天使は作家と朝寝がしたい・1

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天使は作家と朝寝がしたい・1

「倫太郎(りんたろう)さん、倫太郎さん! そうめん、茹であがりましたよ。伸びますよ」  同居人、村瀬清路(むらせせいじ)がキッチンから呼ばわる声に、坂木(さかき)倫太郎はソファからがばっと跳ね起きた。手探りで眼鏡を探すと、床に落ちている。ばりばりとぼさぼさの頭を掻いて、 「あれ? 寝てた……? すっごくいい小説のアイデアが思い浮かんだと思ったのに、覚えてない」 「得てしてそういうものですよ。締切が押しててあんまり寝てないんでしょう? 食べたらさっさと仕事して、早く寝てください」 「はぁい」  坂木は十九歳も年下の秘書の(一見)不躾な言い方も気にせず、這うように素直にソファから降りた。坂木という男は、そういう男なのだ。  エプロン姿の村瀬がダイニングへと歩いてくる。 「ひまわり、活けておきました」  坂木はうなずく。食事の前に、二人はダイニングの隅にしつらえた小さな祭壇の前に座った。白い十字架と、ガラスの花器に活けられたひまわりが二人を迎える。手を合わせ、坂木が話しかけた。 「今日も一日、無事に過ごせました。ありがとう、麻里亜(まりあ)。天国で、君も元気にしてるか?」  坂木が微笑めば、村瀬は手を合わせたまま、真面目な顔でそこに飾られた写真を見つめる。波打つ黒髪、そばかすの浮いた小麦色の肌、細めた灰色の瞳、眩しい笑顔。坂木の内縁の妻で、村瀬の母、麻里亜は額縁の中でとても美しい。  亡くなってからのほうが美しいと坂木がかつて言っていたことを思い出し、村瀬もまた微笑む。 「……倫太郎さん、食事にしましょう」  村瀬が正座を解いて立ち上がると、坂木も腰を上げる。船旅に出る人を港まで見送りにきたように、名残惜しそうに視線を遺影に投げてから、 「ああ。ごはん、食べよう」  坂木は笑って村瀬と食卓についた。
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