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鬼の刻
平和だ。
この村はかつて鬼である「鬼頭一族」に支配されていた。今、その面影はない。子供たちは連れ立って遊びまわり、老人たちも穏やかに暮らしている。青年たちは自らの仕事に熱心に取り組み、女性は皆優しく美しい。
モモタケルノミコトが育った「キビの村」とはそのような村だった。
モモタケルは今日も山間の渓流でヤマメを釣っている。たくさん釣れれば皆に分け、釣れなければまた明日来れば良い。今日は陽気で日も温かい。近所のサエちゃんは「今日もたくさん釣って来てね」などと言っていたが魚も生き物だ。彼らにしても生きるか死ぬか。そんなに都合良く釣れはしない。
渓流を見ていると自分の生い立ちを思い出す。桃から生まれた男児。いや、それはあり得ないだろう。
水面に映る自分を見ても父母には似ていない。父母ともにのっぺりとした顔であるが、自分は彫りが深い。イケメンというよりはワイルド系だろう。目の色も黒というよりは少し明るいような気もする。背丈も村のみんなに比べると高い。頭は……さすがに角は生えていない。
モモタケルの父と母(かなりの年を取っているので痴呆の気がないでもない)が言うには「ばあさんが川で洗濯をしている時に川の上流からドンブラコッコ、ドンブラコッコと流れてきたんじゃ」と、言う。
そういう事もあるかもしれない。
問題は次だ。
「ばあさんが川から拾い上げて、じいさんがその桃を切ると、なんということでしょう。中から桃のオノコが」
川で桃を拾う。
そういう事もあるかもしれない。
しかしである。食べるつもりで切ったとしたら、中の赤ん坊も一緒に斬ってしまっていたのではないだろうか。
そこも違和感はある。
しかしである。もっと根本的な問題点がある。
それは桃の中に人間の赤ん坊が入っているということである。人間は桃から生まれるという性質を持った生き物ではない。通常、生き物、特に哺乳類はその母体から生まれるものである。
人間以外の生き物はどうか。鶏を見よ。卵から生まれて来る。しかし、その卵も本を正せば母鶏から生まれて来る。
ここで推察されるのは二つ。
単純に捨て子を拾ってきた(父母はかなり年老いているので以下略)、若しくは何か訳ありの子供を引き取った。
結論としてモモタケルは桃から生まれたわけではない。
桃から人は生まれないのだ。
モモタケルも今年で18才である。人として生きていく上ので常識も身に着いている。剣の腕は近隣の村では敵う者も少ない。
そんなオノコが納得できないもの。それが自分の出自である。
川面の浮きがクンっと沈む。魚が掛かった合図だ。その合図に合わせて竿を上げる。すると針が魚に掛る。釣り上げるときれいなヤマメだ。もう少し釣れると近所にも分けることができるなと思いながら釣り糸を垂らす。魚籠の中のヤマメを見る。元気良く跳ねる。活きが良い。
しばらく糸を垂らすも釣れなくなってきた。日も暮れてくる。三匹は釣れたので今日はこれまでと帰り支度を始めた。
山を下り始めると心地よい風が吹き始めた。初夏である。風が気持ち良い。
春風の心地よい香りがするのだが、なにか少し焦げ臭いような気がする。しかし、周囲で焚火をする者はいない。そもそも人が見当たらない。気のせいかと思い、歩を進める。
麓に近づくにつれて焦げ臭さはますます強くなる。モモタケルは嫌な予感がしてきた。
村が襲撃されているとか。いったい誰に。盗賊か。落ち武者か。それとも鬼か。
鬼はない。この地域の鬼は異国から来たスサに退治されているのだ。
そう頭では理解しているものの、何かが燃えるこの臭いが消えるはずもなかった。
焦燥を感じ、走り出した。
麓に到着し、最悪の光景を目の当たりにする。
村の全てが燃えている。
家も畑も何もかも。
盗賊の類か、それともどこぞの落ち武者が現れたのか。
皆目見当がつかない。
胸の奥につかえるような衝動がモモタケルを駆り立てた。
