少女の記憶

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少女の記憶

 すれ違う人の居ない校舎の廊下。窓から射し込む傾きかけた陽が、私を背負う衛藤先輩の影を長くしていた。  先輩の肩に乗せた私の手。ぷっくりと肉付いたみっともない指。  グラウンド方面から元気な声が届く。今日は放課後に一時間、生徒には体育祭の応援練習が義務付けられていた。帰宅部である私がこの時間まで学校に残るのは久し振りのことだった。  免疫系の病気を患っている私の身体は、エネルギーを作り出すことがとにかく下手だ。学校の階段の上り下りでさえ大仕事となる。  そんなだから体育の授業は毎回見学。体育祭の種目にエントリーすることもできない。せめて応援合戦くらい参加するように教師に勧められたのだが、練習終盤に眩暈(めまい)を起こして倒れてしまった。  小・中学校時代は事情に詳しい幼馴染みが大勢居たので、病弱な私が体力を使う作業を免除されても問題視されなかった。しかし高校進学に伴い幼馴染みの大半と別れることになり、一緒に入学した数少ない友人ともクラス分けで離れてしまってからは、特別扱いされる私への風当たりが強くなった。  病気のことは担任によって新しいクラスメイト達にも説明されたのだが、健康な十代の少年少女にとっては縁遠い話だったのだろう。体育を見学する私は、特に面倒臭がられる長距離走や水泳の授業をパスした際に、「ズルい」と陰口を叩かれるようになった。 「アイツ仮病じゃね?」 「動かねーからデブるんだよな」  食べた物はほとんどエネルギーとならず、ほぼ脂肪として蓄えられる。だから私はぽっちゃり体型だった。肥満まではいかないように気をつけたけれど、普通体型やスリムな女子の中で私の体型は目立った。  私と同程度か、もっとふくよかな女子も数人居たが、体育にちゃんと参加している彼女達は侮蔑の対象にされなかった。 「あーあ、机運ぶのかったりぃ。子豚ちゃんは毎回ホウキ担当でいいよね~」  校内清掃の際はいつも揶揄(やゆ)される。  いいと思うのなら、今すぐ身体を取り換えてくれと私は心の中で反発する。余計に嫌われるので口には出せないけれど。  私だって思い切り走りたい。泳ぎたい。大きな声で歌いたい、踊りたい。  行動を制限されるこの身の何処がいいものなのだ。 「先生、あれ、居ないのか……?」  衛藤先輩は保健室の無人のベッドへ私を寝かせて、履いていた外履きを脱がせてくれた。 「す、すみません、足、汚いのに……」 「気にしないで、全然汚くないよ。俺の靴の中なんか凄いから。嗅いだらキミ、一発で気絶しちゃうかもね」  冗談を交えながらにこやかに先輩は私の世話をしてくれた。渡された体温計を私は脇の下に挟んだ。  三年生の衛藤先輩は校内の有名人だ。ルックスが良く、責任感が強く、協調性も有るとなれば人気が出るのも当然だ。過去に生徒会役員にも推薦されたそうだが、サッカー部の主将である彼はサッカーに集中したいから断ったとの噂だ。 「微熱が有るね……。熱中症かな?」  体温計に表示された数値は37.3だった。 「いえ……私には生まれつきの持病が有って、すぐ気分が悪くなっちゃうんです」 「……そうなんだ。だったら無理して練習に出ることないのに」 「体育祭の通常種目に参加できないので、応援くらいならって……。結局これも駄目で、先輩にも周りの人にもご迷惑をおかけしました」 「迷惑になんて思ってないよ」  衛藤先輩は真面目な顔した。もう大人の男の顔つきだ。  中学時代は男子をヤンチャ坊主としか見ていなかったけど、高校に入って先輩達の大人っぽさに驚いた。特に衛藤先輩は精神年齢も高いのだろう、実際は二つ違いでしかないのに、四つか五つくらい歳の離れた大人に見える。 「俺の名前はもう知っているみたいだね。キミの名前を教えてくれる?」 「いっ、岩見鈴音(いわみすずね)です!」  先輩に名前を聞かれるとは思っておらず、声が裏返った。私も先輩に憧れる女生徒の内の一人なのだ。 「イワミちゃん」  更に名前を呼ばれた。名字だけど。 「生まれつきの病気ならキミのせいじゃない。どうしようもないことだろう? 周りのみんなだって解ってるよ」  …………いいえ、残念ながら。受け入れてくれるのは付き合いの長い幼馴染みか、先輩のような優しい一部の人間だけです。  でもそれは仕方の無いことなのだと悟っている。