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1・運命の輪 逆位置
生まれて初めて、食事も喉を通らない程の辛い日々を過ごした。
二日間、バイトを休んだ。
三日目に重い体を引き摺って出勤し、欠勤の謝罪の後すぐに、翠先生に訊いた。
「相手を不幸のどん底に落とすような、呪いのアイテムないですか?」
地の底から這い出て来たような顔をしている環を見て、翠先生はむにょっと肩を竦めた。
「そんなものないわよ。人を呪わば穴二つってね。私はそんな事の為に占い師になった訳じゃないわ。タマちゃんもね、一時の悪い感情に呑まれちゃダメよ」
訳知り顔でそう言って、机の上に広げたカードをとんとんと指で示す。どれか一枚引け、という時の、翠先生の仕草だ。
そんな紙切れで何がわかるというのか。
毎日の運勢に一喜一憂する癖に、環は反抗的にフンと鼻息を吐いて適当に一枚選ぶ。
「運命の輪の逆位置。考え直しなさいってことよ」
ぽんと環の肩を叩いて、翠先生は部屋を出て行った。環はぐっと奥歯を噛んで、その場に立ち尽くす。
人を呪わば穴二つ?
上等だ。二つでも三つでも百個でも掘ってやる。
恋愛なんてものにまるで縁のなかった私の初めてを全部持っていっておいて、二年の歳月を奪っておいて、紙屑のように捨てたあの男。
地獄に堕ちろ。
いや、そんな生半可な気持ちじゃいけない。
堕としてやる。
見てろ。地獄には、私が堕としてやる。
翠先生が好んで飲む桑の葉茶を煎じながら、薬缶の口から噴き出る湯気に、環はそう誓った。
♢♢♢
知恵を絞って散々考えたが、章二を地獄に堕とす方法は一つしか思い浮かばない。
それを為すには、ある程度の距離まで章二に接近する必要がある。
環は熱心な追っかけのごとく、章二のスケジュールを調べた。昼も夜もなく、調べに調べた。
だが環の情報収集力などたかが知れている。調査は難航していた。
そんな中、折り良く章二が出演する二時間ドラマの撮影が始まるらしい、という情報を見つけた。舞台は東京の隣県の新興住宅地で、都内寄りの埼玉に住んでいる環の家からは少し遠いし交通費もかかるが、充分に行ける距離だ。
満を辞して撮影現場である市営公園に向かった環だが、撮影そのものは行われていても章二の姿は見当たらなかった。
しかしよく考えたら、ドラマの撮影現場なんて初めて見る。やっぱり俳優さんは一般人とは佇まいが違う。パリッとスーツを着こなした精悍なベテラン壮年俳優に目を奪われかけるが、本来の目的を忘れてはいけない。
注意深く辺りを見回す。
それでもやっぱり見当たらない。章二の出番がない場面なのかもしれない。
もしかしたらこのまま撮影が終わる事もあるのだろうか。
出来れば早急に片を付けたい。最低賃金で働くしがないフリーターである環は、常に金欠状態だ。何度も遠方まで出向いていては交通費が保たない。
そう不安になったところに──
現れた。章二が。
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