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「──こ、」
「こ!」
「……、」
紫陽は呆気にとられ、石丸は名のとおり石のようなその顔を真っ赤にし、ひさはあれは冗談ではなかったのかとあわてる。
螢雪だけが涼しい顔で「顔見せはもういいな。次は──」と話を進めようとしていた。
「ちょいと待ちな。螢雪、婚約者ってどういうことだい」
「言葉を知らないわけじゃないだろう。家に置いてみたら悪くなかった、だから婚約した。もうそいつは俺のものだ」
「たった一晩で」
「時間をかければよいというものでもあるまい」
「そもそもひさちゃんは結婚できる年なのかい?」
「ひさ、おまえはいくつだ」と螢雪は尋ねてくる。ひさは問われるままに指を立てた。
「十四か。ならあと一年だな。
もっとも何年でも待つつもりでいたが」
ひさちゃんはそれでいいの、と紫陽に聞かれたがひさにはとても答えようがなかった。
螢雪のことは(多少口は悪いが)きらいではない。しかし、婚約者というと。
「せ、先生っ」石が坂を転がるような声で石丸が云う。「そうとは知らず失礼致しました。こんにゃっ……婚約されたと知っていましたらお祝いのひとつでも持ってきましたものを」
「そんなもの、いらん。それより──」
「先生はなんと仰ってご求婚なさったのですか」
「忘れた。今日はおまえに依頼が──」
「婚約者! ふぃあんせ! ああ、螢雪先生の一番弟子としてこんなに嬉しいことはありません! なんてめでたい。ひさ殿、どうか螢雪先生のことをよろしくお願いします。先生はお酒に弱くてですね、飲むとすぐに眠ってしまうのですよ」
「……、」
「あとですね、先生は牛乳が苦手で。この前も──」
「……おい。だれだ、このぽんこつを呼んだのは」
「私じゃないことはたしかだよ」
螢雪ははぁと溜め息をつく。
石丸の興奮が冷めるのを待ってから、石、話せ、と彼は本題に入るよううながした。
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