*プロローグ

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*プロローグ

 甘いにおいとバターのにおいがいつもあの人からしていて、俺はそのにおいの許になっている厨房の入り口であの人が立ち働くのを眺めるのが好きだった。 「ほぉら勝輝(かつき)、もう泣くな。美味いのが焼き上がったぞ」  子どもの頃はいまよりうんとチビで泣き虫だったせいでよくいじめられていた俺を、あの人は――伯父の(ゆずる)は、いつも彼が作ったケーキで慰めてくれた。  背が高くてたくましくてカッコ良くてケーキが美味い、俺の最高の自慢の伯父だ。 「……おいしい」 「だろう? だからもう泣くな。美味いもの作って食ってれば、嫌なことなんてたちまちに消えちまうからな」  元々俺は甘い物が好きではあったけれど、伯父の作るそれはものすごく美味くて、そして涙も止める魔法のようなお菓子だった。  なかでも、伯父の焼くベイクドチーズケーキが俺は一番好きで、しょっちゅう作ってもらっていた気がする。  父さんは俺が泣き虫なことをやきもきしていてあれこれ叱ってきていたけれど、伯父は決して説教じみたことは言わないで、こっそりと出来立てのお菓子を分けてくれたのだ。 「ねえ、ゆー伯父さん。俺も、ケーキ作れるようになりたい」 「おお、いいじゃんか。そしたら伯父さんと一緒にレーヴをやってこうな」 「うん! 一緒にやる!」  だからなのか、いつの頃からか俺も伯父のようにケーキ職人になって、レーヴという実家のケーキ屋を継いで、出来る事なら伯父と一緒に、自分の作ったケーキで誰かを笑顔にできたらと思うようになっていた。それが俺の将来の夢を決めたのかもしれない。  でもそれは、俺が高校の頃に伯父の突然の事故死という衝撃の出来事で断ち切られてしまった。  伯父がいなくなってから、自分の胸にあったものに名前があって、そしてそれはもう叶わないんだということも知った。  名前も与えられずに終わってしまった恋心は、そのまま何年も何年も俺の胸の奥で焦げ付いたままくすぶらせていく――はずだった。彼の存在に、気づくまでは。
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