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「ま、まってマナブ。だめだ、なんか動悸がする。俺、展開についていけない」
気づいたマナブが振り返りそばに来て、心配そうに弘樹の顔をのぞきこむ。
「大丈夫? どこかですこし休もうか」
「……うん」
弘樹は立ち上がりながらマナブの心配そうな顔を盗み見る。垂れさがる前髪の後れ毛ですら計算づくのように決まっている、あの会場で誰よりもカッコよかった彼を。
「俺、家に帰りたい」
ぽつりとうつむいてつぶやいた弘樹の首筋が赤く染まっていることを、マナブが気づいていたのかは知らない。
「僕も行ってもいい?」
わかっているくせにそう聞くマナブが憎らしくて、火照る顔を見られたくなくて、弘樹はただうなずく。そして足早に駅に向かった。
◇◇◇
ふたりで弘樹の家に向かう電車に乗り込み、最終車両のドア前に立って窓の外を眺める。
ビルの立ち並ぶ都心部を離れ、電車はきらきらと午後の日差しを反射する川を渡っていく。乗換駅で乗客が大勢下り、マナブにうながされてふたりは並んで座った。
心地よい揺れに身を任せる。
姿勢は変わらないのに自分より前に膝が出ているマナブの長い足をうらやましく眺めて、弘樹は最初に彼と出会った時のことを思い出していた。
あの時は、マナブの足がテーブルの下で弘樹の膝に当たって嫌だった。『六機』と突然名前を呼ばれて、肝が冷える思いをした。パクりがばれてしまったらおしまいだと思いつめていたのに――こんな風になるなんて思ってもみなかったな。
弘樹は隣でスマホを見ているマナブに、ふと聞いてみたくなった。
「なあ、俺なんかのどこが良かったの?」
マナブは顔を上げると、いたずらを仕掛けるように笑って言った。
「ぜんぶ」
「はぁぁあ? そういうんじゃなくて。六機のファンだったのは知ってるけど、実際の俺に会ってみて、がっかりしなかったのかって聞いてんだけどっ」
顔を赤くしてむきになる弘樹を愛おしげに見ると、マナブは座り直し、窓の外に視線をやる。
「それについては、君に言っていないことがある。今度僕の家に来た時に、びっくりするもの見せてあげるよ」
「何?」
マナブと出会ってから色んな事で気持ちを揺さぶられてばかりだ。まだ何かあるのかと警戒したが、それ以上は教えてもらえそうになかった。
ガタンガタンと単調な振動に揺られてマナブは物思いに沈んでいる。弘樹も窓の外に視線を移し、ひと時ふたりは流れていく景色を眺めていた。
ぽつりとマナブがひとり事のように言った。
「『俺なんか』って弘樹は言うけど、僕だってそんなに立派な人間じゃないよ。いつか君が僕に幻滅してしまわないか、いつも心配でたまらない」
心配? マナブが?
らしくない発言に驚いてマナブの顔を見る。
「え、え? それって、この前レストランで会ったああいうのと六本木とかでめちゃくちゃ遊び歩いてたとか、そういう?」
目を丸くして問うと、マナブは声を上げて笑いながら「かもね」と言った。しかし、それでもその顔はどこか寂しそうで、弘樹は思わず彼の肩を抱き寄せる。
「心配なんかすんなよ。どっちが立派とか上とかないじゃん。だって顔とか生活力とかなら、まぁほとんど全部勝てないけど、でも漫画は俺の方が断然うまい! だけどさ……」
こてんと弘樹の肩に頭をあずけたマナブが、「だけど?」と先をうながす。
「マナブがいないと、また元に戻っちゃう。俺、漫画を描いてても苦しくて辛いだけの毎日に戻っちゃうよ。マナブがいれば楽しいって思えるんだ。だからさ、ずっと、そばにいてくれないかな」
いつの間にか列車は駅に到着していた。乗客たちが我さきにと下車していく。
ふたりは座ったまま、触れ合った手を自然につないだ。
終着駅でもあるこの駅で、列車は車庫に入るとアナウンスされている。車内に残っているのは、弘樹とマナブふたりだけになった。もうすぐに車掌が点検に回ってくるだろう。そのわずかな隙に、弘樹は身を乗り出し、マナブにくちづけた。
驚きのあまり呆然としているマナブに言う。
「ずっと俺だけのファンでいて」
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