第27話

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第27話

 泥のような眠りから霧島の意識は急浮上した。目を開く前に分かったのは、自分がベッドに横になっていることと室内が明るいこと、ごく近くに人がいることだった。  薄目を開けて天井の蛍光灯に慣れさせ、上体を起こすと同時に周囲を見回した。  見える範囲に自動ドアが一枚あり、武装したセキュリティ要員が二名立っている。病院の診察室めいた部屋はさほど広くない。リクライニングできる椅子がひとつに回転椅子とデスクのセットがひとつ。デスクの上に自分のシグ・ザウエルP226が載っていた。  回転椅子に座ってデスクに就いた白衣の男が一人。茶色い髪をした中年だ。 「もうお目覚めとは本当にV‐501を飲んだのかね? シノブ=キリシマくん」 「お陰様でぐっすり寝かせて貰った」  振り向いた白衣に応えつつ腕時計を見ると十二時過ぎだった。一時間と眠っていなかった計算だ。自分の処遇よりも京哉とレイフが無事なのかが気にかかる。 「連れがどうなったか、訊いてもいいか?」 「質問はこちらからする。立場をよく考えたまえ」  ピッと短い電子音がして自動ドアが開いた。白衣でない男女が入ってくる。某大国の軍服姿で顔立ちは整っているが感情の色を全く感じさせない無表情だ。 「キリシマくん。起きてこの椅子に掛けてくれるかい?」  白衣の男の言葉に霧島はあっさり従った。ここで暴れても得るものは少ない。リクライニングチェアに腰を下ろす。男が銀のトレイに載った注射器を取り上げ、小さな薬瓶から液体を吸い上げた。身振りで袖を捲るよう促される。偽装の白衣は脱がされていた。  血塗れでまだ湿ったドレスシャツの左袖を捲ると、セキュリティ要員に屋上で撃たれた傷は処置済みらしく、二の腕には分厚く包帯が巻かれている。処置する時に麻酔を打たれたようだが、さすがに弾傷で鈍い痛みがあるのは仕方がない。  その痛みにも構わず男は駆血帯で二の腕を縛り上げる。一応霧島は訊いてみた。 「何の注射だ?」 「質問は受け付けないと言った筈……だが、いいだろう。V‐501だ」 「また寝ろというのか?」 「寝かせはしない。知っているかね、催眠効果の強い薬は自白剤の効用もあるということを。大量に投与し眠らない状態を作り出すと脳はごく素直になる。朦朧状態では質問に対し嘘がつけなくなるんだよ。あまり大量に投与し過ぎると死に至るがね」  それを聞いて却って霧島は僅かに安堵した。自分に対してこんな古典的手段に出るということは、おそらく京哉たちは捕まっていないと予測できたからだ。  医者らしい男の腕は悪くないようで、針を刺されても殆ど痛みはなかった。二度、三度と追加で自分の体内に薬剤が注入されていくのを霧島は涼しい無表情で眺める。見守る男女はそれにも増して無表情、温度をまるで感じさせない視線は爬虫類めいていた。 「そろそろかな……きみの名前は?」 「霧島忍」 「仕事は何をしている?」 「日本の警察官」 「職業をもっと精確に言いたまえ」 「県警機動捜査隊長だ」  さらさらと答えながら、まだ大丈夫だ、まだいける……そう、うっすらと霧の掛かり始めた頭で霧島は思っていた。その一方で覚えのある眩暈が始まる。  そのとき鋭い痛みで一瞬だけ意識がはっきりと覚醒した。肘掛けに置いた左の掌に注射器が突き立てられ、肘掛けに縫い止められていた。  軍服の女が注射器を手にし、更に銀色の針をめり込ませようとしている。爬虫類じみた無表情を改めて眺めて霧島はコーディの言っていた『恐れ知らず』、つまりは人間兵器を思い出していた。  ムッとしたように医者が顔を曇らせて文句を言う。   「そんなに急激に覚醒させては意味がない。ここは任せてくれないかね?」  その口調を耳にし、フランセル総合医薬品工業は某大国と対等に渡り合っているらしいな、などと思った。ということは、まだ某大国の軍はセロルトキシンから抽出されたD・Nという人間兵器製造薬の秘密を手中にしていないのかとも思う。  自分の右手で左手に刺さった注射器を引き抜き、医者の後ろにあるデスク上に放り投げた。滑らかな霧島の動きを見た医者が溜息をつく。また薬剤を二回注射された。 「きみは何処の組織から派遣された?」 「……ただの、旅行だ」 「コーディから何を訊いた?」 「外に、出たい……フランセル……アキーム=グラチェフ――」  医者は医者でどうやら苦労しているらしい。フランセル総合医薬品工業としては某大国の軍に洩らしたくない情報を霧島に喋らせてはならないからだ。  それにこのような自白剤を使っての尋問では、誤認誘導にも繋がるイエスかノーかで返事ができる質問をしてはならないのがセオリーである。  制約が多すぎて質問事項にも窮しているといったところか。 「他にコーディから訊いたことは?」 「グリーンディフェンダーに……『恐れ知らず』を送り込んで……テスト」 「もう一度訊こう。きみは何処の組織に属しているのかね?」 「日本の……警察、だ」  もう霧島にも分かっていた。  このふざけた医者や二人の爬虫類のような『恐れ知らず』は、霧島の口から日本政府が絡んでいることを吐き出させたいのだ。  これまでも日本政府を通し国際社会の意向を背負い特別任務を遂行してきた霧島忍及び鳴海京哉の名は、各国の政府でも深部の者になら既に知られていてもおかしくない。  今回も国連の意向でスパイをしにきたのではないかと、このメンバーは疑心暗鬼に陥っているのだ。国連云々はともかくD・Nを潰しにきたことには違いないのだが。  だがこの場合、霧島が自身をスパイというより警察官だと認識していたのが幸いしたと云える。お蔭でその口から意識して日本政府という単語が出ることはなかった。 「ふ……ん。もう終わりか?」 「困ったね、これ以上は致死量になる」  さらりと剣呑なことを言いつつ医者は薬剤を注射した。数分と経たず霧島の意識が混濁する。質問が繰り返された。霧島は自分が何を言ったのか初めて分からなくなっていた。  医者の声。眩暈に合わせて低く高くなる耳鳴り。指先に走る鋭い痛み。強く握った掌から零れる生温かい血――。
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