後編

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後編

  ……またいつもの夢だ。 真音は明晰夢を見ていた。  何処となく、フィンランドの民族衣装「カンサリスプク」のようなものを身にまとう鳶色の髪少年と、亜麻色のお下げ髪の少女が向かい合っている。二人は幼馴染だった。少年は大切そうに何かを右手に握りしめている。それを『マノン、これ……』と少女に差し出した。少女は両手の平でそれを受け取る。  『なにこれ? 綺麗』 少女の名はマノンと言うらしい。彼女の両手にはいろどりの小さな玉が、陽の光を受けてキラキラと輝いていた。透明、ブルー、オレンジ、イエロー、グリーン……  『いまはガラス玉しかあげられないけど、立派な騎士になったらホンモノの宝石をあげるよ』 『ありがとう、タクト』  少年はタクトと言う名前のようだ。ガラス玉と言えど、ここまで透明度が高くて澄んだ色合いのものはそれなりに値が張っただろう。二人は見つめ合い微笑み合った。 『このグリーン、特に好き。タクトの瞳の色みたいだから』  それは透き通ったエメラルドグリーンのガラス玉だった。タクトは嬉しそうに笑うと、たすきに掛けていたバッグの中から何かを取り出した。大事そうにそれを握りしめていた右手をそっと開く。それを見るなり、マノンは息を呑んだ。  『これはオレの宝物だ』 得意そうに言う彼の手には、透き通るようなライラック色の小さなガラス玉が煌めいていた。それはマノンの瞳の色を彷彿とさせた。  『素敵、こうしてガラス玉越しに景色を透かせて見ると……』 『あぁ、魔法の国へ行った気分になる』  しばし、二人はガラス玉越し見る風景を楽しんだ。  『俺、もしかしたら日焼けして逞しくなったり、髪型が変わっているかもしれないから。俺が帰って来た時、二人だけの合言葉を決めておこう』 『そうね、私ももっと髪を伸ばして巻き毛にしたり結い上げているかもしれない』 『何にしようか?』 『そうね……こんなのはどう?』  それから少年は夢を叶え、数々の戦で手柄を立てていく。英雄と呼ばれるようになった彼は、約束を果たすべく少女の元を目指した。  少女は待ち続けた。少年がくれたガラス玉越しに見る季節を眺めながら。彼の無事を祈り、不安に押し潰されそうになる度に、エメラルドグリーンのガラス玉を眺めた。彼の瞳に見つめられ包み込まれているような気がして落ち着いた。  戦が集結しても、少年が帰る事は無かった。この国の王女が彼を見初め、専属騎士に指名したのだ。この国では、王族に逆らえば当人だけでなく、血縁関係の者や親しくしていた者全てが処刑の対象となる。少女を守る為には仕方が無かった。彼は生涯独身を貫き、ライラック色のガラス玉を肌身離さず持っていたという。  彼が王都に留まる事を風の便りに聞きつつも、マノンはずっと待ち続けた。ガラス玉越しに移り変わる風景をいくつも眺めながら。  ……あれ? いつもより内容が明確だ。自分の名前が夢物語に出て来るなんて、やっぱり中二病かなぁ。昨日の事がショックだったのかな……  夢の中で分析する。昨日の午後、庭師が『里穂誕生記念樹(銀葉アカシア)』の手入れに来たのを見てしまったのだ。やはり父親の一番は自分では無いのだ、とまざまざと見せつけられたような気がした。  「アハハ、最初から知ってたから全く平気だもんねーだ」 とひとりごち、強がってはみたものの。本当は相当なダメージを食らっていた。  続いて、夢の中の場面が切り替わる。  白のワイシャツに紺色のパンツ姿、薄茶色の瞳を持つ少年と、女学生姿におかっぱ頭の少女が小川が流れる森の中で向かい合っている。少年は旅芸人一座の息子で、劇を見に来ていた少女と互いの視線が絡んだ途端、『マノン』と『タクト』と言う名を持つ前世を思い出したらしい。