N.TOKYO

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N.TOKYO

 22XX年8月、保護都市N.TOKYO(ネオ・トーキョー)。  本日の最高気温は32℃、湿度は68%、風速は4m、緩い南風が梢を揺らす。猫の額ほどの庭では、ひまわり達が水色の夏空に向かって1ダース程起立している。僕は手にしたホースの先をキュッと押し潰した。勢いを増した細い水が高く放物線を描いてキラキラと庭に降り注ぐ。  突然のシャワーを避けるようにツイと方向を変えた細い影が、視界の端を掠めて消えた。 「あ、トンボだ」  ひまわりの区画の隣では、和紙を捻ったような朝顔の蕾が幾つも膨らんでいる。蔓が巻き付く竹竿のてっぺんを、クルマトンボの細い足が器用に掴んでいた。 「おーい、(そう)。通信が来てるぞー」  300年以上昔の“古民家”と呼ばれるデザインで建てられた僕達の家。庭に面した板張りの廊下――縁側から手を振るのは、僕の人生のパートナー、西城要(さいきかなめ)だ。和装が好みで、今日は濃紺に白のストライプの作務衣を着ている。がっしりした肩に高身長の彼は、洋装の方が似合うと思うんだけど、本人は“純和風”に拘っている。そう、この家も彼の趣味だ。床は畳、食卓テーブルはちゃぶ台、寝具は布団という徹底ぶりだ。 「ありがとー。水止めてくれる?」  ホースに溜まった水を捨て、クルクルと丸めて縁側に置く。サンダルを脱いで室内へ入ると、ヒヤリと心地良い完全管理された空気に包まれる。  居間の隣室の襖を開ける。フローリングに事務机(デスク)。奥の壁に、はめ込まれたスクリーンが白く光っている。ここは、僕の仕事部屋だ。  革張りの椅子(チェア)を引いて腰を下ろす。同時にリモコンの操作ボタンを押す。ブン……と機械音が響いて、ツーブロックの黒髪に黒いスーツの男――秘書の(かつら)が現れた。 「お待たせ。なにかトラブル?」 『(いぬい)第二プラントで黒皮病(こくひびょう)が発生しました。収穫前の35%が廃棄処分になりました』  桂の眉間の縦皺が深くなる。状況は深刻だ。 「原因は? あそこは地下水を浄化して、安全なはずだろう」 『その浄化水が狙われました。地中から横穴を掘って、パイプを』 「連中の狙いは、水だけ?」  水を得るために作物を犠牲にするなんて、馬鹿げた話だ。だけど、では安全な水を得ることは難しい。 『今のところは。先月の地表嵐(メガスィエラ)O.TOKYO(オリジナル・トーキョー)の集落が2つ消えたと聞いています』 「仕方ないね。連中も死活問題だ。でも収穫量は上げなくちゃ」  ここは……取引が必要だ。連中の求めるものを提供する代わりに、僕らは……資源をいただく。それがこの世の理だ。 『交渉に行かれますか』 「うん。僕らも慈善事業じゃないからね」 『了解しました』  プツン、と通信が切れる。  僕の会社は、国内外にある1000を越えるプラントで生産された安心安全な食糧を、決められた納期までに提供すること。納品先は、ここN.TOKYOを含む保護都市連合政府(T H E U N I O N)だ。すなわち、収穫量の減少は保護都市の人民を飢えさせることになる。それだけは、あってはならないことなんだ。
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