無理してまで家族の形を作って楽しいの?

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ

無理してまで家族の形を作って楽しいの?

 つまり、無理にステレオタイプの幸せを追い求める必要は無いのではないか? 多様性が謳われる時代に、人生の設計図や家族のあり方も多様性が有って良い。結婚出来るかどうかで、勝ち負けだなんだとどうでも良いでは無いか。それで負け惜しみだと言われても、「一つの価値観に囚われて、他者を見下すような人間よりは心も豊か」だと、そう考えれば良いのではないか? 少なくとも、外側だけを「普通の家族」に見せ掛け、その悪いヘドロの様な部分を子供に背負わせるよりはマシなのではないか?  ニュースサイトで紹介される漫画の中には、「自分は友達()よりも幸せと思い込みたい主人公」が、友達()を下に見たせいで転落人生を歩む……様なものがある。なんちゅう漫画をニュースで紹介しているんだとも思うが、これ系の漫画は大体スーパーの漫画雑誌コーナーにも昔からある。平成初期にはタワマンが無かった位で、多分その頃から「主婦同士の謎マウンティング」はエンターテイメントとして存在する。  こうなると、毒親育ち以外の人にとってさえ、結婚が幸せなゴールなのか、甚だ疑問視だ。それこそ、その系統の漫画雑誌は昔から見掛けたので、需要が途切れていないのだ。国民的アニメの様に専業主婦が多かった時代からダブルインカムが主流の時代となっても、結婚は必ずしも幸せなゴールではない。外側からは幸せに見えたとしても、当人達が必死に「幸せな家族」を構築しようと見せ掛けても、何処かに綻びはある。それなのに、結婚出来るかどうかで優劣が決まるものだろうか? 少しは落ち着いて考えてみた方が良い。特に、「子供の為に離婚しない」と、「子供が知ってしまう環境で言葉にする」様な二人による婚姻関係、それは未婚の人に対して「勝ち」だと言えるだろうか? ただ、自分の何かを壊さない為に、子供を巻き込んで苦しみを増やしているだけではないか? ステレオタイプに当てはめる為に苦しみ続けることに、何の意味があるのか? その答えが出ないなら、独り身である方が迷惑にもならなくて良いだろう。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!