やっと会えたと再会を喜び合う二人は人目を忍んで逢引をするようになる。  『とても綺麗……』 少年は、少女に色とりどりのガラス玉を渡した。  『びいどろ玉だよ。ほら、こうすると……』 『天地が逆さまに見えるのね』 二人はびいどろ玉越しに景色を眺め楽しんだ。少女は緑色の玉を、少年はライラック色を持ち、各自ハンカチに包んで鞄に収めた。  別れ際、少女が卒業する時を目途に再会を誓い合った。 互いにびいどろ玉越しに巡る季節を眺めながら待ち続けた。  けれども、その後二人が再会する事は無かった。戦争が二人を引き裂いたのだ。  ぽっかりと目を開けた。部屋の柱時計を見れば午前六時。もう、陽は昇っている頃だ。  (そう言えばさっき見た夢の小川、近くの『沢』に似ていた) 素早く起き上がると、素早く洗面所に向かった。  (遠つ人、今度こそ逢える!) それは確信めいた予感だった。逸る気持ちを抑え、洗顔後に美容液パックをしながらミディアムボブヘアーを丁寧に梳く。持って来た服の中で自分が一番可愛らしく見える淡いエメラルドグリーンのワンピースを選んだ。音を立てないように注意を払いながら玄関へと走る。白いサンダルを履き、転がるようにして外へ出た。  (早く逢いたい!)  玄関の鍵を掛けるのがもどかしく感じるほど気が急く。自転車に飛び乗ると、近くの沢を目指した。  広がる田畑、あぜ道を五分ほど走らせると、竹林に突入する。そこには幼子が大喜びしそうな沢が流れているのだ。竹は緑の結界のように沢全体を包み込んでいて、真夏でも涼しい。沢の周りには座るのにちょうど良い岩がいくつも点在しており、足先を浸したり沢蟹と戯れるのにも適している。幼い時、この場所でガラス玉越しに沢や竹を見るのが好きだった。  もっと早く! 早く会いたい!!   畑で仕事をする人も、蝉時雨の喧騒も聞こえない。自転車と一体化して風のようにそこを目指した。  家から竹林は見えているのに、未だ着かないのがもどかしい。聞こえてくる小川のせせらぎ、風にそよぐ竹の音。それらが近づく毎にドクンドクンと痛い程に波打っていく鼓動。  あぜ道の端に自転車を止め、無意識に手櫛で髪を整える。  果たして、待ち人は本当に居るのだろうか? 妄想に過ぎないのでは? 緊張で手が震えるのを覚えつつも、左手にびいどろ玉を握りしめた。  竹林に足を踏み入れれば、爽やかで涼しい風が頬を撫でて行く。  ドクン、と鼓動が乱反射した。少し奥に、小岩に腰をおろし両足を沢の水に浸している若い男が居る。真横姿だが、白いポロシャツにライラック色の短パンという姿で、鼻が高く長身細身であるのは伺える。竹の葉の隙間から零れ落ちる木漏れ日が、彼の短髪を金褐色に演出していた。高鳴る鼓動と震える体を懸命に抑えながら、静かに近付いていく。  彼は右手にガラス玉と思しき物をつまみ、それ越しに竹林を透かして見ていた。 「……タクト?」  言葉が自然と流れ出た。彼はゆっくりと声の主を見つめる。艶やかな鳶色の桃花眼の持ち主だった。精悍さを秘めた端正な顔立ちが、夢の中のタクトと旅芸人の少年の姿と重なって行く。彼はその手にライラック色のガラス玉を持っていた。  真音は左手からエメラルドグリーンの玉を取り出して掲げる。彼は一瞬の瞠目の後、蕩けるような笑みを浮かべた。  「……マノン?」 彼のテノールが、全ての『こたえ』を象徴していた。    「やっと、逢えたね。僕の今の名前は瀬澤拓斗(せざわたくと)だよ」 と言いながらゆっくりと立ち上がり、真音と向き合う。  「私は卜部真音」 二人は微笑みを交わし合うと、前世で約束した合言葉を示し合わせたようにして同時に唱えた。  「「これからもよろしく!」」  【完】
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