三馬鹿と後ろの合コン

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三馬鹿と後ろの合コン

 俯いて無言でスマートフォンを弄る。俺と橋本、そして綿貫。三人の共有メッセージボックス。そこに書き込むと、右隣に座る橋本本人が僅かに肩を揺らした。すぐに返事が書き込まれる。俺も唇を噛み締めた。油断すると吹き出してしまう。一方、左隣の綿貫は一心にカウンターの一点を見詰めていた。スマートフォンを取り出す気配も無い。綿貫、と震える声で呼び掛けると奴は自分の唇に人差し指を当てた。 「今、集中しているから」  そう言われては喋れない。元気が取り柄のこいつが黙り込んでいると気味が悪い。まあいい。俺達はこっちで音も無く盛り上がらせてもらう。その時、橋本がまた書き込んだ。 「奇跡的な合コンだな。こんなバランスの取れ方、ある?」  俺も返事を打ち込む。 「怪獣が出現したと思ったら、急にもう一体現れて戦い始めたみたいだ」 「特撮にしたら火薬の量がエグイことになるよ。撮影所を吹き飛ばしかねない。或いは怪獣同士の力が拮抗し過ぎて戦闘がずーっと終わらない」  駄目だ、我慢出来ない。顔を上げ深呼吸をする。カウンターの内側にいる女性の店員さんと目が合った。意味も無く会釈をする。次の瞬間。 「もっと飲みなよぉ。ここまで来たらぁ、君の内面を暴いちゃうぞぅ」  後ろから男のデカい声が響いた。再び俯く。何だよそれ。どんな宣戦布告だよ。 「えぇえ、いやだぁ。私達、今日会ったばっかりじゃないですかぁ」  舌ったらずで甘ったるい、鼻にかかる女性の声が応じた。どうやればそんな声が出る。今すぐ俺も試してみたい。絶対に出せないとわかっているけどやってみたい。 「いいじゃんかぁ。俺らの間にぃ、隠し事なんて無し無し」  古い。言い回しが絶妙に古い。大体君達、今日会ったばっかりなんだろ。むしろ教えていないことの方が多いに決まっている。ツッコミたいがそういうわけにもいかない。何故なら後ろの席で開かれている合コンに俺達は全く関係無いから。  初めはカウンター席で、橋本と綿貫と三人でいつも通り喋りながら呑んでいた。しかし酔いが回ったのか、背後のテーブル席が騒がしくなってきた。さりげなく見てみると、三対三の合コンが開催されていることがわかった。彼らの隣のテーブルで飲んでいる、やたらガタイのいい男の人二人もちらちら合コンの様子を伺っていた。会話の邪魔だとでも思っているのかな。 合コンチームの中でも、特に声のデカい男は全てがダサかった。一人の女の子を気に入ったようだが、掛ける言葉は内面を暴いちゃうぞ、みたいにとんでもない。あしらいやツッコミには一切応じず自分の話ばかりしている。せめて声が小さければこちらも気にならないのだが、これがまた立派な声帯をしていらっしゃるのだ。内面と声が奇跡的な噛み合い方をしており完成度が高かった。  しかし女子側にも猛者がいた。男を誘うのが目的なのか、それとも自分を可愛く見せる手段なのか、はたまたまさかの素なのだろうか。とにかく喋り方が甘々な人がいた。気に入られたため、その人が声デカダサ男のお相手を仕った。甘々さんも鼻に引っ掛けて声を出すせいか、やたらと高音域で耳につく。まあそれにしてもダサ男が本当に見事に甘々さんを気に入っていた。術中に嵌るとはこのことか。ただ、甘々さんは声と喋り方には抜きん出たものがあるけれど、対応自体は意外と冷静だった。時にあしらい、時に躱し、またしっかりとツッコミを入れる。問題はダサ男が自分のことしか喋らないところだ。いつしか俺達は黙り込み、背後のやり取りに心を奪われていた。 「今夜は長いよぉ。覚悟しろぉ」 「夜の長さはぁ、一緒ですよぉぅ」  そりゃそうだ。今は五月なのでむしろ夜は短めだ。そのツッコミを書き込むと、橋本が目元を押さえた。三日月型になる唇を噛み締めている。肝心のダサ男は、楽しい夜だぞぉ、と答えた。だから君、全然噛み合っていないよ。 