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第12話 僕の問題
その夜、家族が寝静まったのを見計らって、そっと部屋を抜け出した。師走の夜はさすがに寒い。コートを羽織り、閉じた襟元をきゅっと持った。
親父と酒を酌み交わしていた先生もぐっすりだ。『明日は大事な日なのに』と母さんが文句を言っていたが、僕は何食わぬ顔で注ぎ続けた。
今夜、先生には寝ていてもらいたかった。
これは僕の問題だ。先生にはずいぶん助けてもらったのにこんなことするのは身勝手だけど。
僕が20年間忘れ去っていたことの悔しさは誰にもわからない。僕を守ろうとしてくれた家族の気持ちは有難いし理解できる。でも……それでも。
『美花のこと、二人きりで話したい。例の先生は無しだ。来るよな? 光』
『了解。夜、こちらから連絡する』
――――僕は美花を助けたかった。
実家に向かう途中のメール。相手は亮市叔父だった。
明日の法事には来る予定になっていたが、その前に僕に会って話したいという内容だ。美花のことで僕がなにを思い出したのか、叔父は家族の前で言われる前に確かめたいのだ。
あいつは僕が何を言うつもりなのか、恐れている。叔父には、3歳児の記憶なんてと笑い飛ばすことが出来ないのだ。
小学校教師の叔父は今、複数の保護者から訴えられそうになっている。僕らはこの1週間の間に叔父のことを調べた。彼は自分の学校の生徒を盗撮した疑いがかけられていた。
叔父は今までもどういうわけか短いスパンで転勤を繰り返していた。訴訟問題になったのは今回が初めてのようだったけど、初犯じゃないと先生は断じた。ああいうのは、治らない病気なのだと。
子供の被害は表面化しにくい。盗撮のような証拠の残るものならいざ知らず、子供は自分が被害を受けてると分からない場合が多い。ましてや相手が先生だと自分のほうが悪いのだと信じてしまうそうだ。
叔父は長い年月、自分の教え子たちを毒牙にかけていたんだ。学校側も気付きながら、知らん顔してた。問題になりかねると、叔父は決まったように転勤になった。
証拠がないのをいいことに、体のいい転勤でお茶を濁していたのだろうと先生は言う。
――――どいつもこいつもケダモノだな。なにが生徒にも保護者にも評判がいいだ。美花のことも、あいつ……。
僕は亮市叔父との待ち合わせ場所に急ぐ。今夜叔父が宿泊しているビジネスホテルだ。たとえ状況的に真っ黒でも、3歳児の証言だけでは親族を納得させても、叔父を殺人犯で逮捕できない。
『必ず亮市さんからアクションがあるよ。事前に会おうとかなんとか』
天宮先生の言う通りになった。先生には、叔父とは早朝会うことになったと嘘をついてしまった。
ごめんね、先生。けど、僕は誰にも頼りたくないんだ。僕が失っていた記憶の全てを、僕の手で取り返したい。美花に……心から謝罪したいんだ。
「よお、本当に一人で来たんやな」
「こんばんは。なんだよ叔父さん、ウチで泊まればいいのに」
白々しく挨拶をする。向こうはそんなフレンドリーな気分でないのは百も承知だけど。
「ま、狭い部屋やけど入れよ。珈琲でも淹れてやる」
シングルの部屋。ベッドのこちら側に椅子が二脚とテーブルが置かれていた。僕はコートを脱いで入口近くのハンガーにかける。
それから背を向ける叔父の背中を追いながら、僕はスマホの録音スイッチを入れた。
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