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朝目覚めると、狼男になっていた。
そんなバカなって?
トンガリ耳に毛むくじゃらの顔、ニョッキリ生えた二本の犬歯が何よりの証だ。
洗面台の鏡の前で、俺は一時間以上も硬直してしまった。
これは悪い夢だと頬をつねろうとしたら、たちまち顔から血が噴き出した。
慌てて手を見ると、両手に鉤爪が生えている。
爪の先が真っ赤に染まっていた。
おおっ……と叫んで、薬箱を探し回る。
あった!
消毒液と包帯を携え、急いで鏡の前に戻ると……
あれ!?
傷はどこにも無い。
まさか、もう治った?
そういや、聴いた事がある。
狼男は不死身の怪物だと……
それによく考えると、全然痛くなかった。
俺は改めて驚くと同時に、悲痛な気持ちになった。
こりゃ、いよいよ本物だ。
本物の狼男になっちまったらしい。
ああ、明日からどうしよー。
会社で大事なプレゼンがあるんだよなー。
こんな毛むくじゃらで行ったら、皆驚くだろなー。
「いやぁ、うっかりヒゲ剃るの忘れてまして」
……なんて通じないだろなー。
とりあえず、親に相談してみるか。
「母ちゃん、俺……なんか……狼になったみたいで……」
「女将?ダメダメ……アンタに水商売なんかできないよ!」
「い、いや、オカミじゃなくて、オオカミ……」
「第一アンタ、お酒呑めないっしょ!忘れたの?前に、お猪口一杯で、三日も意識無くして……」
俺は、そこで電話を切った。
ダメだ。こりゃ……
話しにならん。
と、とにかく、何とかしなければ!
病院に行くか?
怪物だーって、大騒ぎになりそうだ。
警察に行くか?
有無を言わさず、射殺されそうだ。
神社か寺に行くか?
訳の分からんお札を、たくさん貼られそうだ。
だ、ダメだ!
どれも、まともに助けてくれるとは思えん。
何より、こんな姿では一歩も外に出られないではないか。
一体どうすれば、元に戻れるんだろ?
狼男って確か、別の狼男に噛まれたりして感染るんじゃなかったっけ?
だが、俺にそんな覚えは無い。
それに今に至るまで、全く何の兆候も無かったのだ。
そう考えると……
もしかして、これって……
何かの病気なのではないか!?
人狼病とか……
それとも、新型のアレルギーかもしれない。
もしそうなら、薬で治る可能性はある訳だ。
よし!
試してみるか!
そう思いつくと、俺は先ほど引っ張り出してきた薬箱に目を向けた。
中には、市販の医薬品がぎっしり詰まっている。
自称【健康オタク】の自分が、いざと言う時に備えて備蓄したものだった。
風邪薬、解熱剤、胃腸薬、便秘薬……
目薬、点鼻薬、消毒液に軟膏……
薬局顔負けの品揃えだ。
俺は思案のすえ、片っ端から試す事にした。
何としても、今日中に治さなくてはならない。
それに不死身だから、多少無茶しても大丈夫だろう。
水の入ったコップ片手に、一種類飲んでは様子をみる。
変化が無ければ、次のヤツを口にする。
最後は、目薬や点鼻薬まで腹に入れてみた。
……だ、ダメだ!
俺はコップを放り出すと、ガックリうなだれた。
どれも……効かない……
全ての薬を試したが、容姿に変化は見られなかった。
どうしよー。
一生、このままなのだろうか……
俺が悲嘆に暮れていると、突然携帯が鳴った。
「もしもし……先輩?」
相手は、会社の後輩の木崎だった。
確か、今日は休みをとっているはずだが……
「突然すみません。明日のプレゼンの事で話があって、会社に電話したら……何か、無断欠勤してるって聴いて……大丈夫っすか?」
心配そうに尋ねる後輩の声を聴くと、不覚にも目から涙がこぼれた。
耐えがたい絶望感と心細さのせいだ。
その時ふと、この後輩に相談してみてはという考えがよぎった。
それというのも、コイツはオカルトや心霊現象に詳しく、会社でもよく聞かされていたからだ。
「なあ、木崎……その……驚かないで聞いて欲しいんだが……」
俺は、言いづらそうに口を開いた。
「はあ、何すか?先輩」
「実は……俺……狼男に……なったらしいんだ」
言ってすぐに、俺は後悔した。
よくよく考えれば、いくら超常現象に詳しいからと言って、こんな荒唐無稽な話を信じるはずが無い。
冗談と思われるのが関の山だ。
「……なんだ。そんな事っすか」
信じたー!?