「その前に煙草吸ってくるわぁ。ちっと待ってて」  何の前なのか。これから何が始まるのだ。いちいちツッコみを入れたくて仕方なくなる。そんな俺の内心など勿論知る由もなく、ダサ男は意気揚々と店を出た。シャツの背中にドクロの刺繍が見えて吹き出しかける。薄い水色のワイシャツにスラックスを着た連れの男が、心配だから一緒に行くね、と女の子に言い残して後を追った。多分、彼の方がダサ男より好感度が高くなると思う。一人残ったパーカー姿の男が、ごめんね、と謝った。 「あいつ飲み過ぎだよな」  うん、飲み過ぎだよ。心の中で返事をする。甘々さんとは別の女性が、凄い声大きいよね、と応じた。 「佐那、めっちゃ気に入られたじゃん」 「え、全然嬉しくないんだけど」  息を呑む。振り返りたいのを懸命に堪える。橋本を見ると目を瞑って一気に酒を飲んでいた。マジかよ、と耳元で囁く。親友は吹き出してカウンターテーブルを濡らした。これ以上騒ぐと勘付かれるかも知れないので、再び共有メッセージに書き込みを始める。 「甘々さん、甘ったるいのは完全に演技じゃん」  おしぼりでテーブルを拭いた橋本が、俺の肩を一発殴ってから返事を書き込んだ。 「今の声、一分前までと全然違った」 「意外と低かったな。ボイスチェンジャーでも使ってんのか」 「そこまでして、目を付けられたのがダサ男って努力が報われなさすぎる」  顔を上げる。俺も酒を飲み、本当にな、と声に出した。 「全ての努力が報われるわけじゃない。人生なんてそんなもんだよな」 「そうだね。努力をすることは決して無意味ではないけれど、報われない場面の方が多いかも」  わざとらしいやり取りに思われるかも知れないが、会話をしないのはそっちの方が不自然だ。なあ綿貫、と声を掛けると奴はまた人差し指を唇に当てた。 「今、集中しているから」  さっきと全く同じ調子で言い放った。全く笑顔が浮かんでいない。さっきからこいつは一体何に集中しているのか。しかし話しかけると間髪入れずに遮られるので事情が全くわからない。橋本の方を向くと肩を竦めた。仕方ない、綿貫は放置しよう。 「でも内村さん、今日はキャラが違わない?」  パーカー君がおずおずと切り出した。内村さんとは佐那さんのことだろうか。一瞬沈黙した後、女子達の黄色い笑い声が響いた。 「佐那ね、最近彼氏ができないの」 「合コンとか飲み会に行ってもうまくいかないんだよねー」 「だから今日は思い切ってぶりっこでいくって気合入れてたんだよ」  連れ二人がパーカー君に解説した。なるほど、今日のために作った特製のキャラだったのか。佐那さんはふん、と鼻を鳴らした。 「そうだよ。キショいくらい甘々に喋ったよ。おかげで鼻の奥が痛いわ。あんな見事に釣れるとは思わなかったし、全然嬉しく無いのもびっくりだよ」  そうだね。効果はてき面だったね。普段の佐那さんを知る人は皆、完全にアクセルを踏み過ぎだと全員思っていただろうけど、その爆走ぶりに轢かれる、もとい惹かれる奴もいたのだから人間わからないものだ。よりによってあんなのが釣れてしまったのは不運としか言いようがない。ドンマイ。 「ていうかさ、何であんなダサい奴を連れて来たの?」  佐那さんが詰問する。声が低いせいなのか、それとも本来の気質故なのか、なかなか凄味がある。俺達が聞き耳を立てていると知ったら躊躇なくぶん殴りに来そう。パーカー君は、ごめん、とまた謝った。 「あいつ、合コンが好きなんだよ。女の子と喋るのは得意だって豪語してんの」 「連れて来ないでよ。ウザいのはわかっていたでしょ」 「俺も斉藤も連れて来る気は無かったよ。でもたまたま、あいつに今日誘われちゃって。いつも飲みに行っているのに二人とも行けないって言うのも不自然じゃん。丁度人数も足りなかったし、いいかなって」 「いや、全然良くないんですけど」  佐那さんは全く納得いかないようだ。そりゃああんな奴の相手を一気に引き受けさせられたら腹も立とう。佐那さん以外の女子二人がまた黄色い声を上げる。