第壱話 たとえオニばなし

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第壱話 たとえオニばなし

1-1  もし、たとえば、だったら。    妄想といえばそこまでだし、夢といえば否定はできない。夢見がちな、なんてメルヘンに例えられれば可愛く思えるが、妄想だなんて言いつけてしまえばそこまで。認識がそこで終わる。    たとえ話は、よくある話であり、頻出的かつとても日常的で身近な話である。例える・喩える、などのこれら、複数あるタトエは、同じではないが異なるものではない。共通認識できないものを共通認識できる言葉で共有することである。      その日もそんなたとえ話がきっかけだった。     「死にたいときってあるじゃん?」   「そうだな、あるかもな」    友人、庵原(いおはら)の問に文庫本のページをめくりながら応える。     「でも、実際にすぐ死にたいわけじゃない。死にたくなるだけで、死にたいわけじゃない。死にたいと言っているのに」   「なるほど、それは深そうだな」   「しかしだがな、久遠(くどお)氏。人間の考えはいくら考えても深くない。深く考えることはできても、言葉そのものに深さはない。外から見るかぎりではその真偽は判別できぬし、内輪であれば戯言か病に近い状態なのか判別できても、程度は知れないだろ? ましてや、本人でさえ自分のことがわかっていないことが多い。つまり、言葉は心の内そのものではないのだよ」   「なるほどな、小説家を目指す人間の言葉は深いな」   「いやいや、分かってないな久遠氏。だから言葉に深さはないんだよ」      ここまで来ると不快である。深さも浅さもない。     「思っていることはその時によって変わるんだよ。昨日と今日じゃ違うことを考えている。20数年様々な人間と会話してきたが、間違いないね。いや、そうなのだよ。芯があるとか、譲れないとかこだわりとか言っても、言葉と感情は永遠に相違し続ける。言葉にする限り、思考には必ず色が入る。それを人間の色眼鏡で捉えるのだから、無色透明でありはしないのだよ。人間同士の会話の大抵は円滑であり、それは思考によって脚色され、本建てられた言葉だからだ。とても良い脚本に仕上がれば、それは話になるのも当たり前なのだよ」     「なるほどな。お前の考えが深いのはわかった」      人間関係が浅く、披露する機会が少ないのはさぞ存念なことだろう。     「それでなんだ? 今日の読者は死にたがりなのか?」    「うむ。理解が早くて助かる」      庵原は満足そうに頷くと、手早くスマートフォンを操作し、「ぐふふ」と気持ち悪く笑いながらメールを転送してきた。いつもながらに思うのは、依頼者も請けるこちら側も、互いに使い捨てに近いフリーメールのやり取りなのに、よく信用できるよなと言うこと。      まあ、お題ゼロ円の暇つぶしだから構わないのだが。     「ーーえっと、なになに? 火を点けることができるようになりました。怖くて仕方ありません。死んで消えてしまいたいです。助けてくださいーーか。なるほどな」       発火系の依頼ね。火は種類が多いからな。特定が難しそうだ。     「助けを求められるだけ、まだ大丈夫だよ。心配することはない。大丈夫。お前の言うとおり、見極めて、確かめて、それが真ならその通りだし、偽ならばそれは認識の問題だ。共通認識できないものを共有すればいい」    「久遠氏の話はいつも難しい」      お前が言うか?     「まあ、新劇場版と旧劇場版を語るよりかは易しいだろ」   「それな」      庵原は(おもむろ)に立ち上がると、依頼人を迎えに行った。      ※ ※ ※      夜間のみ営業している店は昼間、である。Bar〘ハリカルナッソスのディオニュシオス〙はバイト先のお店である。カクテルグラスを主に出している店で、おしゃれな夜の店なのだ。店名の意味はググればそのまま出てくる。気になる人は調べれば良い。      『ハリカル』ーー店の略称ーーは夜の店と言っても、昼間に仕事がないわけではない。前日の処理から、今晩に備えての仕事はやまほどある。働く必要はある。ちなみに、『がらんどう』の語源は寺院を保護する神様、護伽藍神から来ているらしい。祀っている伽藍堂が広々とした様子であることから、らしい。なるほどな。     「おい、久遠悠。ぼさっとしてないで、手を動かせ。掃除は半分も終わっていないぞ」      マスターの娘が小うるさい。辞書を引いていたところなのに。     「辞書なんぞ家で引け! 鍋敷きにでもしちまえ!」      なるほど。この場合『引く』と『敷く』が掛かっているんだな。掛かっていないけど。     「う〜〜るさいっ! はたらけぇっ!」      昨日はポニーテールだったのに今日はなぜか自慢のツインテールとなった髪をぶんぶんと長く振り回しながら憤怒されては言い訳も出てこない。掃いても掃いても終わりそうにない、アンティークで味はあるが綺麗になった試しの無い職場にウンザリし、この掃除に意味があるのかと嘆いていたところ、ウッカリ目線にあった辞書を引いて遊んでいというのは、確かに業務中にすることでは無かったかもな。あと10分だからと、気を抜いていたのもあるけど。     「陽光(ひかり)。そのぐらいでいいでしょう。開店の準備の方をを手伝っておくれ」   「ーーはいな。分かったよ、じいちゃん」   「手伝います。マスター」   「久遠の悠はもういいっ! 帰れ!」      ひどい嫌われようだ。これから依頼人が訪ねてくるのに。     「他所(よそ)でやれ!」   「まあ、構わないよ。若いお客さんはうちでは貴重だしね。さあ、時間だ。開けよう」   「ーーはいな」      はぁ。じいちゃんは、またそうやって。      秋田谷の陽光お嬢様はあからさまなため息をこちらに向けてくる。22と17じゃ5も歳の差があるのにこの扱いである。       ふと、カウベルの鐘が鳴る。     「いらっしゃいませー」   「来たか、庵原」      丸渕メガネにチェックの長袖シャツをズボンに入れ、おそらく美少女が描かれているであろうタペストリーを背中のリュックサックに差し込み、リュックのショルダーストラップを両手各々しっかりと持ってやってきた。     「待たせたな、久遠!」   「時間丁度だな。ふたりともコーヒーで構わないかい?」      片手を意気揚々と挙げる庵原とその後ろにいる少女に確認する。頷くのを確認して、秋田谷に注文した。     「カクテルの腕はもちろんだが、メニューにはない珈琲が一番の絶品なんだ」     「どうぞ、掛けてください」と、躊躇いがちな女の子に促す。同時にとりあえずお冷が三人の前に運ばれる。秋田谷が運んできてくれた。     「ありがとう。じゃあ、さっそくだけど話を聞かせてもらえるかい?」      秋田谷に礼を言うと、「ごゆっくり」と言って下がり、カウベルをまた鳴らした次の来客の対応へと彼女は向かった。        
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