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「お、おい! 金を出せ!」
フードを目深に被った男は果物ナイフを両手できつく握りしめて精一杯の声を上げた。
その相手は腰の曲がったお婆さん。
お婆さんは腰を一生懸命伸ばそうとしながら顔を上げた。
「はい? なんですかね?」
杖から左手を離し耳にあてながら聞いた。
男は少したじろぎながら再び声を上げる。
「か、金を出せと言っているんだ!」
するとお婆さんはにこやかな顔をしてこう言った。
「あぁ、おまえさん私の財布を知っているんだね」
「へ?」
「いやぁ、たしかにこの辺でなくしたと思っていたんですよ。ありがたや、ありがたや」
男は一瞬身を引いたが、すぐにナイフをしまいフードを外した。
「おばあさんごめんよ、俺は財布を拾ったわけじゃないんだ。でももしかしたら交番に届けられてるかもしれないよ。一緒に行こう」
一時間後。男は一つのリンゴを片手にアパートの自室で呆然としていた。
またやってしまった。地獄へ行きたいと思い悪いことをしようと思っているのに、なぜかいつも人助けになってしまう。
今回もそうだ。警察で財布を手にしたお婆さんは、
「ありがとう、ありがとう、なんとお礼をしたらいいか」
そう言って何度も曲がった腰をさらに深く曲げて手を握ってきた。
そしてそんなの気にしないで、という男にバッグからリンゴを取り出してその手に握らせたのだ。
男は笑顔でお婆さんに別れを告げると、半ば放心状態で自宅まで帰ってきた。
リンゴを見つめると、先ほどお婆さんに向けた果物ナイフでリンゴの皮を剥く。
本当の俺はこんなんじゃない。みんな勘違いをしているんだ。子供の頃からそう思っていた。いいこだね。えらいね。そう言われるたび、違うそんなんじゃない! そう思っていた。
そんな思いが爆発し、ついに俺は地獄へ行くことを決心したのだ。
それから様々な悪事を実行してきた。しかしどれもこれもなぜか人助けに繋がってしまうのだ。
オレオレ詐欺をしようとすれば悩み相談に、泥棒に入ろうとすれば家主と鉢合わせて勘違いされ水道管の修理をした。
そんなこんなで一週間、なにひとつ悪いことをすることができていない。
男はリンゴを一口食べるとナイフを手首にあてた。
これまで数え切れないほどの人を助けてきた男を助ける者はここにはいない。男は静かに目を閉じた。
「次の方どうぞ」
自殺をした男の行き着いた先は地獄だった。
そこでなぜかその能力を買われた男は、閻魔大王の秘書となっていた。
地獄で閻魔大王の手助けをすることになった男。
男は救われたのか否か。それはもはや誰にもわからない。
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