そのあっけらかんとした返事に、俺は驚いて携帯を落としそうになった。
「先輩、携帯をカメラモードにしてもらえますか」
意図が理解できないまま、俺は反射的に言われた通りにした。
画面に映った後輩の顔を見て、思わずアッと声を上げる。
「……お……おま……お前っ!?」
「僕も同じっす。先輩同様に……狼男っす」
フガフガ言う俺に、毛むくじゃらの顔がVサインを送ってきた。
「い……い……いつから?」
俺は呼吸を荒げながらも、どうにか声を絞り出した。
「うーん……去年からっすね。最初は驚いたけど、今はもう慣れました」
去年から?
それじゃコイツは、もう一年以上もこんな状態だと言うのか!
だが……おかしい……
会社では、普通の人間の姿をしているぞ?
「狼男に変身するのは、満月の日だけなんすよ」
俺の疑問を感じ取ったかのように、木崎は後を続けた。
「えっ!?」
一瞬俺は、コイツが何を言っているのか分からなかった。
「月齢で言えば、毎月15日目がこれにあたります。あ、月齢ってのは、月の満ち欠けを表すカレンダーみたいなもんす」
少し得意げに説明を始める木崎。
「つまりその一日だけ我慢すれば、翌日には元に戻る訳っす。身をもって試したんで、間違いありません。だから僕、その日は会社休むようにしてるんす。有給休暇もあるので、月一で休んでも、誰も何も疑わないので」
「……一日で元に戻る……」
俺は放心状態のまま、後輩の言葉を反復した。
ポカンと開いた口から、ベロンと舌が垂れ下がる。
「し、しかし、なぜ突然、こんな姿に……?」
「ああ、それっすよね」
無意識に口から出た疑問に、木崎は首を振って答えた。
先ほどと違い、今度は真剣な表情だ。
「考えたんすけど……恐らくは、遺伝じゃないかと思うんす。僕たちの祖先は元々人狼で、その血が何かの要因で目覚めた……それが何かは分かりません。心因的なものなのか、外部要因なのか……ただ、人によって発症時期は違うみたいっすね」
なるほど、遺伝か……
俄には信じがたいが、可能性が無いとも言い切れない。
ただその推論が正解なら、うちの親にも人狼の血が流れているという事になる。
まさか、母ちゃんが!?
そんな話、聴いた事も無かったが……
だからさっき、聞き間違ったフリをしたのだろうか?
ワザとごまかしたのか!?
してやったりと笑うトンガリ耳の母の姿を想像し、俺は心底げんなりした。
「僕の場合、その日は一歩も家から出ないようにしてるっす。食料も前日に買いだめといて……まあ、ちょっとした骨休みだと思えば、気も楽っすよ」
相変わらず、呑気な口調で話し続ける木崎。
もう慣れたのか、そういう性格なのか、悲痛のかけらも無い。
「……あ、そうだ!あと、念のために忠告しておく事があるっす。実は人狼にも、たった一つ弱点があるっす」
「弱点!?何だ、それは?」
そのひと言に、俺は思わずギクっとなる。
不死身の怪物も、盤石では無いというのか?
「銀っす。言い伝えでは、狼男ってのは銀に弱いらしいっす。人間に銀の銃弾で殺された話もあるくらいで……だから、銀製品にだけは気をつけた方がいいっすよ。まあ、そんな高級で特殊なもの、身近には無いっすけどね。ハハハ!」
甲高い笑い声を残して、木崎は電話を切った。
それが合図だったかのように、俺は急に胸の痛みを覚えた。
な、何だ!?急に……
俺は反射的に胸を押さえた。
最初は弱い鈍痛だったが、次第に痛みが激しくなる。
やがて、内臓をえぐるような激痛が全身を襲った。
俺はたまらず、その場に倒れ込んだ。
な、何だ、この強烈な痛みは!?
床をのたうつ俺の目に、散乱した薬の残骸がとまる。
その内の一つ……
小さな黒い容器を見た途端、俺の全身が総毛立った。
必死に手を伸ばし、どうにか手中に収める。
麻痺による震えに耐えながら、容器の裏書きに目を走らせた。
そこには、こう書かれていた。
【薬品名】仁丹
【効 能】口臭、二日酔い、めまい、吐き気の改善
【成 分】阿仙薬、甘草末、カンゾウ粗エキス末、桂皮、丁字……銀箔
ぎ、銀箔!?
し、しまった!
俺は、容器の底に残った小さな銀色の丸薬を睨みつけた。
まさか……こんな……とこに……盲点……が……
悔しさで涙が流れ落ちる。
こんなもの、備蓄していなければ……
薬で何とかなる、などと考えなければ……
【健康オタク】が、かえって仇になってしまった……
だが……
もう、何を言ってもあとの祭りだ。
恨むぞぉぉぉぉぉ……!
母ちぁぁぁぁぁ……ん!
薄れゆく意識の中、俺は皮肉な笑みを浮かべた。
そして声にならない声で、誰にともなく囁いた。
「皆……く、薬を飲む際は……使用上の注意を……よ、よく……よ……ん……で……ね」
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