何者かが人家の塀に隠れて周囲を窺っている。
村人だ。
モモタケルは事情を確かめるために話し掛けた。
「ビックリするじゃねぇか。いきなり話しかけるんじゃない!」
よく見ると幼馴染のイヌキである。隣村にいるはずだが。
「なんだモモタケルか」と、少し安堵した様子で答える。
イヌキから村の事情を聞く。
奴らは急に現れた。馬に乗り、手当たり次第に火矢を放った。女子供にも容赦なく斬りかかった。多くの村人が死んだ。
しかし、不思議なことにここまで来る間に村人の遺体は見ていない。
「落ち着いて聞け。相手は鬼だ。鬼は人を食べるんだよ」
イヌキの言葉が飲み込めない。
「だから……喰われちまったんだよ!」
肩が震えている。そのイヌキが持っているのはいつもサエちゃんが大事に持っていた人形だ。
「サエちゃんは……」
モモタケルは言い掛けて止めた。その人形から血が滴っている。
「俺は既に鬼を二匹斬った。まだ生きている村人もいるはずだ。モモタケルも来い!」
イヌキが力強くモモタケルの肩を握りしめる。
「お前のじいさんとばあさんは向こうで戦っているはずだ」
じいさんとばあさんとはモモタケルの育ての両親だ。
昔、桃を拾った夫婦。タケスメラギ、サクヤサヤカの夫婦はかつてスサとともに「鬼頭一族」を殲滅した英雄でもある。
「行こう。向こうだ」
イヌキは迷うことなく二人の英雄が戦う村の中心部へと向かう。
二人の英雄が戦っているのが見える。素手で戦っている。あの二人が桃太郎の父母だ。囲まれてはいるものの、踊るように戦っている。
取り囲んでいるのは鬼である。その肌は薄黒く、目は火のように赤い。そして頭には角が生えているのがわかる。
「モモタケルよ、遅かったの。久しぶりの戦じゃというのに体が動かぬ」
「モモタケルもじいさんに加勢しなさい」
二人とも口調はのん気だがその戦いぶりは老人のそれではない。頭は白髪だがその動きは村の若者以上だ。
鬼たちの攻撃をあしらう様に躱し、急所に対して的確な打撃を入れる。その一撃は素手ではあるものの、そのまま倒れる鬼もいる。
その昔スサとともに村を鬼から解放したという話だったが、やはり嘘ではないようだ。
「モモタケル……」
それを見ていたイヌキが腰の刀をゆっくりと抜き放つ。その殺気が四方に放たれた。
「いかん、モモタケル! そやつは……」
じいさんの顔が歪む。
次の瞬間、じいさんの首がその足元に落ちていた。
何が起きた? じいさんの体がゆっくりと倒れる。イヌキが刀を濡らして立っていた。
「タケスメラギ!」
ばあさんの絶叫が空気を切る。
「だがもう遅い……」
イヌキがそう言うとばあさんの背後に音もなく移動し、刀で刺し貫く。
「お前……鬼頭の一族だな……」
「ばあさんよ、直ぐには殺さぬ。モモタケルがいたぶられながら死んでいくのを見せてやろう。その後は四肢をゆっくりと切り刻んでやる」
ばあさんは肺を刺されたのか激しく咳き込み吐血する。
今までイヌキだと思っていたそれは徐々に姿を変えていき、ついには鬼の姿になった。その鬼は刺した刀をばあさんを蹴りながら抜く。
ばあさんはその場に倒れ込んだ。
「私は鬼頭一族の長 鬼頭鬼一だ。覚えても無駄だ。お前たちはここで死ぬ」
それを聞いた周囲の鬼たちが一斉に笑い出す。村人たちの陽気な笑い声とは違い、人を嘲る卑しい下卑た笑いだ。
「お前もただでは殺さぬ。その身に絶望を与えてから殺す。それがこの襲撃の目的だからな」
モモタケルは黙って刀を抜く。あまりの理不尽さに冷静にすらなっている。これまで修めた剣技は天枢、璇、璣、権の四つ。鬼の動きに合わせるには足技で相手を翻弄する天枢が良いだろう。
集中力を一気に高める。呼吸が早くなる。
先に鬼が動いた。速い。
目で追いたいところだが、相手の動きを捉える技である璣と天枢とは相性が悪い。同時に発動はできない。
今は天枢で相手の動きについて行くしかない。
いきなりの後手だ。
鬼が鋭い突きを繰り出す。それを天枢で避けつつ横一文字に一閃する。鬼の身体を捉えはしなかったものの、このまま攻撃に転じる。
