中編

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中編

 「帰っていたのか?」 唐突に、背後より響くバリトンボイスに我に返る。紺地に朽葉色の甚平に身を包んだ、ひょろり背が高い男が笑みを浮かべていた。真音の父親だ。切れ長の瞳と長い睫毛、右の目元の泣き黒子が妙に色っぽい。艶やかな漆黒の髪は肩の下まで伸ばされ、無造作に後ろで一つに結ばれている。深みのある黒い瞳が黒水晶(モリオン)のように神秘的だ。「年齢不詳の美形作家」とかで熱狂的な女性ファンが多い。そうなのだ、父親は『作家』を生業としていた。髪も梳いているし、足取りもしっかりしている所を見ると締め切りは無事に終わったのだろう。  「うん、昨日の夜着いたところ」  父親が美形とか言われて持て囃されるのに、どうして父親似の真音は「華やかな妹に比べて地味」だとか「平凡」「親御さんも妹さん美形なのに気の毒に」とか言われるのだろう?   思うに、姿形に関係なく。人を惹き付ける要素には『華』の有無に関係があるのだと思う。それはで、努力ではどうしようも無いのだ。その証拠に、里穂はさほど成績は宜しくないし演技も上手いとは言い難い。それでも大人気だ。  しかしながら、人気が高まればその分アンチやヘイトも増えて行くものだ。常に頂点で居続けるには、それに打ち勝てる鋼の精神力や、生存能力、ある種の鈍感力も必要だろう。小心者の真音ではとても耐えられない。妄想の中で自由に遊ぶ事は大好きだ。けれどもそれが才能と結びつくかは話が別だ。  考えても『こたえ』の出ない事は無視するに限る。その分、好きな事に費やしたりした方が効率的な上に自分自身の為にもなる。祖母の受け売りだが、真音が学んだ処世術の一つだ。祖母は星空が美しい阿智村で「よく当たる手相占い師、阿智村の母」として今も活躍中だ。祖父は趣味の盆栽を楽しんでいるという。祖母によれば、親も完璧な存在ではなく。子供と共に学び経験し成長していくもので。中には親と子の相性が良くないケースもある。それは断じて子供のせいではないのだ、と教えてくれた。分からず屋の大人の心根を変えるのは非常に難しいので、それよりは楽しい事に気を向けた方が楽だよ、とも。他には、物事は多角的に見ると苛立ちや悩みは少なくなるから沢山読書をしなさい、と。幼い真音が、丸くてキラキラしたものが好きだと知って「びいどろ玉」だよ、とプレゼントをしてくれたのも祖母だ。  「そうか。部活は?」 「夏休み中の合宿はほぼ練習は無くて遊び目的らしいから帰ってきた」  と父親の問い掛けに、真音はかんらかんらと笑った。所属している『創作ダンス』サークルは、ダンスが趣味な人たちの集まりで。元々体を動かす事が好きだった真音は、『美容と健康』と『リフレッシュ』目的で入会した。だが、いざ蓋を開けて見ると出会い目的に入会して来る者たちが多かった。真音とて四月に大学に入学したばかり、お年頃だ。「彼氏が居たら楽しいだろうなぁ」と思わない訳ではない。  だが、今に始まった事ではいが。誰かに話した訳でもないのに人気タレント「里穂りん」の姉だとか。人気の美貌作家『桜梅桃李』の娘だとか何故だかいつの間にか広まっていて。「妹と全然似てないね」とか「お父さんみたいに小説は書いたりしないの?」だとか余計なお世話な事ばかり聞かれたりして辟易していた。  「ははは、そうか。まぁ、無理にサークル内でカップルになる必要は無いしな」 「うん、同感」 「まぁ、ゆっくりして行きなさい」 「そうする」  父親と顔を合わせると、大抵はこのような気楽な会話となる。食材は定期便を頼んでいる上、週に三回ほど来る家政婦さんが洗濯や掃除を始め父親の食事の作り置きをしてくれているし。真音は自分で作るなり、自転車で一時間ほどかけて外食するなり好きにして良い。寝起きの時間も自由だ。芸能活動に国内外を飛び回る妹と、彼女のマネージャーである母親とはセットで殆ど家に居る事は無い。  飄々としたミステリアスな人。そんな父親が嫌いではなかった。  占いを通して大胆なアドバイスを授けてくれる祖母も好きだ。「夢は見続けて良いんだよ」と希望を与えてくれた。この二人のお陰で、ひねくれずに育ったのだと分析している。  だから、母親が面と向かって「正直言って、真音の事は好きになれないのよね。私からの愛情は期待しないで。その代わり、自活出来るまでは金銭援助はしてあげるから」と言われても、妹からは「お姉ちゃんって私を引き立てる為だけに生まれて来たみたいだね」と、腹黒さの垣間見える花笑みで伝えられてもさほど傷つかなかった。むしろ『表向きは愛情深いふりをして影で貶められるよりも、毒が目に見える分恵まれている』と思えるし、金銭援助は有難い。  幾度か、祖母や父親が間に入って母親と真音の関係修復を図ろうと画策していたのも知っている。結果は暖簾に腕押し状態だったが、彼等の気持ちが嬉しかった。だからと言って祖母も父も、妹よりも真音を愛してくれる訳ではないが、十分だ。それ以上望んだら罰が当たる。
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