ひとりデート 立花繭子 35歳

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 階段を一段一段上る度に、あの頃を想い出す。  ちょうど今みたいにひぐらしが鳴いていた……。 「カナカナカナカナ」 「おっ、(ひぐらし)の鳴きまねかい」 「ええ、ってコッソリ聞かないでよ、清彦さん」 「ごめんごめん、でも惜しいな~~」 「何がですか?」 「蜩はよぉ~~く聴くと、泣き声は微妙に違うんだよ」  そう言われた私は、耳元へ手を添えると、瞳を閉じて聞いてみる。 「う~~ん、私にはカナカナとして聞こえないけど?」 「そんなこと無いよ、深呼吸をしてからもう一度耳を澄ませてごらん?」  私は彼に言われるがままに、呼吸を深く吸い込むと、もう一度さっきと同じ動作をし、蝉の鳴き声に耳を澄ませた。 「マユマユマユマユ、マユマユマユマユ」  ぷっ、可笑しくて思わず大笑いしてしまった。 「もぉーー清彦さん、そんなことがしたくてもう一度っていっ……」   この人は卑怯で狡猾だ。  私が油断しているその隙に唇を奪うなんて。  カナカナカナカナ カナカナカナカナ カナカナカナカナ  ━━繭、今度の仕事が終わったら、結婚しよう  カナカナカナカナ カナカナカナカナ カナカナカナカナ  私がまだ返事を返してもいないのに、それだけ言うと彼は仕事先へと向かってしまった。 「はあはあはあ、なんっで、よりによって、ふぅーーこんな所に有るのかしら」  階段を上り切ると、そこには静かな空間が広がっている。まだ太陽が照り付けている時間だというのに、何故だかそこはひんやりとしている。  唯一清彦さんがこの世にいないと認識できる場所。変にお付き合いが長かったせいか、あの人はここ以外なら、どこにでも姿を現す。電車の中はもちろんのこと、公園、花火大会、海辺、キャンプ場、お祭り会場、七夕、スキー場、クリスマスに初詣。  ううん、それだけじゃない。どんな言葉や蝉のような虫でさえ、あなたは私の前に亡霊のように現れる。それが自分の脳がそうさせていることは分かってるのだけど。  見切りをつけるつもりで来る場所なのに、此処に来る度に私は清彦さんのことを好きになっていく。 「そっちはほんとに、会いに来てはくれてへんのに……ウチはアホや」  私はそう言いいながら、線香に火を灯す。  今日は彼の命日。 「もうこれで最後にしとーとよ、来年はもう来ないけんね」  今度こそ後悔させてやると、墓前で手を合わせ私は誓う。  この日、彼の乗った飛行機は墜落した。 「結婚しようって、あん時清彦さんが言わんければ……ウチは」  そう、いまごろ私はひとりデートなんてしていないと思う。きっと、他の素敵な誰かと家族を持っていたのかもしれないのだ。  苔の蒸した階段を降りると、一台のタクシーが木陰で止まっているが見える。どうやら車内で彼は昼寝をし、わざわざ私が降りて来るのを待ってくれていたみたいだ。  コンコン  軽くノックすると彼はびくっとしたあと、むくっと起き上がり、その後車から出ると、わざわざ手動で車のドアを開け『どうぞ』と私を車内へと導いてくれた。 「涼しい〜〜わざわざ待っていてくれてたんですか?」 「いえいえ、特に新規の呼び出しもなかったんでね。暇だし、ここで昼寝をしていただけですよ、歳なんでね」 「そう、ですか」 「ところで、想い人には会えたんですか?」 「えっ、ええ……お陰様で。どうやら来年もひとりデートになりそうですけど」 「そうですか」 「ええ」 「よろしければ今から観光案内でもしましょう。あっ、でも地元でしたな」 「いえ、ぜひよろしくお願いします。お幾らくらい掛かりますか?」 「お代は結構ですよ、今日は私の奢りです。美人にはサービスってね」 「まあ、そげんなこと、奥様が聞いたら腹かいとーてもしりませんよ」 「あはは、大丈夫です。さっき、家内にはね許可は取って来ましたから」 「えっ?」 「私の妻もね、あの坂の上に居るんです。私がね、唯一あいつがこの世にもういないって……実感させられる場所、それが此処なんですは」 「そう……だったんですね、そうとは知らず」 「いえいえ、お互い様じゃないですか。今日はお互い、ひとりデートを満喫しましょう」  今日このタクシーに乗れて良かった。  ひとりデートをしているのは、どうやら私だけじゃない。
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