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「これは炭か?」 「魚でございます」 「ではこれは泥か?」 「……芋の汁物でございます」  日が沈み月が顔を出す。辛うじて目視できる細い三日月の下、二人は外で星を眺めながら夕食を共にすることにした。焚き火を前に二人並ぶ。眞白が丹精込めて作った夕食は……結論から言うと大失敗に終わった。魚の干物は炙り過ぎて焦げてしまい、汁物は芋を煮すぎた結果、ドロドロに溶けて色味も最悪だ。 「申し訳ございません。火を起こせずに時間がかかった上に人が食べるものではない物体を作り出してしまいました」 「腹に入ればみんな一緒だ。気にするな」  黒鉄は碗を手にすると汁物を啜る。眞白もそれに倣い碗に口をつけた。芋はドロドロしてちっとも美味くないし、塩を入れ過ぎたのかしょっぱい。それに加えて鍋を焦がしてしまったせいで不快な苦味すら感じる。恐る恐る黒鉄の方を見ると大きく目を見開きながら碗を凝視していた。 「ふ……」 (さすがにこれは怒られるっ……!)  ギュッと目を瞑り身体を縮こめる。しかし聞こえてきたのは予想外の声だった。 「あっはっはっ! こんな不味いものを食べたのは生きていて初めてだ!」 「く、黒鉄様⁉︎」  仏頂面ばかりだった黒鉄が大口を開けて笑ったのだ。顔をくしゃくしゃにしながら目元にはうっすらと涙を浮かべている。 「次は魚を頂こう」  真っ黒に焦げた塊はもはや魚としての原型をとどめていない。黒鉄はそれを一口で食べてしまった。咀嚼する度にバキバキと木材が削れるような音がした。明らかに魚を食べている音ではなかった。碗に入っていた茶を流し込むように飲む。ゴクリと喉を鳴らして嚥下すると黒鉄はまた大口を開けて笑った。 「不味すぎる! ある意味これは才能だぞ! そこらのやつではこんな不味い食事を作ることも出来んわ!」 「うぅ……黒鉄様は意地悪です。確かにとても食べ物とは言えませんし、私も出来れば口にしたくないですけれどそうも不味いと言われると……」 「悪かった。しかし不思議なのだ。こんなに不味いものを口にしても、お前と食べているというだけで幸せな気持ちになる」  碗に茶を注いで眞白に手渡してくれた。それを受け取りチビチビと口をつけながら黒鉄の方を見る。黒鉄は何がおかしいのかずっと笑っていた。鬼の笑いのツボはどうも分からない。 「いつかこの不味い汁すらも懐かしむ時がくるのだろう。お前の笑顔と共にな。お前がこの島に来て、俺は初めて生きながらえて良かったと思う」  黒鉄は優しい微笑みを浮かべていた。先ほどの具合が悪そうな顔色が嘘のようだ。黒鉄の言う通り、少し休んだおかげで回復したようだ。 「お前はまるで太陽に向かって懸命に葉を伸ばす若葉のようだ。どんどんと伸びていくから、つられて俺も見上げれば太陽の明るさを目の当たりにする。世界には絶望だけではなく、光もあるのだ。お前がそう教えてくれた」  海岸の方から波の音が聞こえる。夜の海は深い闇を写す鏡のようだ。地平線は宵闇に溶けて、暗闇が果ての方まで続いている。 「……私は黒鉄様と離れたらどうなってしまうのでしょう」  黒鉄といる毎日が幸福過ぎてこれから先の人生は明かりのない迷路のように思えた。複雑過ぎて今以上の幸福に辿り着けそうにない。 「案ずるな。お前が安心して暮らせる国へ送り届けるようかつての家臣に文を出した。信頼出来る男だ。その国は耀の国の古い貿易相手で旧知の鬼がいる。その者に世話になりながら独り立ちを目指すんだ」 「でも……私はこのような外見ですから」 「この世界には色々な一族がいる。髪の色や瞳の色、肌の色も多種多様だ。俺はお前ほどに美しい者を見たことがないが、世界に出ればお前を差別する者はいない。鬼が都合よく作った鬼守の掟も世界に出れば何の効力も持たん」  この島に来た時、黒鉄に言われた言葉を思い出す。彼の言う通り眞白は掟というものに縛られ続けていた。自由に生きてみたいと思う。だが、自由に生きるその時は黒鉄と共に生きたい。 「自由でもそこに黒鉄様がいなければ、喜びがあると思えません」 「……いつかきっと新たな喜びに出会う日がくるさ。俺はこの島からお前の幸せをいつだって祈っている」  焚き火はパチパチと音を立てながら燃えている。炎の揺らぎと木が燃える匂い。黒鉄に寄り添うと肩を抱いてくれた。触れた箇所から黒鉄の鼓動が伝わってきて、眞白はただ目を閉じた。  泣いても笑っても最後の夜。  眞白は一人、寝床から夜空を見つめていた。子供の頃は星を数え、線と線で繋いで形を作り遊ぶのが好きだった。だが今は星の光ですら悲しく見えてしまう。今まで一人で寝ていたのに寝床がやけに広く感じて孤独が募る。  明日、目覚めたら荷造りをしている内に幕府の船がやってくるだろう。その船に乗って眞白は幕府の手が届かない異国へと旅立つ。愛しい人をこの百華の島に残して。 「黒鉄様」  少しでも寂しさを紛らわせたくて想い人の名を口にしたが、余計に気持ちが募るだけだった。膨らんでいく黒鉄への想いに背中を押されるようにして、眞白は寝床を抜け出し黒鉄の元へ向かう。 「……黒鉄様」  洞穴の入口から顔だけ覗かせて黒鉄を呼んだ。何かを整理していた黒鉄は眞白に気付くと静かにこちらに歩み寄ってきた。 「どうした。寝れないのか?」 「申し訳ありません……」 「ここは冷える。中に入れ」  黒鉄に肩を抱かれ中に入る。どうやら黒鉄は書物を整理していたらしい。 「お前への餞別を選んでいた。読み書きの手習いに役立ちそうなものがいくつかある。ただ、異国では別の言語を話すからそれも学ばなければいけないだろう」  そう言って見せられたのは今まで見たこともない文字の羅列だった。かな文字や漢字とはまるで違う。 「この文字は一体……」 「お前が向かう土地の言葉だ。複雑だが文の法則を覚えれば決して難しくないそうだ。……俺には少し難解過ぎたが」 「黒鉄様が分からないのなら、私に理解出来るはずがございません」 「お前はまだ若いからすぐに覚えられる。俺が教えた短期間であんなにも上達したんだ」  黒鉄は本を閉じるといくつかの書物をまとめて部屋の隅に置いた。そして寝床へ横になると眞白に目を向ける。
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