甘やかしてもすり替わる

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甘やかしてもすり替わる

 夏の雨粒が差し出した手に落ちて、そのぬるさにげんなりする。濡れたアスファルトから蒸されるような湿気が湧き上がる。傘は持たない。術で避けるから。  湿気に辟易しながら徒歩で帰宅途中、女性と相合傘をする夫を見つけた。 「葉介」 「あ、波鶴(はづ)ちゃん! おれ今日奇跡の定時上がりなんだけどー!! なんか食べ行く? 連絡見てない?」 「ああ。すまない。見なかった。そちらは?」  相合傘の相手は会社の同僚らしい。私の続柄は「アモーレ」と紹介される。「アモーレ」を日常使いの語彙にしている男と結婚したので仕方がない。  ありがとねー、と同僚に手を振り、しっかり私の腕に腕を絡めて見下ろす愛しい男。 「浮気認定?」 「まさか。ご親切な方だな」 「んー……あの子はおれに気がある」 「ははあ。私がいるのに? よくやる」 「腰を落ち着けたって宣言して回ってるのに。ロック画面も波鶴ちゃんにしてるのに。チャラさが抜けないのかなー」 「……なんとなく、きみは甘やかしたくなる何かがあるからな。気があるのとは別に、親切をしてやりたくなったんじゃないか?」 「ふーん。よく言われる。人の情けに生かされて生きてるって」 「私もそのように思うな」  それを好ましいことと受け止めて、やわらかく口角を上げる横顔が好きだ。この笑顔と雰囲気をみながよく思うのだろう。誇らしいほどの良縁。そう言ったら見せてくれる笑顔も脳裏に浮かぶ。 「なあ。きみとは良い縁だったなあ。誇らしいほどに」 「えーっ!?」  うれしい、おれもそう思う、マジでそう思ってる、などと言いながら大きな身体を押し付けてくる。私は「まっすぐに歩けない」と文句を言う。内心はまんざらでもない。  ゴムをわざわざ解いて、きみは私の汗をかいた髪をすく。きみの部屋のベッドに座って、ごちゃついた部屋を見回す。  きみの部屋は、誰かの親切でもらったもので構成されている。元カノにもらったけどまだ全然動くからもったいないじゃん?と言われれば全くその通りなので構わない。私の部屋にもそういうものはいくつかある。 「それにしてもきみは愛されることに才能がある」 「ん? 急な話題だ。そうかな〜。おれを嫌いな人も多いよー」 「利害関係があるからじゃないか? 初対面では愛されていそうだ」 「あー、それはあるかも」 「厳しく当たった方が、きみの特別になれるだろうか」  わざと拗ねて言ってみせた。言ったあとで、これはきみに甘えているな、と気付く。  すり替わっているんだ。私たちはきみを甘やかしているつもりだけど、その実、きみを甘やかすその行為に助けられ、救われているのだよな。そしていつのまにか、きみに甘やかされていることになる。  手を伸ばして抱きついて、肩に顔を埋める。気付いてしまったから、思い切り甘えても構わないだろう。 「波鶴ちゃん拗ねてる」 「ああ。拗ねている」  それほど拗ねていないけれど、こう言う。 「波鶴ちゃん優しいから好きなのにー。波鶴ちゃんの650歳分の包容力が特別なのよ?」 「ならいい」  615歳下の年端もいかない若造に甘える人生も、悪くない。覆い被さるように抱きしめられて、頬を合わせてくれる。 「……やはりヒゲが痛い」 「でも剃れって言わないから優しい」 「そこはきみに譲っている」 「やっぱ波鶴ちゃんはおれに甘いよ〜」 「みなきみには甘い。才能だ」 「そうかなぁー?」  堂々巡りも楽しいだけの、穏やかな良縁。
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