(1) 半熟探偵、誕生!

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(1) 半熟探偵、誕生!

 私は市立丸抜小学校の六年生。来年からは隣接している市立丸抜中学校に進学する。ゴールデンウイークが明けたある日、私は昼休みに音楽室に来ていた。音楽の土屋先生の前で、トランペットの練習の成果を見せに来ていた。  四年生から六年生までは週に一、二回のクラブ活動を推奨されている。中学生の部活動に似ていて、部活の種類は豊富だ。運動部だけでも、陸上部、サッカー部、バスケ部、卓球部など。他に美術部、クイズ部、料理部、手芸部などがある。  私は昨年度から新しくできた音楽部に入っている。音楽部では、普段の授業では決してさわれないだろう木管楽器や金管楽器を吹くことができる。クラリネット、サックス、フルート、トランペット、トロンボーン。部員は十人ちょっとで、自分たちで好きな楽器を選んで担当している。そして練習して何曲か演奏できるようになると、校内で発表会を開くんだ。  長期の休日に入ると、となりの丸抜中学校の吹奏楽部にお邪魔して、先輩方から指導を受ける。もちろん昨日までのゴールデンウイークでも、吹奏楽部の先輩方に間違ったクセや、高音の吹き方のコツなどを教えてもらって、また吹けるようになった曲が増えた。そこでの練習の成果を、私はさっそく土屋先生に聞かせに来たのだ。  土屋先生は私が入学した年から、この丸抜小学校に赴任してきた三十歳ぐらいの男の先生だ。物腰が柔らかくて、いつもニコニコ笑っている。ピアノの伴奏がとても上手で、聞けば大学生まではピアノのプロを目指していたそうだ。でも教育実習で母校に行ったとき、先生になりたい……なろう! って思ったらしい。だから今はこうして、小学校の音楽の先生をしている。  私は吹奏楽部の先輩から教えてもらった、有名なアニメのオープニング曲のワンフレーズを吹いた。高い音と低い音の行き来が大変な曲だけど、コツを教えてもらったから吹けるようになったんだ。なんとかミスなく吹き終わると、土屋先生は大きな拍手を送ってくれた。 「すごいね半田さん。上手だよ。息継ぎも良かった」  土屋先生はそう言ってほめてくれた。 「四回に一回しか上手に吹けないんです。今のはその一回でした」  私が照れながらそう言うと、土屋先生は「それでも良いんだよ」と笑って言った。 「今は四回に一回でも、練習を欠かさなければ二回に一回まで行く。気づけば完璧に吹けるようになっているはずだよ」  土屋先生はそう言うと「上手な演奏を聞かせてもらえて良かったよ」と私にほほ笑みかけた。吹いているときは緊張で感じなかった恥ずかしさを、今になって思いだしたかのように感じていた。顔も熱くなっている。思わず私は土屋先生から視線を外してしまった。すると壁の時計に目がとまった。 「あ、もうこんな時間だ」 「そうだね。そろそろ戻った方が良いかもしれないよ」  私は急いでトランペットの中のツバを外に出すと、マウスピースを外してケースにしまった。その間にピアノの前に座っていた土屋先生はおもむろに立ち上がって、音楽室のうしろの壁の方へと歩いて行った。  音楽室の背面の壁には一面、引き出しの棚がしきつめられている。中にはカスタネットやトライアングルなど楽器が入っている引き出しもあれば、木琴や鉄琴に使うバチがしまってある引き出しもある。ほかにも合唱曲用の楽譜やCDが入っていたり、音楽部用の書類が入っている引き出しもある。全部で四十近い引き出しがあるというのに、土屋先生はすべての引き出しを把握していた。そして私は知っている。この棚の中に一カ所、土屋先生の私物入れようの引き出しがあることを。  左から四つ目、上から五段目。四月五日が誕生日の土屋先生はその引き出しを〈土屋の部屋〉と呼んで、お気に入りのCDや思い出の写真、卒業生からのプレゼントや手紙などをしまっている。どの引き出しでも生徒が勝手に触ろうものなら、土屋先生は「いけませんよ」となだめるように叱る。けれど私のような一部の生徒には、私物の引き出しがあることをこっそりと教えてくれている。それが土屋先生と秘密を共有しているみたいで、私はうれしかった。  土屋先生は〈土屋の部屋〉の引き出しから何かを取りだすと、私に「手を出して」と言って差し出した。右手でそれを受け取ってみると、土屋先生から渡されたものは、花柄の小さなポケットティッシュだった。うすいビニールのフィルムの下にも花柄が見える。ティッシュの紙、一枚一枚にも柄のあるものだと分かった。 「かわいい!」 「ステキな演奏を聞かせてくれたお礼。みんなには内緒だよ」  土屋先生はそう言って人差し指を自分の口にそっと当てた。また一つ、秘密を共有してしまった。私はうれしくなりながら大きくうなずいた。 「はい! 誰にも……秘密にします!」  私はその小さなポケットティッシュを大事そうにズボンのポケットにしまうと、土屋先生に深くお辞儀をした。 「聞いてくれて、ありがとうございました」 「こちらこそ。ほら、そろそろ授業だよ?」 「はい! じゃあ先生、また明日の放課後ね!」  私はトランペットケースを両うでで抱えると、音楽室の戸を開けた。土屋先生に手を振ってから、その戸をそっと閉める。そして歩きだそうとしたとき、ふとろうかに並ぶ肖像画が目に入った。  音楽室の戸の右側の壁。端から二つ目、下の段の肖像画。そこには「モーツァルト」と名前があるだけの、すがたなき肖像画があった。これがうわさの「逃げたモーツァルト」だ。「逃げたモーツァルト」の行方を知る人は誰もいない。私はしずかに肖像画に向かってうなずくと、駈け足でその場を離れた。
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