり、周りから妬まれて悪口言われて、多少は堪えてるんだな)
普段は鉄面皮な彼が思わず吐露した本音が、ちょっと可愛いと思った。それ以前から由貴に懐かれている自覚はあったけど、彼は俺を友達認定してくれたらしく、たまに飲みに誘ってくれたり出張土産をくれたりするようになった。
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