最期はナイチンゲールと

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 座り込んだ状態からシステムが復帰するまでにかかった時間は、二十一分四十五秒。普段の四倍かけて目覚めたとき、棺の前に女がいた。天井に投影される星空のもと、ひどく静かに佇んでいた。 「どなたですか」  ココは立ち上がり、もう一度問いかける。同時にバックグラウンドで通報の準備を整える。女がゆっくりと振り返った。  年齢は小夜の母親ほどではありそうだが、日系人である小夜との血縁と思しき特徴は一切ない。東欧系の顔立ちに赤毛、長身、ミリタリー調のラフな格好。照会範囲を広げて入所者の家族まで検索したが、該当する人物はいなかった。 「フローレンス。地球の戦地で小夜を拾ったドクターだ。ガス兵器が使われた街でね、病院に連れていったときにはもう肺の損傷が始まってた。小夜の入所手続きは私がしたけど、申請は所属団体名義になってるはず」  彼女は確かめろとばかりに胸元から透明なIDカードを取り出した。  焦点を合わせスキャンにかける。彼女が名乗った身元と申請内容に間違いはない。戦地で救助されたという情報も、小夜の病状も合っている。ココは通報の用意を解除した。 「確認できました。失礼いたしました、フローレンス」 「いや、こっちこそ急に来て悪かった。で、ココは? 再起動は済んだの」  訊かれたココは己の手を見おろす。  人間と見紛うほどに精巧な五指の手は、採血も点滴も正確にできる。手のひらには検温器、両手で腕を握れば簡易の血圧計にもなる。  ひと通りの機能は正常だ。動作にわずかな重さを覚えたが、起動直後のせいだろう。  ココは「はい」と返事をし、棺へと歩み寄る。白の造花を敷き詰めた中心で、小夜は胸の下で手を組み、人形のように眠っていた。 「処置は、全部あんたが?」 「はい」 「この折り紙のインコも?」  フローレンスの手がそれを掴んだ瞬間、再びどこかの回路がぢりっと焼けた気がした。  その手のなかの青い鳥をまっすぐ見つめる。飛ぶことはおろか生きてもいない、目すらもない、見せかけだけの紙の鳥。 「……小夜は昔、インコを飼っていたんだそうです。家の周辺が爆撃されたときに、ガラスが刺さって絶命してしまったと言っていましたが」  はじめて小夜と顔を合わせた日、彼女にそう聞かされた。『ココ』と名前をつけて可愛がっていたのだと。ナイチンゲールの瞳の色が、そのインコの青い羽の色にそっくりだったと。 「それで折ってあげたの」 「はい。鳥の動画を見せたらとても喜んでいましたので」 「やさしいね。規定外のことにも対応するなんて」  口調のなかに、咎めるような響きがあった。  お絵描きや折り紙の対象年齢は六歳以下。たしかに規定外ではあるが、はたしてこれはやさしさだろうか。人の言うやさしさはいつも曖昧で、基準がわからない。 「……私はナイチンゲールですから」  ありきたりに返すと、彼女は眉間にしわを寄せた。 「違うって。あんたさ」フローレンスがココの手を取る。「違和感があるんじゃないの。それはアップデートなんかとは関係のないやつだ」  小夜に触れてごらん。  そう言って小夜の組んだ手に導かれ、触れる。  もう二度とココに向かって伸びてくることのない、硬直しきった冷たい手。小夜の顔の横に表示された死亡(DEAD)の文字が、ノイズで乱される。目の奥で火花が散るような気配がする。  嫌な予感がした。  そもそも、『嫌な予感』などという感覚的な言葉が沸くことがおかしいのだ。  いったいいつからだろう。小夜が死ぬより前? それとも、死んだあとに? さらに言えば、 「なぜ……」  フローレンスが気づいたのか。ココは縋るように彼女を見た。彼女は小さく嘆息する。 「言ったでしょ、ドクターだって。私はあんたたちナイチンゲールの博士(ドクター)だ。そうなった個体をいくつも見てきたんだよ」  自分の内側を走るおびただしい数の処理の隙をつくような違和感があった。混じり気のない0と1の情報の海のなか、輪をかけて優劣をつけようとするなにかの存在に気づいていた。 「ではなぜこうなるか、おわかりなのですか?」 「残念ながら明確には不明。摩耗した神経回路が原因で判断処理能力が鈍った結果、人間でいう迷いや葛藤、情と呼ばれるような、いわゆる心に似た動きになる、と仮説立ててはいるけれど。あんた、第二世代あたり?」  ココはうなずく。製造から七年、看取った者は二十人にも及ぶ。つまりナイチンゲールとしての寿命が近いのかもしれない。  となれば、いつも行うリセットでは済まない。工場に戻されすべてのメモリを削除したのち、コアのソフトウェアを交換することになる。そしてまたどこかの医療施設で、新たな誰かの看護をする。  子どもと接した学習記録だけは有用だとして残される可能性があるが、それもどこまで認められるか。  それはつまり、小夜と過ごした時間が、消えてしまうことを示していた。 「……フローレンス」 「ん?」 「人は、こんなにも重たく複雑なものを身体にかかえているのですか」
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