簡単に倒れる人間が近くに居たら厄介だもの。  保育園や幼稚園は受け入れ先が見つからなくて通えなかった。今以上に体調管理が下手だった小学校時代は、具合が悪くなった私を迎えに頻繫に親が学校に呼び出された。私を愛してくれている家族ですら、私に振り回される生活に疲れを感じているだろう。 「家の人に電話する? スマホは学校に有る? クラスと席を教えてくれたら、俺がイワミちゃんの荷物を取ってくるよ」 「えっ、そんな、大丈夫です! 37度台前半の熱ならすぐに下がるので、少しここで休ませてもらえば……」 「そっか。でも職員室に寄って、先生には声を掛けておくね」  衛藤先輩はとことん善い人だった。噂よりも実物はずっとずっと素敵な人だった。 「あ、ありがとうございます。いろいろと……」 「お大事に」  爽やかな笑顔を置き土産に先輩は保健室から出ていった。私は制服だが、応援練習の後に部活動をする先輩はジャージ姿だった。濃紺の後ろ姿が完全に消えるまで見送った。  扉が閉められた後、私は両手で顔を覆い簡素なベッドの上で歓喜に打ち震えた。  密かに慕っていた衛藤先輩と二人きりの時間を過ごせたなんて。この幸運のせいでまたクラスメイトに何か言われるだろうが、今のこの幸福感に比べたら些細なことだ。 (あああ。先輩の低い声カッコイイ。イケメンで紳士でイケボの持ち主ってもはや無敵では?)  早く家に帰りたいと思った。そして今日の感動をすぐに文章にしたためたいとも。 (今日はいつもよりの描写をリアルにできそう!)  誰にも言えない趣味なのだが、私は大好きな衛藤先輩をモデルにして、自宅でこっそり恋愛小説を書いていたりする。  最初に書いたのは現代が舞台で、学園ヒーローが何故かモブな女のコを好きになるというストーリーだった。設定自体は昔から少女漫画に有る黄金パターンなのだが、問題はヒーローに衛藤先輩を実名で使い、ヒロインには私をもちろん実名で配役した点だった。人に読まれたら羞恥心で死ねるレベルの痛い小説だ。  途中で流石に自分の妄想が気持ち悪くなって処女作は廃棄した。  敗因はフィクションでありながら、実在の人物をそのまま登場させたことだと私は分析した。  なので新しい作品では、衛藤先輩に似せた架空のキャラクターを作ることにした。舞台も現代ではなく西洋風ファンタジーにした。これによって照れ臭さがかなり減らせた。家族にうっかり読まれても完全創作だと誤魔化せる。  そして生まれたのが、ラグゼリア王国で冒険をする勇者エリアスだ。  強く公平で女性に紳士な対応を取る完全無欠なヒーロー。  そんなヒーローが恋するヒロインも魅力的な人物であるべきだろう。  私が将来こんな女性になりたいな、と思える要素の全てをヒロインにぶち込んでみた。  スリムで美人。女だから護られて当然の考えではなく、ちゃんと鍛えて戦える女戦士。でも決して傲慢ではなく、自分に自信が持てなかったり涙もろい面も有ったりする。  一番の持ち味は何といっても健康! ヒロインはとにかく健康な女性! 広大な土地のあっちこっちを走り回っちゃうくらいに。  そして生まれたのが、元羊飼いで素朴な美女であるヒロインだった。  私とは全然違うが、私の願望から生まれたのだからヒロインは私の分身だ。だから鈴音から取ってベルと名づけていた。  でも衛藤先輩の低音ボイスで「イワミちゃん」と呼ばれて、岩見をもじった名前に変更したくなってしまった。  岩見……岩……ロック。色気が無いな。どうして私の名字は岩見なんだ。  まぁいい。ヒロインの名前は後でゆっくり考えるとしよう。 (ふあぁ……。胸がまだドキドキしてる……)  体調が悪いせいではない。これはきっとトキメキというやつなんだろう。白黒だった世界に色がもたらされたかのようだ。 (衛藤先輩…………好きです!)  現実世界では告白なんて大それた真似はできない。モブな私にそんな資格は無い。  でも小説の世界なら……。  初めて挑戦するファンタジー小説だから、上手く物語が進まないかもしれない。だとしても大丈夫、書き直せばいいだけだ。失敗しても何度でも。  ヒロインは魅力的だから沢山の男達に言い寄られるだろう。  だけど彼女が選ぶのはいつだってだ。何回世界が繰り返されようと。  もまた、世界が何巡しようとヒロインを愛し求める。  エリアス。私のヒーロー。
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