第12話 海鳴り亡霊

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               2  晩秋の風は冷たく、かすかに雪の気配がした。  久保田春夫は暗い空をを見上げた。親友の青木一郎が行方不明になってから三か月が過ぎようとしている。  あの日、多くの人たちが捜索にかかわったが、とうとう彼は発見されなかった。いたずらに日にちばかりがたってしまって、師走がすぐそこに迫っていた。  久保田は後悔し続けていた。青木を真夏の太陽にさらして健康的にしてやろうと考えたのは、俺の独善的な傲りだった。一緒に行った久留美も潤子もすっかり元気をなくしてしまい、授業にも顔を出さなくなった。  全部、俺のせいだ。久保田は自分を責めた。  青木一郎の両親の時間は止まったままで、死亡届も出せず、墓の建立もできず、月命日になると湘南海岸へ行って、息子が帰ってくるの待った。久保田たちも遠くの水平線を眺めながら祈った。  ――明日の早朝には初雪が降るでしょう。  テレビの天気予報が、注意するように呼び掛けている。久保田は簡単な夕食をすませると、テレビのスイッチを切り、電気を消して、布団にもぐった。消灯しても真っ暗になるわけでなく、外の町の光がカーテンを透過してきて、家具がふすまや壁に黒い影を落とす。  久保田はアパートで独り暮らしをしていた。間取りは六畳二間と台所、風呂便所つきだ。いつか彼女ができたら、同棲して、お金が貯まったら新居へ引っ越すつもりだったが、今はどうでもよかった。  奇怪な現象はその日の深夜に起きた。  ふと目が覚めた。尿意がある。  便所へ行こうと身体を起こしかけた時だった。  暗がりのなかで、部屋のふすまが、音もなくすーっと開くのが見えた。  泥棒か。  久保田は身体を固くした。電流のような緊張感が背筋を貫いた。ふすまは開いたが、人が現れない。  その代わりに凍てついた風が吹き込んできた。真冬の北風のように寒い。磯のにおいが鼻をついた。桟橋を洗うようなぴちゃぴちゃした音も聞こえる。  その時になって、久保田は布団の真横に人の気配を感じた。見えないが、確かにそこ何かがいるのである。 「あ、青木か?」  久保田はかろうじて声を発した。口の中がからからに乾いていた。  返事はなかった。久保田はよろよろと立ち上がり、照明のスイッチを入れた。ふわっと、部屋全体が明るくなった。  そこには誰もいなかった。ふすまも閉じたままだった。  夢か。  つぶやきかけて、慄然とした。  畳がぐっしょりと濡れている。天井から雫がぽとりと落ちてきて、久保田の首筋を濡らした。舐めると、海水の味がした。  
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