どうでもいいけど君達は素でそのきゃぴきゃぴした感じなのか。甘ったるくはないけれど、何と言うか、黄色い。人間は、どこまで作った自分というキャラクターを演じているのか。俺は田中悟という俺自身を演じているのかな。そんなつもりは無い、とは言い切れない。会社の俺と、橋本と綿貫と一緒にいる俺は明らかに違う。当然、後者の方が素だ。演じているとまでは言わないけれど、皆状況に合わせた顔を持っているのだ。大事なのはバランス。それがあまりに崩れたら、心が疲れてしまう。だから俺は素の自分を曝け出せるこいつらと親友でいられてとてもありがたい。 「いいじゃん、めっちゃ気に入られて」  女子の声で我に返る。いや、俺にかけたわけではないのだが。 「佐那も相手してあげた手前、惚れさせちゃった責任があるよ」 「会話してただけなんですけど。むしろ私のキャラに引っ掛かり過ぎだろ」  しかし何というぶっちゃけ具合。佐那さんにとって今テーブルに着いている三人は、それこそ素を晒せる間柄なのかな。 「キャラ作り失敗とかウケる」 「あからさま過ぎてうちらが笑いそうになったし。あの食い付き方はヤバイっしょ」 「あんながっぷり来るとは思わなかったわ。マジミスった。今日じゃなかった」  女子三人が盛り上がりを見せる。いいんだ、キャラ作り失敗を弄って。やっぱりそれだけ仲が良いのだろうな。俺には女子がよくわからない。恐らくパーカー君も同じ心境なのかも。だって黙りこくっているからね。 「橋本。こういう弄りって普通なの」  俺達の中で一番モテる奴に訊いてみる。どうだろう、と首を捻りちょっと乾いたお新香を一つ摘まんだ。 「それだけ仲良しなんじゃない。普通はここまでぶっちゃけないと思うよ」 「そうだよな」  頷く俺を尻目に橋本は店員さんを呼んだ。焼き鳥と軍艦巻きを頼む。俺も酒を追加しようと思ったが、まずは銘柄を確認しなければと考え直した。メニューを開く。焼酎が十種類以上並んでいた。あまり見ない品が目に入る。いいねいいね、楽しいね。 「お決まりでしたらお伺いしますよ」  先程目が合った店員さんが声をかけてくれた。まずはこの芋からいこう。品名を伝えようとしてうっかり噛んでしまった。ちょっと恥ずかしい。でも笑ってくれたからいいや。 「綿貫は何か頼むか」  俺の問いに無言で首を振る。おい、と脇腹をつついたが身を捩るだけで何も言わない。つまんないの。 「ちょっとさぁ、俺トイレ行ってくるわぁ」  ダサ男が戻って来るなり叫んだ。本当に頑丈な声帯だな。 「気を付けてねぇぇ」  佐那さんが甘々さんに戻る。橋本が再び唇を噛み締めた。俺も心境は同じだ。悪いね、と爽やかな声が聞こえる。斎藤君とやらが席に着いたらしい。それにしても酔っ払いが心配だから見張るために店の外まで付いて行くなんて気が利いているね。褒められて然るべきだ。いっそ惚れられればいい。しかし彼を尻目に女子達とパーカー君は一斉に笑い出した。くそう、俺達は爆笑しないよう我慢しているというのに自由で羨ましい。 「佐那、甘キャラ続けるんだ」 「しょうがないじゃん。ここまで来たら引き返せないっしょ」 「プロだプロ。ちゃんと夢を見せてあげるんだね」 「凄いな内村さん。真面目」 「うっさいな。始めたからにはキャラを突き通すよ」 「あ、でも斎藤君には素がバレちゃったね。いいの? アイドルとして」 「誰がアイドルだ。別にいいよ。甘々キャラに引っ掛かっていたのはあのダサ男だけだし」  盛り上がる傍らで、俺と橋本は凄まじい速度でメッセージのやり取りをする。 「すげぇな。やめないんだあのキャラ」 「プロって評されていたけどその通りだ。渋々とは言え突き通すあたりに信念を感じる。一本気な姐さんって感じだ」 「やばい。俺、佐那さんのイケメンぶりに惚れそう」 「田中が惚れてどうすんだよ。俺らは盗み聞きをしている、性根の歪んだおじさんなんだぞ」 「それはわかっているけど格好良くない? いやぁ、つくづく何であんな対極のキャラを演じようと思ったのか」 「だからこそだろ。