止まった蝉時雨

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 例えば、カラン、と音を立ててぶつかり合う氷。見てみると、麦茶をいれたコップが汗かいてる。  例えば、夕方に鳴き始めるヒグラシが一匹だったのに大合唱になった時。  例えば、ウスバカゲロウを見つけた時。  例えば、小さな実がなり始めた柿。  暑くなり始めた七月とは違う、八月が半分くらい過ぎた頃に見るようになるいろいろな景色、音、小さな変化。暑いには暑いけど、どこか秋が近づいてきているような、そんな感じをふとした時に気がついてしまう。 「大きな川があるでしょう。あそこは昔から大雨が降ると溢れてしまって、田んぼがダメになってしまう。でも川がないと畑も田んぼもできないからみんな困ってきました」  お寺の本堂ではなく、住居スペースの縁側で住職が麦茶を飲みながらゆっくりと語る。 「大雨でなくても水難事故がある。犠牲になるのは子供が多いのです」  昔の人はとにかく生きることに必死だった。安定した野菜作りも米作りもできない、電気なんてないから天気と気温で食べ物ができるか決まってしまう。五、六歳にもなれば畑仕事などを手伝うのは当たり前だったらしい。夏は日の出ている時間が長い、明るいうちは朝から晩までずっと働いていたんだとか。 「疲れきった体で水浴びをしようとして、深みにはまって流される子が必ずいたそうです。いつからか、水の事故から人々を守るための……催しが行われるようになったのです」  今、言い方を少し考えた。きっと儀式とか、なんかそういう意味合いのあまり良くない言葉だったんだろう。 「みず、といいます。水、に坊主の坊で水坊(みず)」 「水坊」 「水には神様がいるという考えと同時に、悪霊のようなものがいると昔の人は考えました。人の魂を欲しがるから人の命を奪ってしまう。だからこう考えたんですよ、身代わりを用意しようと」  子供と同じ大きさの簡単な人形を作るのだと言う。雑草でも茅でも何でもいい、大きな藁人形のようなものを作って頭の部分に白い布をかぶせる。そして首のあたりで紐で縛る。まるで体がついた巨大なてるてる坊主のようだ。 「それも夏の間ひたすら川に浮かべておきます。流されてしまわないように、木に縄をくくりつけておいてその先に人形を縛りつける」  まるで釣りの浮きのようだけれど。その姿を想像するとそれはまるっきり拷問だ。
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