後の先を取った。
天枢の踏み込みは通常とは違った足運びをする。そのため、達人であればあるほどそのタイミングを逸しやすい。よって、自然と相手の隙を捉えることができる。
しかし、鬼は笑っている。
「それが天枢の足技か。なかなか面白い」
鬼はモモタケルの攻撃を同じ天枢のような動きで避ける。そんなはずはない。天枢はスサがこの村に伝えた剣技。鬼が知っているはずがない。
「面白い。が、ただそれだけだ」
その言葉を最後に鬼の姿が消えた。
違う。
鬼は地面に這いつくばるほどに態勢を低くしたのだ。その事に気づくのが遅れた。
「反応も遅い」
脚に鉛を落としたような重みと焼いたコテを当てられたような熱を感じた。鬼の刃がモモタケルの左脚を深く捉えたのだ。
「先ずは一本、二本と」
モモタケルの左脚が斬り上げられ、宙に舞う。返す刀で右脚も斬られた。
身体が地に落ちる。一瞬にして両の脚を失い、地に這いつくばる。
地面に伏しているモモタケルの頭を鬼が踏みつけた。
「もう終わりか? 次はばあさんの腹から内臓でも引きずり出そうか?」
鬼たちの下卑た笑いが広がる。
「そう言えばサエちゃんとか言ったか」
言うなり血に染まった人形を桃太郎の顔に投げつける。その人形は血を含み、滴り落ちている。
「子供の肉は大人と違って美味かったぞ。柔らかくてな」
鬼はナルシストのような恍惚とした表情を浮かべる。
「命乞いをしている様なぞはお前にも見せたかったぞ」
下卑た笑いが再び響く。
周囲を見ると村の家々は黒く焦げ、焼け落ち、見る影もない。生きている人間の姿は窺えず、ところどころ鬼たちが集まっている場所では死体となった人間を争って喰っている。
遠くからは悲鳴が聞こえてくる。それは村の避難壕の方向だ。そしてその悲鳴には聞き覚えがある。村の若い女性たちだ。
この季節、村の中心部は梅の花が咲き誇り、その香りに春の訪れを感謝した。
しかし、今は人肉が燃え、人血の臭いで溢れている。
「黙れ……下郎どもが……」
モモタケルの中で何かのタガが外れた。
胸の奥が熱くなり、これまで感じたことのない獣性が自分の中に生じたことを感じる。目の奥が熱い。そして頭が割れるように熱い。
眩暈がする。
息が苦しい。まるで水の中に沈められているような感覚。
体が熱く、体内から焼いた鉄が噴き出るような感覚だ。
気付くと鬼を袈裟に斬っていた。どうやって斬ったのかは思い出せない。
しかし、完全には斬れていない。刀が体の真ん中で止まっている。鬼が使うという鬼術で体を硬化させたのだろう。
「なんなのだ、お前は。その目はどうした? その姿はなんの真似だ?」
鬼が動揺しているのがわかる。自分でも驚くが両の脚が再生している。まだ戦える。
体中に力が漲ってくる。こんな感覚は味わったことがなかった。
驚く鬼たちを尻目に周囲の鬼の首を二三個斬り落とす。
天枢と相まって鬼たちはその動きに反応することもできない。このまま一気に鬼どもを討伐することができそうだ。
仇は―――討たねばならない。
その時である。一匹の鬼がある方向を指さす。
「鬼一様、あれを。人間の一団です。スサどもと同じ臭いがします」
鬼はチッと舌打ちをする。
「一旦ここは退く!」
鬼は仲間の鬼たちに号令を掛ける。
「勝ったと思うな!」
負け惜しみを言うとこちらの言を待たずに煙のように姿を消した。
鬼が指差した方向から砂煙が上がっている。前進してくる一団の先頭に若いもののふがいる。イヌキだ。
今度は本物だろう。
モモタケルがばあさんに近づき、様子を確認する。意識を失っているが息はしている。まだ死んではいない。
じいさんの首が落ちたのは幻覚なのではなく、現実だった。その首を抱え込む。まだ温かかい。
モモタケルはそれを確認すると意識を失い、その場に倒れ込んだ。
村の惨状を押し流すように重い雨が降り始めたのを感じた。
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