姐さんでは合コンでの成功を掴めないから正反対の甘々ちゃんを選んだのだ」 「振れ幅が極端だなぁ、バランス感覚が崩壊しているよ。もう三歩くらい手前で踏み留まればよかったのに」  知らない人を掴まえて、好き放題失礼なことを言うようなおじさんになるとは思わなかった。ごめんなさいね、と心の中で謝る。よし、申し訳ないと反省する気持ちがあるなら続けてもよかろう。 「え、いや、あれ? 内村さん?」  戸惑っているのは斎藤君だ。そりゃあそうだ。彼が席を外していたのは五分か、せいぜい十分程度。その間に甘々ちゃんが姐さんに変わっていたら誰だって面食らう。 「ごめん斉藤君。私、あんな猫撫で声で話すような奴じゃないんだ」 「猫撫で声って自分で言うなし」 「ウケる。マジウケる」 「ちょっとキャラをつくっていたんだってさ。別に謝るようなことじゃないよな」  パーカー君もナイスフォローだ。佐那さんも気が楽になるのではないか。斉藤君は、そうなんだ、と明るい声で答えた。振り向くわけにはいかないから表情までは読み取れないが、きっと笑顔を浮かべているに違いない。確信出来る声色だった。 「今日初めて会ったんだし、初対面の相手に猫を被るなんてよくあることでしょう。俺だってそうだよ」  うわ、優しいな。その爽やかさが作ったキャラだったら、俺はショックを受けるよ。 「えー、めっちゃ優しい。イケメンじゃん」 「斉藤君、モテるっしょ」 「いやいや、全然そんなことないから」 「出た。モテる奴はそうやって謙遜するのよ」  もし俺が同じ質問をされたら、本当にモテないから斉藤君と同じように否定をする。その時俺は、モテる奴は謙遜する、なんて言われないだろう。多分、えー、そう? くらいの曖昧な返事をされる。そして次の話題へやんわりと移行するのだ。隣の橋本をつつき囁く。 「モテるでしょって言われたら、お前は何て返す」 「いや、まあ、よくわかんないね。モテるとは思ってないけど。そんな感じで返す」 「何だよ、よくわかんないって」 「モテるともモテないとも言いたくない。だからどっちにも踏み出さず、ふわふわとその場に留まる」 「お前の返しが一番よくわかんないわ」  橋本はまた肩を竦めた。何だか俺が捨て台詞を吐いたようでみじめだ。いや、実際よくわかっていないから捨て台詞で間違いない。おのれ、橋本と一対一で恋愛に関する話をすると心理的にこちらが不利に感じる。何故なら経験値が違うから。モテる奴とモテない奴。橋本は前者で俺は後者。その立ち位置は十年以上前からずっと変わらない。いつもなら同じくモテない綿貫を引き込んで口数の暴力により何とか立場を五分へ持ち込むのだが、奴はまだカウンターを見詰めている。超能力に目覚めたくて鉛筆を凝視する小学生でもここまで集中しない。  酒を煽る。辛めの焼酎。芋の香りが鼻腔を抜ける。後味はスッキリとしており、しかし高いアルコールの度数が喉や食道に刺激を残した。全ての要素が奇跡的なバランスで以って互いを引き立て合っている。橋本とのやり取りでちょっと苛々を感じていたがどうでも良くなった。美味い酒は素晴らしいね。 「酒を飲んで遠い目をするなよ。哀愁が漂っているぞ」  橋本にツッコまれて我に返る。またも女性の店員さんと目が合った。先程の再現でもするかのように無意味な会釈をする。優しく微笑み返してくれた。仕事とは言え愛想が良くて素敵ですね。  後ろの合コンは斉藤君がモテるかどうかで白熱していた。さっきまでより俄然空気が良い。完全に邪魔だったんだな、ダサ男と甘々の佐那さん。そりゃあそうだよな。大怪獣のがっぷり四つなんて合コンの邪魔でしかないよな。  トイレをちらりと見やる。ダサ男はまだ戻って来ない。そのまま引き籠ってくれた方が残りの五人は楽しいんじゃないかな。でも俺には偉そうに言う権利など無い。その辺の自覚はある。
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